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1文字の価値は何円であるべきなのか

しばらく前に、巷で言うところのビジネスSNSというサイトに、自分の情報を登録してみた。それにプロフィールを登録しておくと、自分の特性や環境に合う仕事の募集情報を得られたり、企業から打診のメッセージが届いたりする。僕のところにも、いくつかの企業から問い合わせの連絡が来た。

で、当然ながら原稿料や報酬の金額についてもやりとりするのだが、よく聞かれるのが「目安となる単価感のようなものはありますか? 1文字につき何円とか?」という質問。最近の書き仕事、特にWeb関係の案件は、1文字につき何円、というやり方で算出されているらしい。

現時点で自分が担当している仕事のうち、Web関連の一番安い案件で計算してみると、1文字10〜20円くらい。これでもかなり安い。しかし、件のビジネスSNSなどで問い合わせの来る案件だと、その10分の1かそれ以下。つまり、1文字につき1円かそこらということになる。1万字書いても1万円。怖ろしい。執筆にかかる時間から時間給に換算したら、いったいいくらになってしまうんだろう(苦笑)。

正直に言えば、単に所定の文字数を埋めるためだけに書けと言われれば、僕は、いくらでも速く書くことはできる。ただ文字数を稼ぐためだけならば。でも、そんな風にして量産された文章に、何の存在価値があるだろうか。そんなものを書いてしまったら、僕は、読んでくれる人(もしいるならば)に申し訳ないという気持しか出てこない。

そもそも文章の価値は、1文字につき何円、といったやり方で計算できるものではないし、計算すべきでもないと思う。同じ文字数でも、専門知識や豊富な経験が要求される文章、取材や調査の手間がかかる文章、執筆や編集のテクニックが必要な文章、何よりその人にしか書けない文章。少なくともそういう仕事には、内容や難易度に応じて、それに見合うだけの真っ当な対価がきちんと払われるべきだ。

1文字につき何円というやり方でしか文章の価値を測れない人や企業は、結局その程度のものさししか、自分たちの中に持ち合わせていないのだと思う。

キックオフ

水曜日は夕方から、八丁堀にある出版社で打ち合わせ。来年の春に出す予定の新しい本を作るための、版元の編集者さんとのキックオフミーティング。制作予算の内訳、発売までのスケジュール、発売後のプロモーション戦略、あとは本のタイトルとか、ページ配分とか……。今回の編集者さんと組んで本を作るのも、これで三冊目。気心の知れた者同士で組める安心感。いい本を作れそうな手応えはあるし、いい本を作らなければならないとも思う。

打ち合わせを終えた後、ひさしぶりに飲みに行きましょう、ということで連れて行かれた近くの店は、茨城県大洗町のあんこうを使った料理がウリの店。「うまいですよ〜」と言われたのだが、あんこうは7、8月が禁漁期で、次に水揚げされたあんこうが入荷するのは来週とのこと。まあ仕方ない。刺身の盛り合わせやメバルの煮付けをいただきつつ、編集者さんとサシで飲みながら、仕事のこと、旅のこと、いろんな話をした。

さあ、いよいよ、本づくりの始まりだ。がんばろ。

土壇場で荒行

昨日は朝の4時半起きで、電車と新幹線を乗り継いで、福島へ。現地にある大学で3人の方に取材。梅雨時の割に天気がよくて助かったが、なにしろ遠いので(苦笑)、なかなか疲れる。

それでもどうにか首尾よく取材を終え、在来線の最寄り駅までダッシュして飛び乗ったはいいものの、福島駅で乗り継ごうとした新幹線は満席で、結局そこから1時間待ち。新幹線の中で食べようと考えていた駅弁は駅構内では売り切れ。トホホな気持ちですきっ腹を抱えつつ東京駅まで戻り、八重洲のエリックサウスでミールスを瞬殺(笑)。

そして今日は、起きてすぐに都議選の期日前投票に行き、それから昨日取材した分の原稿を3本、ガリガリと一気に書き上げる。普段ここまで急いで書くことはあまりないのだが、何しろ、あさってから2カ月インドだし、明日はいくつか予定もあるので、今日書かないわけにはいかない。机の前でよれよれになりつつ、「そもそも何でこんなタイミングで取材引き受けちゃったんだろ?」と、今さらながら自問自答。

出発前の土壇場での荒行。やれやれである。

100パーセントと120パーセントの差

僕は何かの仕事に取り組む時、力を100パーセント出す場合と、120パーセントまで振り絞る場合がある。以前、人にこう話すと、「普段から常に120パーセントの力を出す心構えでは臨めないの?」と返されたことがあった。うーん、違うんだな。そうじゃない。少なくとも僕にとって、100パーセントと120パーセントとの間にある差は、心構えで埋められる類のものではない。

普段の仕事……フリーライターとしての取材と執筆、雑誌記事やガイドブック制作のための撮影、それらをまとめるための編集作業などでは、絶対に気を抜かず、もちろん手も抜かず、万全の仕上がりを目指して、100パーセントの力を出す。この仕事をしている身としては、当然の姿勢だ。そうでなければ、あっという間に信頼を失い、食いっぱぐれてしまう。

では、そこからさらに、120パーセントまで力を振り絞ろうとするのは、どんな時か?

これまでの自分をふりかえっても、そこまでとことん追い詰められた経験は数えるほどだが、そういう時は……その仕事自体が、自分自身のとても個人的な部分にある動機と、分かち難く結びついていた。その仕事に取り組む時は、普段の力を全部出すのはもちろん、自分自身の個人的な部分、弱さや情けなさも含めて、否応なく向き合い、自問自答をくり返さなければならなかった。ひとことで言うと、魂を自分で削っていくような、そんな感覚。

100パーセントの時も、120パーセントの時も、目の前の作業に対して出している力自体は、ほぼ同じだと思う。20パーセント分の差は、自分自身と向き合って戦うかどうかの差。その戦いの結果は、目に見える形で現れるとは限らない。でも、どこかに何かしら、寄り添う影のように残る。

そういう、自分自身と戦わなければ後悔するような仕事とは、生きている間に、たまにめぐり会う。

選べないタイミング

インドに出発するまであと10日ほどという今の段階になって、急に国内での仕事が立て込みはじめた。取材を伴わないけれど急ぎの書き仕事がいくつかと、来週後半には日帰り取材で福島へ。出発直前、ギリギリまで仕事に追われることになりそうだ。

ほとんどのフリーランサーは、好きな種類の仕事を好きなタイミングで選べるほど、自由ではない。長い付き合いの取引先からの依頼は断りづらいし、そもそも働ける時に少しでも働いておかないと、このご時世では僕らは食っていけない。しかし仕事の依頼というやつは、重なる時にはこれでもかというくらいとことん重なるし、来ない時にはあきれるくらい無風状態になってしまう。なかなかうまくいかないものである。

まあ、粛々と、やれる範囲でやっていくしかないな。ハタラキマス。