知命

本の原稿に追われて、あくせくしている間に、気がつくと、五十回目の誕生日を迎えていた。

五十ともなると、もう、正真正銘のおっさんである。ここ数年の地味なトレーニングの甲斐あって、体力的には十年前とそんなに変わらないか、むしろ前よりやや動ける状態だとは思うが、そうはいっても、やはり、おっさんである。今も、家でボウモアのオンザロックをすするという、典型的なおっさんの行動パターンに従っている。

四十歳のことを「不惑」と呼ぶのは割とよく知られているが、五十歳のことを「知命(ちめい)」と呼ぶのは、意外にあまり知られてないような気がする。知命は、不惑と同じく、論語にある例の有名なくだりの中の「五十而知天命(五十にして天命を知る)」のことだ。

天命……自分にはそんな大層なもの、あるのかしらん、と、しばらく前までは思っていた。でも今は、なんとなく、そういうことだったのか、と腑に落ちるような思いもある。今作っている本が、そのことにつながっていくものの一つになるような気がしている。

とにもかくにも、知命。すっかり、おっさんである。

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