山野井泰史「垂直の記憶 岩と雪の7章」

山野井泰史の名前を初めて知ったのは、五年ほど前に、沢木耕太郎の「」を読んだ時だった。ヒマラヤの高峰ギャチュン・カンからの奇跡的な生還を描いたその本に、当時そうした高山の登山経験がまったくなかった僕は、あっけにとられたというか、ただただ圧倒されてしまった。それから数年後、冬のチャダルを旅した時に、山野井さんが挑み続ける岩と雪と氷の世界を、僕自身も入口からほんの少しだけ覗き込むことになったのだが‥‥。

その山野井さん自身が書いた「垂直の記憶 岩と雪の7章」が、最近になってヤマケイ文庫で文庫化されたというので、いい機会だと思って読むことにした。

日本が誇る世界屈指のクライマー、山野井泰史。少年時代からクライミングの魅力に取り憑かれ、ヨセミテやパタゴニアなどで数々のクライミングに挑んだ後、ヒマラヤやカラコルムの高山へ。チョ・オユー南西壁、クスム・カングル東壁、K2南南東リブなど、いくつもの難峰の登頂に成功。大人数で大量の装備を運び上げ、前進キャンプを設営しながら登頂を目指す「極地法」ではなく、単独または少人数で、酸素ボンベも使わず、最小限の装備でベースキャンプから一気に山頂を目指す「アルパイン・スタイル」でのクライミングを信条としている。七大陸最高峰制覇や八千メートル峰十四座制覇といったピーク・ハンティングには一切興味を示さず、ある意味、それよりもさらに困難な、しかし“美しい”ルートでのクライミングに、彼はずっと挑んできた。

垂直の記憶」では、山野井さんがこれまでに経験した中から七つのクライミングの回想が書かれている。輝かしい登頂の記録もあれば、悔しい敗退の記録も、九死に一生を得た生還の記録もある。自分のクライミングを殊更にひけらかすような描写は微塵もない。朴訥な筆致の文章には、クライミングに対して山野井さんが抱いている思いが、そこかしこから滲み出ている。「登っていなければ、生きていけない」。彼にとって、クライミングは生きることそのもので、分ちがたく結びついている存在なのだ。どうがんばっても自然に打ち勝つことができないのは、彼自身もよくわかっている。でも、だからこそ、彼は登る。岩と雪と氷の世界で、己の力を極限まで振り絞り、“課題”をクリアするために。

特に印象に残ったのは、文庫版の解説で後藤正治さんも触れている、次のような文章だ。

いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない、今しかできないことを、激しく、そして全力で挑戦してきたつもりだ。

かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくもない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。

僕だって長く生きていたい。友人と会話したり、映画を見たり、おいしいものを食べたりしたい。こうして平凡に生きていても幸せを感じられるかもしれないが、しかし、いつかは満足できなくなるだろう。

ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。

僕は、山野井さんのようなクライミングをした経験もなければ、挑む技術もない。彼が標高八千メートルを越える世界で何を感じたのか、どんな風景を目にしてきたのか、本を読んでも、写真を見ても、本当にはわからない。でも、あの岩と雪と氷の世界に魅入られて、己の力をすべて出し切るような経験をしてしまったら‥‥またあそこに戻りたくなってしまう、戻らずにはいられなくなる。そこで自然によって死がもたらされてしまうのであれば、それには抗えない。その気持は、少しだけ理解できるような気がする。

ギャチュン・カンからの生還の代償に、両手足で合計十本もの指を凍傷で失ってしまった山野井さんは、マカルー西壁やジャヌー北壁のような究極の目標を達成する夢はもう叶えられなくなった、と書く。でも、山野井さんは今も登り続けている。自分の力を振り絞れば、あるいはクリアできるかもしれない“課題”に挑み続けている。彼にとって、それが生きることそのものだから。

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