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腑に落ちる

昨日の夜、またしても丑三つ時だったのだが、ベッドに横になってうとうとしてる時に、ぽん、と思いついたことがあった。

それはずいぶん長い間、かれこれ一年近く、どう扱ったものかと思い悩んでいた文章についてのアイデアだった。思いついてしまえば、ある意味とてもオーソドックスな落としどころだったのだが、そっか、それでいいのか、と、僕としてはものすごくすっきりと腑に落ちた着地点だったのだ。まあ、目前の仕事に直接関係のない文章だから、こんな風に今まで頭の中で転がし続けることができたのだが。

とはいえ、これはまだほんの始まりで、これからずんずん、深く深く、潜っていかなければならない。いつかこれを、納得できる形で人に見せられるといいな。

旅との向き合い方

今年に入ってから、トークイベントに出演する機会がやけに多かったのだが、この週末はひさしぶりに観客の立場で、他の方のトークイベントを続けざまに観に行くことになった。金曜の夜は、代官山蔦屋書店での竹沢うるまさんのイベント。そして今日の昼は、4カ月のインドの旅を終えた三井昌志さんのイベントだった。

竹沢さんも三井さんも、「撮り・旅!」での仕事を通じてその人となりはある程度知っているつもりだったが、あらためてこういう機会に話を聞くと、旅との向き合い方、自分自身との向き合い方、写真や文章との向き合い方、本当にそれぞれ個性があって違うのだなと感じた。誰が正しいとか間違っているとかではなく、それぞれが身を以て積み重ねてきた経験を通じて、自らの手で選び取ったものなのだ、と。

僕自身の旅や自分との向き合い方も、竹沢さんや三井さんとはたぶんかなり違う。僕にとってのそれは、心の底から大切だと思える場所を探し続けること。遠く離れていても、大切な人たちを忘れずに思い続けること。もしかするとそれは、もはや旅でも自分云々でもないのかもしれないけれど、僕にとって譲れないものがあるとすれば、それなのだと思う。

‥‥いい年こいて、青臭いこと書いてるなあ(苦笑)。まあいいや。

記憶と言葉

昨日は池袋に出かけて打ち合わせ。夏に発売される予定のムック本に、ザンスカールのチャダルについての写真と文章を寄稿することになった。考えてみると、ラダックやザンスカールについての写真と文章を媒体で発表するのは、結構ひさしぶりだ。ここ最近はスピティが多かったし。

で、昨日今日で写真をセレクトし、レイアウトラフを作り、原稿を書きはじめてみたのだが‥‥いやあ、書けるね。いくらでも書ける(笑)。ずいぶん前の出来事だけど、自分の中で圧倒的に鮮烈に焼きついている記憶があるから、それを必要に応じて言葉に置き換えていけばいい。「ラダックの風息」を作った時も、この時期のことを書くのは本当に愉しかった。

やっぱり、書かれるべき出来事には、しぜんと記憶と言葉が宿っていくのだと思う。

丑三つ時の妄想

新しいアイデアというのは、ふとしたはずみで出てくるものだが、僕の場合、どうもそのタイミングが丑三つ時に集中している。

そろそろ寝るかとパソコンを閉じ、歯を磨いて、布団をめくって中に潜り込み、スヤァ‥‥となりかけたとたん、文字通り、ぽん、と音を立てるようにしてアイデアが浮かんでくるのだ。それは、本や雑誌記事のテーマだったり、タイトルやキャッチコピーの具体的な文言だったり、その時々によっていろいろなのだが。

薄れゆく意識の中で浮かんできたこのアイデア、翌朝もまあ覚えてるだろうとそのまま寝入ってしまうと、僕はまず間違いなく忘れてしまう(苦笑)。なので、睡魔に抗うようにしてむくりと起き上がり、暗闇の中を居間のデスクまで歩いていって、ブロックメモにそのアイデアを殴り書き。それで安心して寝床に戻る。

で、翌朝、あらためてそのメモを見返してみると、なんでこんなのが珠玉のアイデアに思えたんだろう、という場合がほとんど(苦笑)。でも、昨日の丑三つ時に思いついたアイデアは、今朝になって見返しても、そんなに悪くない。うまく形にできるといいな。こんな風にして僕は本を作っている。

再起動

急な打ち合わせが入り、夕方、赤坂へ。3時間近くみっちり話し合いをして、目下最大の懸案事項が、ようやく動き出した。

思い返せば、3月中旬からGW前半まで、平日はほぼすべて取材で埋まり、休みの日もひたすら原稿書きに追われるというきつい日々だったのだが、GWが明けてからは、嘘のようにぱったりと無風状態になった。前々から仕込まれている仕事はいくつもあったのだが、そのどれもが揃って一時停止に陥って、いきなりヒマになってしまったのだ。こういう激しい波があるから、フリーランスはつらい。

まあでも、そんな無風状態も終わり。今日打ち合わせた案件以外にも、いろいろ動き出しそうだし。ようやく再起動がかかった今、夏から秋に向けて、がんばらねば。