Category: Diary

「どぶ汁」堪能

昨日の夜は、新刊「ラダック ザンスカール スピティ[増補改訂版]」の制作チームでの打ち上げ。八丁堀の出版社の近くにある海鮮居酒屋にて。

供されたのは、北茨城の漁港から直送されるという魚介の数々。かれいその他の刺身盛り合わせ、平目のえんがわの煮付け、あんこうの刺身、あん肝の天ぷら。そして〆はあんこう鍋。現地では「どぶ汁」と呼ばれる漁師料理だそうで、具は大根とネギ以外、あんこうの各部位とあん肝だけ。水はいっさい入れないそうだ。ものすごく濃厚に見えて、すすってみると意外とさっぱりとした旨み。残りの汁で仕立ててもらった雑炊がまた絶品だった。

生まれてこのかた、これだけ一度にあんこうを食べたのは初めてだったのだが、何だかくせになりそうだ。いつかまた、一冊いい本を作り終えることができたなら、また「どぶ汁」を食べに行こうと思う。

「意見」を読む前に「事実」を知る

今日の取材中、本筋とは関係のないところで、こんな話が出た。

最近、世間に出回っているニュース記事の類には、ニュースというより、それを書いた人の「意見」になってしまっているものが少なからずある。個人のブログであれば根拠のない誹謗中傷でもないかぎり好きに書いていいが、大小問わずメディアの名を背負う者の書く記事であるならば、まずは確固たる裏付けのある「事実」を提示すべきだ。その上で意見表明をしたいのであれば、社説など記名記事の場で論じればいい。

日頃からニュースを読む僕たちの側も、フェイクニュースやデマや扇動の類に惑わされないように、どの記事が真実を伝えているのかを見極める力が必要になる。そのためには、他人の「意見」を読んで安易に鵜呑みにする前に、何が「事実」なのか、客観的な視点で情報を集めて、自分自身で考える習慣を身につけなければならない。

自分の願望と同じ「意見」ばかりを集めても、「事実」の積み重ねである現実を見通すことはできない。

多様性と平行線

一昨日、取材の中で、こんな話題になった。

最近、ニュースなどでよく聞く「多様性」(diversity)という言葉。国籍や人種、性別、宗教、その他の内面的な価値観や意見の異なる人々が、この世界には混在する形で共存していることを指している。ただ最近は、「多様性を認めるべき」という言い方が、ともすると「異なる価値観や意見を持っている人ともわかりあうべき」というニュアンスで使われていることも多いという。

この「わかりあうべき」という考え方は、正直、かなりズレているように思う。というのも、世の中には、どれだけ互いに努力しても、どうしてもわかりあえずに平行線を辿るしかない関係にある人々が、必ず一定数以上はいるからだ。そういう人々とは、お互いにできるだけ干渉せずに平行線のままでいた方が、たいていうまく共存できるはずだ、と。

ある一つの考え方が、唯一無二の正しい答えであるとは限らない。正確な事実に基づいた論拠があれば、別の考え方もまた正解なのだ。その場合は、それぞれの論拠を確認し、認めないまでも、尊重しなければならない。

世の中には、本当にたくさんの、平行線のままでしか共存し得ない人々がいる。その時に忘れてはならないのは、地球上のすべての人間には、守られるべき尊厳と人権があるというルールだ。自分たちの価値観を強要しようとして、相手の尊厳を故意に傷つけたり、人権や身の安全をないがしろにしたりするのは、論外だ。巷に蔓延しているヘイトツイートやヘイトスピーチ、悪意のあるデマの類は、その域を完全に超えている。国会議員にすらそれに加担している輩がいるという事実が、この国の病の深刻さを物語っている。

平行線は、平行線のままで。無理にわかりあわなくてもいいから、お互いの尊厳と人権を、尊重して。

効かない無理

週明けからの3日間、やたら忙しかった。月曜は新刊の件で都内の書店へのご挨拶回り。火曜と水曜は大学案件の取材。特に昨日は、早朝から群馬まで出かけて、1人につき1時間、休憩なしで3人連続でインタビューするという苦行のような取材。帰りの新幹線に乗る頃には気分が悪くなってしまった。

何だかんだで、40代後半のおっさんである。20代や30代の頃みたいな無理は効かない。そもそも、そこまでの無理を自分に強いる理由があるのか、というのもある。金を稼げるなら何でもかんでも引き受けるというのではなく、限られた知恵と体力を、自分が本来やりたいこと、誰かに少しでも貢献できることに、より分厚く振り分けていくべきなのかな、と。

とりあえず、効かない無理をしすぎると、身体がもたないので、ちょっと慎重にならねば。

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芦澤一洋「アーバン・アウトドア・ライフ」読了。前に読んだ「遊歩大全」の訳者の方の著作ということで読んでみた。良書だと思うが、どうも僕は、ある種の「マガハっぽさ」がやや苦手なのかもしれない。

シュラスコの夜

今日は新宿に、シュラスコを食べに行った。

シュラスコというのは南米を中心によく食べられている肉料理で、長い鉄串に刺して焼いたいろんな種類の肉の塊を、ギャルソンがその場でナイフで削ぎ切ってサーブしてくれるというもの。今回行った店は2時間制で、時間内は肉とサラダバーが食べ放題。本の完成を自ら祝うべく、ぱーっとやるか、と乗り込んだ次第。

南アフリカでゲームミートをシュラスコスタイルで食べたのを除くと、シュラスコを食べるのは人生で2回目。前回はシュラスコのシステムを把握しきれないうちにはらぱんになって玉砕してしまったので、今回はいろいろ作戦を考えて臨むことにした。

まず、サラダバーの野菜類は肉の合間の口直し用と割り切って、温野菜とマリネを中心に最小限に。ビールも炭酸で腹が膨れてしまうので飲みすぎないように。肉の運ばれてくるペースが早すぎると感じたら、いったん断る時間帯を作って、自分のペースで皿にある肉を食べ続けられるようにする。

がんばった。ものすごくがんばった。作戦もうまくいったと思う。ほぼ全種類の肉を味わうことができたし、1時間半くらいは食べ続けることができた。まあ、最終的には、やっぱりはらぱんになったけども。

家に帰って体重計に乗ったら、今朝計った時より、1.4キロ増えていた(苦笑)