Category: Diary

旅の日々へ

夏のラダックに出発するまで、あと数日。国内でやり残していた仕事も、どうにか片付いた。あとは、出発前に必要な下準備を抜かりなくやればOKだ。

ラダックに着いたら着いたで、新しい本に必要な情報収集のために、しばらくはレーの街を毎日あちこち歩き回らねばならないし、その後は連日ほぼ休みなしで、ラダックツアーのガイドの仕事がある。何のことはない、東京にいる時と同じかそれ以上に忙しい(苦笑)。まあそれでも、再びラダックで、あの澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込めると思っただけで、心が弾む。

夏の取材の準備をしている一方で、来年以降の計画も、ぼちぼち練りはじめている。来年は、一月中旬から三月上旬まで、インド某所での長期取材(あわよくばその取材を基に本を書きたいが、撮れ高次第のところもあるので、何とも言えない)。夏は、再びラダックでガイドの仕事(今年のツアーが首尾よく終わって、来年も任せてもらえるならの話だが)と、インドの別の某所での取材。そして夏の終わりには、短めの滞在だが、アラスカ。仮にこれらを全部実行すると、四カ月ほど日本を留守にすることになる。

再来年以降はまだ未定だが、時間と予算の都合がつく限り、できるだけ積極的に海外取材に行こうと考えている。できればラダックだけでなく、まだ訪れたことのない土地へも。未知の情報や感覚をどんどんインプットしていきたい。自分に書けること、撮れるもの、まだまだたくさんあるはずだと思うから。変な安定志向に走って、自分で自分の限界を狭めてしまいたくはない。

まずは、今年の夏のラダックでのあれこれを、きっちり頑張ろう。

紀行文講座を終えて

午前中、八王子で紀行文講座の第二回を担当。どうにかつつがなく終えることができたように思う。これで、錦糸町、北千住、八王子の三カ所で開催してきた紀行文講座は、すべて終了。自分で提案した企画ではあったけれど、肩の荷が下りて、ほっとしている。

去年、大手町で集中開催したラダック講座と違って、各センターで分散して開催される形になった今回の講座では、予想外の出来事が多かった。たとえば、課題として短い紀行文をテキストとメールで提出するように受講者の方々にお願いしていたのだが、パソコンで文章を打ってメールで送信するという作業自体に馴染みのない年配の受講者も少なからずいらっしゃるということは、現場でスタッフの方々に聞いて初めて知った次第。その方々には手書きの原稿を封書で送っていただいて、それを自分の手元で全部テキストに打ち直すことになった。それ以外にも、正直、面食らうような出来事もいくつかあって、何事も、やってみないとわからないものだなあと感じた。むつかしい……。

来年以降も続けてほしいというご要望も複数の方々からいただいて、ありがたいことだなあと思う一方で、そもそも来年は自分があまり日本にいなさそう(苦笑)という事情もあり、単純に同じような形で紀行文講座を継続するのは、難しいかな、とも感じている。僕のような人間が教えられるライティングスキルを具体的に必要としている人に、もう少しだけ対象を絞った方がいいのかもしれない、とも思うし。あとは、オンライン受講の体制の見直しや、アーカイブ受講を可能にすることとか、そもそもどういう組織体制のもとでやるのか(自前でやるという選択肢も含めて)、今回の反省を踏まえて考えねば、と思っている。

ただ、その前に、僕自身が、文章にしても写真にしても、もっともっとスキルアップしなければならないとも思う。現状で満足していてはダメだなと。もっと、うまくなりたい。伝えたいことを、より伝えられるようにするために。

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トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』読了。かなり期待して手に入れた本だったのだが、なかなかに難解で……。特に前半から中盤にかけては、読み解くのに苦労したというか、理解しきれないまま読み進めていた感がある。完全なノンフィクションの紀行文ではなく、フィクションを織り交ぜつつ、自伝やエッセイや詩などを組み合わせた複雑な仕立てにしているのは、ブルース・チャトウィンの影響も少なからずあるのかもしれないが、少なくとも僕は、チャトウィンの作品ほどには没入できなかった。読み手にも、それなりの知識と読解力が必要な作品なのだと思う。

自然満喫


先週後半になってようやく仕事が少し落ち着いてきたので、金曜は早起きして、陣馬山から高尾山まで縦走してきた。半年ぶり。

陣馬山から高尾山までのルートでは、途中の各ポイントでの通過時間を以前にメモしておいたのだが、その後、何度歩いても、その時間からずれることはほとんどない。意識しているわけではないが、いつも同じ速度で歩いている。もっとも、同じ歩行速度でも、その時々の体調によって「今日はラクだなあ」という時もあれば「今日は体がなまってるな……」という時もある。今回は、だいたいいつも通りの平均的な感触だった。

しっとり湿った土を踏みしめながら、新緑の木立の下を歩くのは、やっぱり心地いい。身体の中に澱んでいたもの……疲れとか、ストレスとか、そういう澱みを、すっかり入れ替えてリフレッシュできたような気がする。

高尾山から稲荷山コースを下っていく途中、一匹のタヌキに遭遇した。最初から最後まで、ほんとに自然満喫の一日だった。

精神と時の部屋

今朝は起きた瞬間、ダメだ、と思った。頭の前半分が異様に重だるくて、ぼんやりしてしまう。身体もきつい。五月に入ってからの、いや、たぶん、それ以前から蓄積してた仕事やら何やらの疲労が、一気に噴出したのだろう。午前中は何も考えられなくて、頭痛薬を飲んで、ソファに横になっているしかなかった。

幸い、今日は急ぎの仕事もなかったので、終日オフにすることにした。昼になってだいぶ回復したので、午後は西荻のフヅクエへ。店内で最奥の位置にある、ほかの席からほぼ完全に死角になっている席にすべりこむ。お店の人からは、この席は「精神と時の部屋」と言われているそうだ。確かにここは、しばし時を忘れることができる。

鶏ハムのサンドイッチ、ショートブレッド、アイスコーヒーをいただきながら、トマス・エスペダルの『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』を読む。こういう時間が、もっと必要だ。ずっとベタ踏みのアクセルを、もう少しゆるめてみよう。

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アーシュラ・K・ル・グウィン『ゲド戦記』全六巻読了。二年くらい前に買っておいた岩波少年文庫のボックスセットを、一気に読んだ。若年層向けとはいえ、それぞれの物語を貫くテーマは、本当に深遠で……。稀代のストーリー・テラーがはためかせる想像の翼に乗って、アースシー世界での長い長い旅を、存分に愉しませてもらった。

海外では『The Books of Earthsea: The Complete Illustrated Edition』という、六冊とアースシー世界を舞台にした短編をすべて収録し、美しいイラストを添えた本が2018年に出ている。これ、二冊か三冊に分冊して、日本でも新訳で出してくれないかな……。岩波版の訳文も名作だとは思うが、さすがに古さを感じたので。その際は『ゲド戦記』とかではなく、原題に沿ったタイトルにしてほしい。

ぢっと手を見る

五月に入ってからも、ずっと忙しい。今年のゴールデンウイークは五連休とか、人によっては九連休とかだったらしいが、自分の場合は、五月に入って完全休養したのは一日だけかも。あとは、何だかんだで毎日原稿を書いたり、講座の宿題の添削をしたり、企画書を書いたり、あっちこっちにメールを書いたりしている。ちなみに、来週末の土日も、講師の仕事で両方つぶれる(苦笑)。まあこの日程も、OKを出したのは自分だから、仕方ない。

今日も昼に大学案件のリモート取材があって、その後も大学案件の原稿を二本くらい書いた。二本目を書き終えた時、「これでやっと、次の原稿に取りかかれる……!」と考えてしまっていた自分がいて、我ながらちょっとどうかと思った。こんな精神状態がずっと続くような状況は、あんまりほめられたもんじゃない。仕事がまったくないよりは、全然いいんだろうけど。

書き仕事も、撮影の仕事も、編集の仕事も、技術的には年々向上できている自信はそれなりにあるけれど、世間でのこの種の仕事の報酬の相場は、年々下がってしまっている。やりがいを感じながら懸命に働き続けても、結果として消耗し続けていくのであれば、その先行きは知れている。

そろそろ、いろいろ考えた方がいいのかもしれない。自分自身がすべきことは何なのか、きちんと見定めた上で。