「ツーリスティック」という言葉は、しばらく前から旅行者の間でよく使われるようになった表現の一つだが、ネガティブな意味で使われる場合がほとんどのように思う。「あの町は、昔はよかったけど、今はツーリスティックな場所になってしまった」といった具合に。日本語に置き換えると「観光化された」みたいな感じだろうか。
僕自身、観光化がまったく進んでいない辺鄙な土地に行った経験はそれなりにあるが、特に海外で、まったく「ツーリスティック」でない場所を旅するのは、ある程度旅慣れてないと結構大変だ。Webの情報とスマホと地図アプリを頼りに旅している最近の旅行者には、ちょっと厳しいかもしれない。
個人的には、日本でも、世界でも、ある場所の観光化が進んで「ツーリスティック」になること自体は、必ずしも悪い変化ではないと思う。観光業が定着することで地域の経済活動がうまく回るようになり、それによってその土地の伝統や文化が維持されていくなら、それは良い変化ではないだろうか。ただ、その観光化が計画的に進められず、その土地の伝統や文化のよさを損なうような形で「ツーリスティック」になってしまうのはよくない。残念ながら、世の中にはそういう事例も多い。
先日のラオス取材で訪れた古都ルアンパバーンは、街並自体が世界遺産に指定されている魅力的な場所だが、ここでの旅行者のお目当ての一つに、早朝の僧侶たちの托鉢の行列がある。旅行者は托鉢の様子の見学のほか、地元の人から喜捨のセットを購入すれば、自ら道端に並んで座って参加することもできる。朝の時間帯、托鉢の行われる界隈には100メートルおきに看板が置かれ、「僧侶たちの行く手をさえぎらないこと、僧侶たちに近づきすぎないこと、撮影時にフラッシュを使わないこと」といった注意書きが示されている。こうした取り組みがきちんと遂行されていれば問題ないのだが、実際は、なかなかうまくいかない。注意書きをまったく守らず、托鉢の列を邪魔するようにむやみに近づき、スマホでフラッシュを焚いてセルフィーを撮っている観光客がわんさかいたのは、とても残念だった。
「ツーリスティック」化が良い方向に向かうかどうかは、その土地の人々の取り組みだけでなく、旅行者の側も責任を負うべき部分が大いにある。何よりも大切なのは、その土地の伝統や文化やライフスタイルに対する理解と敬意を持つこと。旅する側も、受け入れる側も、その点を忘れてはならないと思う。