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「ROMA / ローマ」


GW中に、アップリンク吉祥寺で「ROMA / ローマ」を観た。アルフォンソ・キュアロン監督が製作・脚本・撮影・編集など、一人何役もこなして生まれた作品。ヴェネツィアやゴールデングローブ賞、アカデミー賞などでの数々の受賞歴についてはもちろん耳にしていたが、それ以前に、予告編や劇中のスチルを目にした時、「これは、見届けておかなければならない」という、言葉にはできないけれど、ただならぬ気配のようなものを感じていた。

タイトルの「ROMA / ローマ」は、メキシコシティにあるローマ地区のことを指しているらしい。同じくメキシコシティで生まれ育ったキュアロン監督自身の体験を基にした物語。主人公のクレオは、4人の子供を持つ医師夫妻の家で住み込みで働く家政婦。静かに、淡々と映し出されていく日常の中に、寄せては返す波のように、少しずつ変化が起きていく。驚くほど豊かな階調のモノクロームの映像。長回しを多用しながらも完璧にコントロールされた構図とタイミング。ほんのわずかな響きまで繊細に録音された環境音。これ以上ないほどシンプルに研ぎ澄まされた、奥深い作品だった。

映像に限らず、文章や写真など、何らかのものづくりに携わる人がこの作品を観たら、ある意味、くやしい気分になるのではないだろうか。僕自身、ちょっとくやしかった(苦笑)。よし、がんばろ。

あと何回、桜の花を

帰国して、四週間ほど経った。気がつくと、桜の花も盛りを過ぎ、そろそろ散りはじめている。今年は天候やタイミングにも恵まれて、割とたっぷり、桜の花を堪能できたような気がする。あわただしい年には、一、二度、ちらっと桜を見るか見ないかで終わってしまったような時もあった。

人生の折り返し点を過ぎると、春が来るたびに、「自分が生きている間に、あと何回、桜の花を見られるだろうか」と考えるようになる。実際、その回数は、そんなには多くない。不測の事態でさらに少なくなる可能性もある。

だから、世の中の人々は、桜の花が好きなのかな、と思う。過ぎていく時間と、残された時間を、桜の花の気配で感じ取りながら、慈しむように。

直結への回帰

しばらく前から、自宅のオーディオ環境の調子が、あまりよくない。

今、僕の家で使っているのは、オンキヨーのCR-N765というネットワークCDレシーバーとD-112EXTというスピーカー。CR-N765にはApple TVを光デジタルケーブルで繋いでいて、iPhoneに入れている音楽のプレイリストを聴いたり、radiko.jpやネットラジオアプリでラジオを聴いたりする時は、自宅内のWi-Fi環境を介したAirPlayで、Apple TVを経由してオーディオから音を出している。

だが最近、iPhoneからAirPlay経由で音を出していると、頻繁に接続が切れてしまうようになった。以前は時々あったもののそれほど気にはならない程度だったが、最近は10分も経たないうちにまた切れてしまったりするので、さすがにストレスがたまる。ネットで検索して見つけた改善策をいくつか試してみたものの、効果なし。単体でAirPlayに対応している新型のCR-N775に買い替えて、Apple TVを介さずにAirPlayに接続できる環境にしてしまおうかとも思ったが、原因がCR-N765やApple TVになかった場合は何の改善にもならないので、躊躇してしまう。

さてどうしたものか……と考えて、単純にして最も確実な解決策に行き着いた。Lightning-USBケーブルで、CR-N765とiPhoneを直結。10秒ほどでイニシャライズが完了すれば、iPhoneで再生する音楽をそっくりそのまま再生できる。当たり前だが直結しているので、再生中に音が途切れたりすることもない。

直結して音楽を聴くようになると、「音が途切れないって、こんなに快適なのか……!」と、当然といえば当然すぎることを実感(苦笑)。仕事机の横に置いている充電台の上にiPhoneがないのはちょっと違和感を感じるが、iPhoneに電話がかかってきてもMacBook Proの方で受けることもできるし、まあそこまで不便ではない。

それにしてもアップルには、AirPlayの性能を、もうちょっと何とかしてもらいたい……。

多肉植物

先週、吉祥寺に多肉植物を買いに行った。玄関の壁に家の鍵などを置くための小さな棚を取り付けたのだが、その棚にちょこんと飾っておけるような、こぢんまりとした鉢植えがあるといいな、という話になって。

生花店やインテリアショップなど、いくつかの店を回った後、駅の南口の雑居ビルの5階にある、mana’s greenという店へ。大小の多肉植物や珍しい塊根植物などがずらりと並んでいる。ちっちゃな多肉植物を何種類か選ぶと寄せ植えにしてもらえるというので、お願いしてみることに。多肉愛が強すぎて商品を「この子」と擬人化して呼んでしまう(笑)店員さんが、白くて少し浅めの鉢に、綺麗な寄せ植えを作ってくれた。何というか、ぷくぷくした小宇宙といった趣き。家に持ち帰って玄関の棚に置いてみると、とてもいい感じのなごみスポットになった。

でもまあ考えてみると、一人暮らしをしていた頃は、家に植物を置くなんて、とてもできなかった。海外取材で年に数カ月も家を留守にしていたら、ひからびてしまうし。二人暮らしをするようになって、留守の間も相方が家にいてくれるからこそ、多肉植物を買う愉しみも味わえるようになった。人生には、いろんな巡り合わせがある。ありがたいことだなと思う。

なんでもない日々

誕生日を迎えることに何も特別な感覚を感じなくなってから、どれくらい経つだろうか。たぶん、中学生の頃にはすっかり何も感じなくなっていたと思う。届け出か何かを書く時、年齢欄に記入する数字が一つ増えるだけのことだ。そのくらいにしか思っていない。

今日は、朝起きて、トーストを食べ、昨夜届いたゲラに目を通し、メールを書き、スーパーに買い物に行き、豚汁を作り、シャワーを浴びて、また少し仕事をした。明日は朝から取材なので、もうすぐ布団に潜り込んで、寝る。特別なことは何も起こらなかった。誕生日ではあったけれど、いつもとあまり変わらない、なんでもない日だった。

でも最近は、こういうなんでもない日々こそが、大切で、けっして替えの効かない時間であることが、だんだん身にしみてわかってきた。なんでもない日々にも、遅かれ早かれ、必ず終わりが来る。せめて穏やかな終わり方であることを願いたいところだが、こればかりは自分ではどうしようもない。

終わりの時が来るまで、なんでもない日々の、一日々々を、じっくりと楽しみ、味わい、心に刻もうと思う。