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くやしい思い

この間の「撮り・旅!」トークイベントの打ち上げで、同業者のみなさんと飲んでる時に出た話なのだが。

「してますよ! ここにいるみんな、仕事でくやしい思いは!」

そこにいた方々は全員、豊富な経験と実績と、誰が見ても疑いようのない実力の持ち主ばかり。それでもみんな、くやしい思いをしているのだという。単にプライドを傷つけられるとか、そういう安っぽいことではない。丹精込めて仕上げた作品を雑に扱われたり、自分の思いと相反するようなことを強いられたり。もっといい仕事ができるのに、そうさせてもらえない、というくやしさ。

そういうくやしさを感じた時、我慢した方がいい場合と、我慢すべきではない場合があると僕は思う。そこで自分が譲ることで、仕事の目的(自分の受け持ち部分はともかく全体としていい仕上がりになる、依頼主からの要望に合う、など)が達成できるなら、あるいは譲るべきかもしれない。でも、もし譲ることによって、自分自身のキャリアに悪い影響が出たり、大切にしていた信義を裏切ってしまうのであれば、妥協せずに「それはできません」とはっきり言うべきだ。それで仕事を失うかも、と恐れる必要はない。そんなことでなくなってしまうような仕事は、どうせ長続きしないから。

みんな、それぞれの場所で、それぞれの戦いを続けている。僕自身、未だにくやしい思いのくりかえしだ。できれば、もうちょっと大物になって、無駄な戦いをしないですむくらいの身分になりたいと思うけど、まあ、無理かな(苦笑)。

みっともなくても

昨日はずっと家にいて、一昨日の取材の原稿を書いていた。晩飯にキャベツとコンビーフを煮て、仕事を終えた後、カマンベールチーズをつまみにビールを飲んだ。淡々と過ごした一日だった。

Facebookには、たくさんの人から誕生日祝いのメッセージが届いていた。僕自身はそういうことに無頓着なので、何だか申し訳ない気もする。僕の人生は、たぶんとっくに折り返し点を過ぎ、ぜいぜいと喘いでいるうちに、終わりが近づいているのだな、と思う。

その残された時間の中で、自分に使える力のできるだけ多くの部分を、旅にまつわる本たちを作ることに注ぎ込んでいく。たとえ、どんなにみっともないことになっても、人生が続くかぎり、旅の本にこだわって取り組んでいく。この一年は、そんな覚悟のようなものを、自分自身の中で固めた一年だったような気がする。

とはいえ、まあ、いろいろしんどいけれど(苦笑)、やれるだけやってみようと思う。

出会うことの意味

昨日から、来年1月17日(土)に渋谷で開催する「撮り・旅!」のトークイベント第2弾の告知を始めた。おかげさまで、予約状況もかなり好調な出足のようだ。どうにか定員にまで達するといいのだけれど。

こうしたトークイベントは、ビジネスの観点で見れば、直接的な利益にはほとんどつながらない。今回も旅行会社3社に協賛していただいているけれど、満席になったとして、その入場料と協賛金を合わせても、会場代や出演者の方々への謝礼を引けば、ほとんど残らない。出版社も自発的にはこうした儲からないイベントはあまりやりたがらないので、もっぱら著者側が企画して主導することになる。もちろん、もっと有名な作家の方とかだと全然違うのだろうけど。

では、全然儲からないのにどうしてわざわざ大変な思いをしてイベントをやるのかというと‥‥単純に本のプロモーションのためだから、とは言い切れない気がしている。うまく言えないのだが‥‥自分たちが作った本の読者の方、あるいはこれから読者になってくれるかもしれない人に、イベントという現実の場所で、直接出会ってみたい、と思うのだ。そこで、自分たちが本に託して伝えようとしていたことは正しかったのか、間違っていたのか、ちゃんと伝わったのかどうかを、ほんのいくばくかでも確かめられないだろうか、と。

ともあれ、今回のは、めいっぱい面白いイベントにするつもり。興味のある方は、土曜の午後に僕たちに会いに来てください。お待ちしています。

続・仕事の価値

夕方、仕事中にネットから流れてきたニュースを見て、おや、と思う。とある事件で逮捕されたという人の名前に、かすかな見覚えが。自分のMacに保存しておいたファイルを検索してみると、同じ名前があった。四年ほど前に、ある仕事で依頼されてインタビューをした人だった。

思い返してみると、あの時は、とてもインタビューとはいえない取材だった。約束の時間から3時間以上も会議室で待たされた後、現れたのは本人ではなく助手か何かの人で、その人が資料を見ながらしゃべるのを、本人が語ったかのように記事にしてくれと言われたのだ。遠路はるばる訪ねてきたのに、ずいぶん軽く扱われたもんだなとその時も思ったのだが、さもありなんというべきか。

それでも当時、依頼元はその記事をものにしてたぶん喜んでいたと思うし、僕も原稿料を受け取った。でも、あの仕事に意味があったのかというと、当時の話の内容と、今回の顛末を考え合わせるに、むなしく感じられてしまうのは否めない。もちろん僕にはどうしようもなかったけれど、この世に何の価値も残さない仕事をしてしまった、という気がしてしまう。

仕事って、難しいな、と思う。

バトン

午後、豊田にある大学キャンパスでの取材を終えた後、都心に移動。今夜は代官山蔦屋書店で、九月に亡くなった旅行コンシェルジュの森本剛史さんのお別れの会。

会場には、びっくりするくらい大勢の人が集まっていた。100人は余裕で超えてたんじゃないだろうか。お別れの会というものにありがちな湿っぽさはほとんど感じられなくて、誰もが旧交を暖めながら、森本さんの思い出話をしては笑顔を見せていた。ここに集まった人たちはみな、森本さんが結びつけた人たちなのだ。そう考えながら周囲を見回すと、とても不思議な気持になった。

会の終わりに、会場の壁面に、映像が映し出された。森本さんが住んでいた部屋だった。壁際の棚という棚にぎっしりと詰め込まれたままの、旅にまつわる、ありとあらゆる本。次に書く本の構想を書き留めた分厚いノート。森本さんにとっては、最後の最後まで、すべてが旅であり、本だったのだ。

ふいに、ぽん、とバトンを手渡されたような気がした。いつもの、気軽な調子で。

ヤマモト君、今度はどこに旅に行って、どんな本を作るんだい? いいのができたら、持って来なよ。

それは、最後の最後まで、旅の本を作り続ける、覚悟のようなものなのかもしれない。受け取ったバトンを手に、僕はどこまで走れるのだろう。そう思うと、ぎゅっと、胸が締め付けられるような気がした。