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「巡礼の約束」

岩波ホールで公開が始まったチベット映画「巡礼の約束」を観に行った。チベット人のソンタルジャ監督の前作「草原の河」は日本で初めて商業公開されたチベット映画で、静謐な気配に満ち満ちた印象的な作品だったので、今作も楽しみにしていた。

ギャロン地方の山間に暮らしていた、ロルジェとウォマの夫婦。ある日突然、ウォマは「五体投地礼でラサまで巡礼に行く」と言いはじめる。理由を訝り、諫めるロルジェだが、ウォマは聞く耳を持たず、ラサへと出発してしまう。やがてロルジェと、ウォマと離れて暮らしていた前夫との息子ノルウが巡礼に合流する。つかの間訪れる、三人の穏やかな時間。しかし、ウォマは、ロルジェに対して大きな秘密を抱えていた……。

この映画の原題「阿拉姜色(アラ・チャンソ)」は、チベットの民謡の名前で、劇中にも印象的な形で登場する。それもとても良い題だが、邦題の「巡礼の約束」も、この映画のテーマにぴたりとフィットしていて、良いアイデアだなあと思った。夫から妻へ、母から息子へ、受け継がれていく、巡礼の約束。個人的には、特にロルジェが損な役回りすぎて不憫で仕方なかったが、行き場のない愛情とやりきれない思いを抱えて巡礼のバトンを受け取る彼の祈りの姿には、胸を打たれた。

良い映画です。チベット好きの方は、ぜひに。

初夏の土曜日

昨日は梅雨っぽい天気だったが、今日は昼から晴れて、風も吹いて爽やかな日になった。

午後、広尾で昨日から始まった吉田亮人さんの写真展へ。今日は会場で吉田さんと石井ゆかりさんとの対談があるとのことで、すべり込みで拝見させてもらった。先日のKYOTOGRAPHIEで吉田さんが発表した「Falling Leaves」の制作過程の話も。写真家をやめようと思ったほど悩み抜いた末、写真家として、人としての原点と、これからの道を見出した吉田さん。大きな一歩を踏み出されたのだな、と思う。

その後、神保町に移動して、スヰートポーヅで餃子中皿定食をたいらげ、少し書店街をぶらつき、夕方から岩波ホールでチベット映画「草原の河」を観る。山あり谷ありの大感動作とかではないけれど、静かで、しみじみ、じんわりとくる映画だった。標高の高い場所が、少し恋しくなった。

……まあ、あと1カ月後には、行くんだけども。そう考えると、それはそれで、何だか茫然としてしまう。

牧畜民とカツサンドと時計職人

昨日はなかなか霧雨が止まなかったが、午後から出かけた。

まず、吉祥寺のキチムで始まった「ヤクとミルクと女たち チベット牧畜民のくらし展」へ。チベット・アムド地方の遊牧民の人々の暮らしぶりが丁寧に紹介されていて、ラダックのチャンタンの遊牧民との共通点や違いを考えながら拝見させてもらった。展示のあちこちに細かな工夫がなされていて、主催者の方々の思い入れが伝わってきた。見れてよかった。

夕方までに渋谷に移動し、またしてもユーロライブの南インド映画祭へ。夜の部のチケットを買い、時間が来るまで、宇田川町のマメヒコでカツサンドとジンジャーソーダをいただきながら、じっくり読書。これもまた、とてもいい時間だった。

で、この日観た映画はタミル語映画の「24」。タイムマシンを発明してしまった科学者とその双子の兄弟、そして科学者の息子である時計職人を、スーリヤという俳優が一人で演じ分けるという、すごい配役。その演じ分けにまったく違和感がなかったのもすごかった。例によってツッコミどころは数あれど(笑)、二転三転する物語はよく練られていたし、細かな伏線が綺麗に回収されていくのも気持よかった。しかしまあ、時計職人って、何でもできるんだなあ(笑)。

すっかり一日遊んでしまったので、今日からしばらく真面目に働きます。はい。

にじみ出るもの

昼の間、部屋で原稿を書く。長めのインタビュー原稿をどうにか形にできたので、ほっとする。

夕方、都心へ。恵比寿でラーメンを食べ、ヴェルデでコーヒーを飲み、代官山蔦屋書店へ。竹沢うるまさんと旅行書コンシェルジュの荒木さんとのトークイベントを拝聴。途中で竹沢さんが急に僕の名を呼び、会場の全視線に急に振り向かれるという不測の事態に(苦笑)。僕の本を知っている方も何人か会場にいらっしゃって、終了後に声をかけていただいて、恐縮してしまった。

竹沢さんは、自分のメッセージや思いを込めようとして写真を撮ってはいないのだという。あくまで媒介者として、凪いだ水面のようにフラットな心で対峙し、何かに心が反応して波紋が浮かんだ瞬間にシャッターを切る。写真で捉えようとしているのは、自分自身の心の揺れ動きそのものなのだと。

メッセージや思い入れは、意図的に伝えようとしてもたいていうまく伝わらない。作り手や伝え手の個性というものも、意図的に出そうと思うとたいてい失敗する。そういうことを意識せず、自分自身の気持に素直に従って、前へ前へと進み続けていれば、個性や思いや伝えたいことというのは、しぜんとにじみ出てくるというか、見る人や読者がそれぞれに解釈して受け止めてくれる。そうやって委ねるべきものだとも思う。

レベルは大きく違うけれど、僕自身の文章や写真に対しても「ヤマタカさんらしいよね、ヤマタカ節だよね」とは周囲からよく言われる。僕自身は、いったいどのあたりがヤマタカらしいのか、未だにわかっていないのだけれど。笑われてるのかな(苦笑)。

憧れの人

昨日の夜は、ラダック写真展開催中の横浜中華街のお店で、気のおけない何人かで集まっての飲み会。割と早めの時間から夜半前まで、のんびり飲んで、愉しかった。

その席上で、「それまでずっと憧れていて、実際に面と向かって会えて、感動した人は誰か」という話題になった。僕の場合は誰だろう……取材とかでは割といろんな人に会わせてもらってるけど……。で、今、あらためて思い返してみると、これまでに二人いたかな、と思う。

一人は、写真家のセバスチャン・サルガド。十数年前、渋谷で彼の大規模な写真展が開催されていた時、来日して会場に来ていた彼に、図録にサインしてもらったのだった。自分が二十代初めの頃からずっと尊敬していた人だったから、あの時は本当に気分が舞い上がったのを覚えている。

もう一人は、ダライ・ラマ法王。これも十数年前、両国国技館での講演のために来日された時、僕は講演会場でボランティアとしてお手伝いしていたのだが、ご帰国の直前、宿泊先のホテルでほかのボランティアのメンバーとともに謁見させていただく機会に恵まれた。あの時も尋常でないくらい緊張したなあ……。

二人に共通していたのは、握手していただいた手の、柔らかさと、温かさ。たぶん、一生忘れられない感触だと思う。