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そして本が増えた

四月下旬の『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』の発売に合わせて、連休前から今日までの間、都内を中心にいくつかの書店にご挨拶回りをしていた。

書店員の方々と話をしていて感じたのは、『雪豹の大地』の現物を目にして、おお、これは、とただならぬ気配を察してくださっていた方が多かったということ。やっぱり、完成度をとことん突き詰めて作り上げた一冊の本が醸し出す存在感は、書店員や読者の方々にも伝わるものなのだな、と。チームで作り上げた本をそんな風に受け止めてもらえていて、個人的にも嬉しかった。

それにしても、行く先々、素敵な書店が多かった。自分の好みドンピシャな品揃えだったりすると、ついつい見惚れて、気がつくと一冊手に取っていたりする。そうして買った本が日を追うごとに増えていき……また本棚のスペースがなくなってきた……。

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J.D.サリンジャー『彼女の思い出/逆さまの森』読了。グラース家の物語でもコールフィールド家の物語でもない、サリンジャーの初期の短編集。明らかに軽めに書かれた作品もあるが、彼ならではの先見性と繊細な感性、そして語り口の巧みさを堪能できる一冊になっている。特に、彼自身の実体験が反映されているとも言われている表題作には、心を打たれた。

おっさんの食卓

GW後半の四連休。相方が神戸に弾丸帰省している間、僕は〆切間近の長文の原稿を抱え、東京の自宅で一人プチ合宿の日々を送っていた。

日々の食事は家で作って食べていたのだが、おっさん一人だし、時間も予算もかけられないので、メニューもさもありなんというものばかりになった。スーパーで買ってきたカツオのたたきと日本酒。宝舞の生餃子を焼いたのとビール。もぐもぐのちょい飲みセットとジントニック。毎日の原稿の苦行の憂さ晴らしも兼ねてはいたが、それにしても、メニューのチョイスがめちゃめちゃおっさんっぽい。この一杯のために生きてるな感が半端ない。

いいんだ、うまかったし、それなりに楽しかったし、原稿もちゃんと納期に間に合わせたんだから……。

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ジャック・ロンドン『火を熾す』読了。ずっと前に相方が貸してくれたのを、本棚に挿したまま、読み終えたような気分になってしまっていた本。ジャック・ロンドンが短い生涯の間に遺した膨大な数の短編小説の中から、柴田元幸さんが選んだ九編が収録されている。冒頭の表題作は、極寒のユーコン準州でなすすべもなく凍え死んでいく男の一挙手一投足を描いた話で、他人事とはまったく思えず(苦笑)、相方が貸してくれた理由がわかる気がした。多作だった故か、作品によって出来にむらはあるが、総じてド直球でフルスイングの文体で、昔のアメリカのベースボールの試合を眺めているような気分になった。

本が出てからの仕事

四月の後半は、文字通り、目が回りそうなほど忙しかった。

遠方での対面インタビューを含むかなりヘヴィな取材が何件か入っていたのに加えて、新刊『雪豹の大地』の発売に合わせてのあれやこれやが、立て続けに。サイン本の量産、ラジオ番組の収録、書店での写真パネルの設営、書店に滞在しての対応、そしてトークイベントが、二週連続。二週目のトークイベントが終わった翌日の日曜は、精も魂も尽き果ててしまって、昼の間ずっと、ベッドから動けなかった。

本が出てからも、書いた本人がなすべき仕事は、たくさんある。書店を微力ながら支え、読者にほんの少しでも喜んでもらうための。そういった、本が出てからの仕事を通じて、はじめて自身に還元されてくるもの、気付かされることも、たくさんあると僕は思う。

しかしまあ、疲れた(苦笑)。

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ロバート・バイロン『オクシアーナへの道』読了。ブルース・チャトウィンが15歳の頃から「聖典」と呼んで愛読し、自身がアフガニスタンを旅するきっかけにもなった本。彼が『パタゴニア』を書いた時などには、バイロンのこの本の影響が少なからずあったであろうことが窺える。

1933年から34年にかけて、イランとアフガニスタンを旅した日々を日記体で綴った紀行文。バイロンの主な目的はイスラーム建築の探訪であったので、各地の建築物の様子は偏執的なまでに仔細に描写されていて、独特の美的感覚に基づく歯に衣着せぬ批評とともに綴られている(バーミヤンの大仏に対してもかなり手厳しい)。ただ個人的には、そうした事細かな建築の描写や批評より、何気ない車窓からの風景に彼の心がふと揺れ動いた時の様子や、行く先々でありとあらゆる種類の災難に見舞われて右往左往させられる様子が(気の毒ではあるけれど)面白かった。ともあれ、今となっては貴重な記録であることは間違いない。

一冊去って、また一冊

去年から作り続けていた『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』が、今週、無事に校了。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』と同じ制作チームだったこともあって、編集作業自体はかつてないほどスムーズだったが、想定外のミスを見落としてしまいそうになった場面もあるにはあったので、うまく切り抜けられて、ほっとした。また一冊、愉しい本づくりの時間が終わってしまったのは、少し寂しくもあるけれど。

そんな余韻に浸る間もなく、秋頃に出す次の本の編集作業が、すでに始まっている。時間の猶予は、あまりない。来週明けには、ある程度の素材を揃えて提出せねば……。一冊去って、また一冊。

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ニコラス・シェイクスピア『ブルース・チャトウィン』読了。今年に入って、『4321』の次に就寝前の読書時間に少しずつ読んでいた、888ページの鈍器本。早逝によって半ば伝説と化している紀行作家チャトウィンの生涯が、膨大な量の証言と資料を基に克明に綴られている。美化もせず、貶めもせず、徹底して客観的な視点でチャトウィンの実像を詳らかにしていく、その一切の妥協のなさは、チャトウィン本人が少々気の毒に思えるほどだ。僕が死んだ後、伝記だけは勘弁してほしいと思った(苦笑)。とはいえ、この伝記を読んだ後に、あらためて『パタゴニア』『ソングライン』を読むと、また違った発見や面白さを感じられそうな気がする。

「趣味」について

「趣味」という言葉を辞書で調べると、「仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄」とある。英語の「hobby」という言葉はこの意味には必ずしも当てはまらないようで、専門的な知識や技術を駆使したり、手間暇や時間をかけたりして、熱心に取り組むものを指すのだという。

僕の趣味は……何だろう? 映画鑑賞や音楽鑑賞は、趣味と言えるほど数をこなしていない。読書は……かろうじて趣味と言えるか、という程度。低い標高の日帰り山歩きも……最近はどうにか。自転車は……また復活させたいと考え中。自炊は……趣味というより、日々の家事か。いずれにしても、仕事の合間の気晴らしに近い。それはそれで必要なものだし、大切にしている時間でもあるけれど。

旅はどうだろう? 写真は? 文章を書くことは? 本を作ることは? 今の自分にとっては、どれも仕事だ。でも同時に、専門的な知識や技術を駆使し、手間暇と時間をかけ、情熱を傾けて取り組んでいる行為でもある。

好きで、楽しんで、知識や技術を駆使して熱中できることが、そのまま仕事になり、生き甲斐にもなっている。たぶん僕は、ものすごく恵まれた立場にいるのだと思う。