Tag: India

「落下の王国」


二十年近く前から、ラダックのパンゴン・ツォをはじめ、世界各地にある鮮烈な風景の数々を舞台に撮影された「落下の王国」という映画がある、という話は聞いていた。当時は日本にいなかったし、その後も目にする機会はなかったのだが、最近になって、公開当時はカットされていたシーンを追加された4Kデジタルリマスター完全版が上映されはじめた。動員は予想以上に好調で、早々と興収1億円を突破したという。僕も、池袋の映画館でBESTIA上映される回を観に行ったのだが、平日の午後だったのに、ほぼ満席だった。

舞台は二十世紀初頭、米国のとある病院。オレンジの収穫中に木から落ちて腕を骨折した移民の少女、アレクサンドリアは、映画の撮影でスタントに失敗し、橋から川に落ちて下半身不随の大怪我を負ったロイと、ふとしたきっかけから話をするようになる。ロイはアレクサンドリアに、六人の勇者たちが悪者たちに立ち向かう冒険の物語を、思いつくままに語り聞かせはじめる。それは、彼女をうまく懐柔して、自分が命を絶つための薬を彼女に持って来させるためのものだったのだが、やがてその物語は壮大な叙事詩となり、アレクサンドリアだけでなく、人生に絶望した語り手のロイ自身にも影響を与えはじめる……。

ロイがアレクサンドリアに語り聞かせる物語は、彼が適当に思いつくままにしゃべる作り話で、時にはアレクサンドリアのリクエストも加わったりするので、辻褄もあっていない、奔放で、何でもありの空想世界になる。何でもありだからこそ、風景も衣装も演出も、すべてにおいて極限まで美を追求することが可能になる。秀逸なアイデアだ。最近の映画のように安易にCGなどに頼らない、実在する風景と俳優と衣装による圧倒的な美の表現が、観る人の心に刺さっているのだろう。

後にも先にも、こういう映画は、なかなかない。映画史に残る作品だと思う。

拙著6作品の電子書籍化のお知らせ


これまで紙の書籍のみで販売されていた拙著の6作品が、いっせいに電子書籍化されました。AmazonのKindleのほか、主要な電子書籍プラットフォームで販売を開始しています。

『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』

『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』

『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』

『ラダック旅遊大全』

『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』

『旅は旨くて、時々苦い』

紙の書籍は置き場所がかさばるので……と、これまで二の足を踏まれていた方、もしいらっしゃいましたら、この機会にぜひ。

『流離人のノート』

『流離人のノート』
文・写真:山本高樹
価格:本体2200円+税
発行:金子書房
四六変形判 304ページ(カラー54ページ)
ISBN 978-4-7608-2700-8
配本:2025年10月16日

2023年夏から金子書房のnoteで2年弱ほど担当した連載エッセイが、書籍化されることになりました。連載分のほか、単発で執筆したエッセイと書き下ろしを加えています。収録している写真の約3分の1は、20年以上前にフィルムカメラで撮影したもので、カバーの写真もそのうちの1枚です。

これまでに書いてきた本の中でも、自分にとっての「旅」という行為に、もっとも真正面から向き合った一冊になっていると思います。ポルべニールブックストアでは、特典小冊子付きサイン本のオンライン予約を受付中です。よかったらぜひ。

右往左往する旅

インドから日本に戻ってきて、二週間ほどが過ぎた。

今回に限らないのだが、最近はラダックに少しの間行っていても、異国を旅してきたという感触が、正直あまり残らない。ラダック界隈は好きな土地だし、いられるものならいくらでも滞在していたいのだが、もう、あまりにもどこもかしこも知り尽くしてしまっているので、生半可な体験では、新鮮な風を自分の中に送り込むまでにはならないのかもしれない。チャダルを旅したり、雪豹を撮ったりするのに匹敵するような新たな経験を、あの土地でできるのであれば、話は別だけど。まだ残っているのかな、そういうテーマ……。

今はたぶん、自分がまだよく知らない土地を右往左往しながら旅してみて、新しい風を自分の中に取り入れてみる必要があるのかな、と思っている。そういう、右往左往する旅の仕方自体を、捉え直してみたい気もするし。

そういう旅の時間は、実は、そう遠くないうちにやってくる。そろそろ、少しずつでも、準備を始めねば。

———

沢木耕太郎『天路の旅人』上下巻、読了。第二次世界大戦末期から戦後にかけて、内モンゴルからチベット、そしてインドまで、最初は密偵として、のちに流浪の旅人として、八年にもわたる旅を続けた西川一三の足跡を辿ったノンフィクション。西川さんには遠く及ばないけれど、僕も似たような土地でしんどい思いをした経験はそれなりにあるので(苦笑)、身につまされるなあと思いながらも、楽しく読んだ。

特に旅の終盤、あらゆるしがらみから自由になり、一人でインドを放浪する西川さんの姿は、本当に幸福そうで、正直、少し羨ましく思えた。

「その最も低いところに在る生活を受け入れることができれば、失うことを恐れたり、階段を踏み外したり、坂を転げ落ちたりするのを心配することもない。なんと恵まれているのだろう、と西川は思った。」

一つ、気になる点を挙げるとしたら、この本で多用されている「ラマ教」や「ラマ僧」といった表記だろうか。こうした呼称は、もともと西洋の研究者がつけたもので、チベット仏教に対する偏見を招くとして、現在では使用されなくなっている。これからも長きにわたって読み継がれていくであろうこの作品で、こうした論議を呼ぶ表記が使われているのは、残念だ。ほかにも、細かい部分で「ん?」と感じた点がいくつかあって、全体的に校閲の力不足という印象は拭えなかった。

どうにか帰国

昨日の朝、ラダックから東京に戻ってきた。

今回の帰路は、いろいろ手間取って、まあまあ大変だった。レーを発つ日は朝から快晴で、これなら問題なくデリーに飛べると安心していたら、搭乗便が直前になって1時間半の謎のディレイ。なんとかデリーの空港に着いた後も、預け荷物が出てくるまでかなり待たされたり、出国審査のカウンターで前に何やらややこしい事情らしき人がつっかえていて、さらに待たされたり。ようやくセキュリティチェックを終えたのは、国際線の搭乗開始の1時間前。空港でお土産を物色する余裕もろくにないくらいの時間になってしまった。

東京までのフライトはANAだったのだが、近くの席に、インドでも最近あまり見かけないくらいダメなおっさんたち二人がいて。あたり構わずゴミを散らかすわ、前後の席にどかどか身体を当てまくるわ、食事を終えて消灯時間になってもずーっと大声でしゃべり続けてるわ。あげくの果てに、隣席で耐えていた日本人女性客に、暗い中でスマホ画面を見せながらしつこく絡み続けるという。別の乗客が見かねてCAさんを呼び出し、件の女性客の方は、空いていた別の席に移動することなった。そんなこんなの騒ぎで、機内では1時間も眠れなかった。いろんな意味で疲れた……。

それでもまあ、昨日は家で、昼も夜も寝まくったので、今朝はすっかり元気になった。なので、ご心配なく。