Category: Diary

マスクとメガネで山歩き


一昨日の月曜日、ひさしぶりに、山歩きに行った。歩いたのは、おなじみの陣馬山から高尾山までの縦走コース。今年の正月明けに行って以来だから、ほぼ11カ月ぶりの山歩きになる。空は快晴で、寒すぎることもなく、気持ちよく歩くことができた。

コロナ禍のご時世なので、今回はマスクを持って行った。ファイントラックのノベルティでもらったマスクで、それほど気密性は高くないが、マスク本体にある程度強度があるので、少々雑に扱っても大丈夫そうなものだ。行き帰りの移動中は当然として、登山道を歩いている時はどうしようかと思ったのだが、周りに誰もいなければマスクを外してサコッシュに入れ、人が多めのところでは装着することにした。今回のルートだと、城山から高尾山の頂上付近のあたりではマスクをつけていた。

結論。僕のようなメガネユーザーが、秋冬の山歩きにマスクをつけるのは、やめた方がいい。寒い上に呼吸も荒くなるので、メガネが曇って足元が見えづらくなり、めっちゃ危ない。つけっぱなしだとどうしようもないので、しょっちゅうマスクをつけ外ししながら歩かなければならなかった。やれやれである。

僕も持っているアンダーアーマーのマスクなどであれば、それなりに気密性が高くメガネも曇りにくいと思うのだが、山歩き中の気温の低さと呼吸の荒さを考えると、万全ではないと思う。山歩き好きのメガネユーザーの方は、マスクの使い方にくれぐれもお気をつけて。

間に合った秋


昨日はひさしぶりに、昭和記念公園へ。人出はまあまあ多かったが、行楽シーズンの連休にしてはそれほどでもなく、公園自体も広いので、このご時世でも割とリラックスして歩くことができた。五浦ハムの絶品のハム焼きにも、ひさしぶりにありつけたし。

名物のイチョウ並木はほとんど散り終えていたが、モミジはちょうどいい見頃で、鮮やかな赤が青空に照り映えていた。ついこの間、iPhone 12 miniに機種変したのだけれど、テキトーに撮ってもよく写る。スマホでこれだけ撮れてしまったら、コンデジの出番はなくなりそう。ガイドブックの取材とかなら、サブカメラはiPhoneでいけてしまうかも。

季節が移ろってしまう前に、すべり込みで秋に間に合って楽しむことができて、よかった。世の中は、まだまだ落ち着かないけれど。

巻き添えを避ける

少し前からの欧米諸国の状況から、ある程度予想されていたことではあるが、日本にもいよいよ、コロナ禍の第三波がやってきた。

この一年間を振り返ってみても、日本の行政の対応はまったくあてにならないとよくわかったので、自分の身は自分で守るしかない。外出中のマスク着用。こまめな手指の消毒。人混みへの外出を避ける。大人数での外食や飲み会も避ける。帰宅後はうがいと手洗いをする。ベーシックな予防対策を、地味に続けていくしかない。あとは、できるだけちゃんをごはんを食べて栄養を摂り、できるだけちゃんと寝て疲労を取り、本を読んだり音楽を聴いたり家で映画を観たりして、心の緊張を緩めることも大事だと思う(逆に、煽情的なテレビ番組やWebサイト、SNSのタイムラインは、見過ぎない方がいいと個人的には思う)。

それと、世の中がこんな風になってくると、コロナ禍に対する危機意識が明らかに低い人や、予防対策などの自己管理能力の低い人、もう自分も他人もどうなったっていいと破れかぶれになっている人なども、少なからず街で見かける。そうした人たちにちゃんとしてくれと強要することはできないが、その人たちの巻き添えを食って自分や家族にダメージが及ぶ結果になるのも、もちろんよくない。

なので、そういう損な巻き添えを避けるためには、街に出る頻度をできるだけ減らして、外出する際には周囲に気を配って用心しなければならない。こう書いてるだけで疲れる話だが、今認可申請中のワクチンが日本で出回る来年の上半期までは、我慢するしかないな、と思う。

書き続ける日々

毎日、本の原稿を書いている。

めちゃめちゃ捗っているわけではないが、悩んで書き澱んでいるわけでもない。日に1、2千字ずつくらいのペースで、淡々と書き続けている。急ぎすぎず、怠けすぎず、慎重に確かめながら、一語一句を積み重ね続けている感じだ。

頭の中の七割くらいは、自分の本の原稿のことでずっと埋まっているので、このブログを書いたりする余裕もあまりなく、他の人が書いた本を読む余裕もなく、いつもぼんやりと考えごとをしているか、モニタとにらめっこしてキーボードを叩いているか、といった日々が続いている。

進捗は、折り返し点を少し過ぎたところだ。この先、一つ二つ、難しそうなポイントが待ち構えている。そこをうまく書き抜けられたら、終わりが見えてきそうな気もする。ただ、本が完成するまで、まだまだ先は長い。草稿が完成したら、次は推敲とリライトだし、校正と編集作業もあるし、春頃までは、まったく気が抜けない。というか、春頃までにそうした作業が完了できるような状態に持っていかなければ、そもそもお話にならない。

がんばるしかないか……。淡々と、少しずつでも。

ありのままを掬い取る

僕は昔から、自分の文章や写真、本などを「作品」とはあまり言わないようにしている。そう呼んでしまうと、自分の中で何かしっくり来ない気がしてしまうからだ。

たぶんそれは、僕が編集者やライターとして、取材相手やデータと四六時中向き合う、リアリスティックな仕事からキャリアを開始しているからだと思う。作家やアーティストの方々のように、ゼロから何かを生み出して、それを作品という形にする、という意識がない(というかそういう創作が自分にはできない)。文章や写真によって何らかの表現を生み出そうとか、主義主張を込めようとか、そういう動機を僕が持ったことは、今までのキャリアをふりかえっても、全然ない。

書いたり撮ったりする時に自分の中で考えているのは、「ありのままを掬い取る」ということ。

目の前で起きたこと、自分で見聞きしたこと、五感で感じたこと、調べて裏を取ったこと、それらを一つひとつ掬い上げて、できるだけ色をつけずに、そのまま差し出す。それらをどう受け止めるかは、読者の方々に委ねる。そのプロセスでの自分の技術やアイデアや努力は、特に評価してもらわなくても構わない。伝えたいことをどれだけありのままに伝えられるかがすべて。自分の本づくりの動機は、それに尽きる。

昔、サントリーのウイスキーの広告に「なにも足さない。なにも引かない。」というコピーがあったが、僕にとっての本づくりも、それに近いのかもしれない。何も足さず、何も引かず、ありのままを掬い取り、本という形に託して伝える。ある意味、それが僕の本づくりの主義主張なのだと思う。