Tag: Writing

岸辺へ

昼、荻窪で打ち合わせ。来年の春頃を目指して、ある本を新たな形で作ることになった。

打ち合わせを終え、陽射しが照りつける線路沿いの道を歩きながら、ああ、僕はついに、岸辺に辿り着いたのだ、と思う。この本の原型となるアイデアを思い立ったのは約三年前。それからの日々はまるで、対岸の気配すら感じられない、濃霧のたちこめる海に小舟で漕ぎ出したようなものだった。いくつもの出版社から門前払いされたり、適当にあしらわれたり、反応さえしてもらえなかったり。いったい何度、悔しい思いをしただろう。それでもあきらめられずに、僕はもがき続けてきた。

それから時間が経つうちに、この企画を取り巻く状況も少しずつ変わってきた。アイデアと戦略を軌道修正し、人のつながりにも助けてもらって、ようやく、本当にようやく、僕は今、岸辺に辿り着いたのだ。最終的に作ることになったこの本は、今にして思えば、運命としか言いようがないというか、作るべくして作ることになった本だと思う。

これは僕にとって、ある意味、一番大切な本になるかもしれない。

足跡のない荒野

一昨日、昨日と、僕が仕事でいかにほかの人と競い合わないようにしてるかということについて書いたが、じゃあそれで毎日ラクに過ごせてるのかというと、まったくそんなことはない。むしろ、足跡のない荒野を突っ切ろうとしてる時点で、人よりしんどい思いをしてるのではないかと思う。

一冊の本に自分の思いの丈を込めて作り上げるという作業は、本当に、ものすごい量のエネルギーを消費する。そもそも本を出せるような状況に持っていくには、それだけで何カ月も、場合によっては一年以上もかけて、時に理不尽なことにも耐えながら粘り強く交渉し続けなければならない。いろんなものごととの戦いで、ほんと、ヨレヨレのボロボロになる。今も割とそういう状態に近い(苦笑)。

こんなにつらいなら、やめてしまえばいいじゃないか、と思う時もある。もっとラクな立ち位置に逃げてしまえばいいじゃないかと。でも、やっぱり、ここから逃げるのは、自分の心に背くことなのだ。心の底から作りたいと思える本を作ることのできる可能性があるのなら、それがゼロにならないかぎり、みっともなくてももがき続けるのが、自分の選んだ道なのだと思う。

だからこれからも、誰もいない、足跡のない荒野を歩く。

100人中、何人?

僕は基本的にアマノジャクなので、世の中で100人中100人が「いい!」と言ってるものには、怪しんで近寄ろうとしないところがある。百万部のベストセラーの本とか、大ヒット街道爆進中の映画とか、ヘビロテされまくりの歌とか、長い行列のできるパンケーキ屋とか。それは感覚的にひねくれてるところがあるからだろうな、と自覚している。

文章なり写真なりで本を作る側の立場からすると、ビジネスの視点だけで考えれば、100人中100人が「いい!」と喜んで買ってくれるような本づくりを目指すべきなのかもしれない。でも、そうしたアプローチはほぼ間違いなく、うまくいかない。何を伝えたいのかがぼやけて、結局、面白くも何ともないものになってしまう。少なくとも、ひねくれ者の僕は、そういう本を面白いとは思わない。

少なくとも本づくりに関しては、作り手自身が面白いと思えるものをぶれずに目指すのが一番いいと思う。それが、100人中1人にしか届かなかったとしても、その1人の心をほんの少しでも動かすことができたなら、その本には、この世界に存在すべき価値がある。

腑に落ちる

昨日の夜、またしても丑三つ時だったのだが、ベッドに横になってうとうとしてる時に、ぽん、と思いついたことがあった。

それはずいぶん長い間、かれこれ一年近く、どう扱ったものかと思い悩んでいた文章についてのアイデアだった。思いついてしまえば、ある意味とてもオーソドックスな落としどころだったのだが、そっか、それでいいのか、と、僕としてはものすごくすっきりと腑に落ちた着地点だったのだ。まあ、目前の仕事に直接関係のない文章だから、こんな風に今まで頭の中で転がし続けることができたのだが。

とはいえ、これはまだほんの始まりで、これからずんずん、深く深く、潜っていかなければならない。いつかこれを、納得できる形で人に見せられるといいな。

旅との向き合い方

今年に入ってから、トークイベントに出演する機会がやけに多かったのだが、この週末はひさしぶりに観客の立場で、他の方のトークイベントを続けざまに観に行くことになった。金曜の夜は、代官山蔦屋書店での竹沢うるまさんのイベント。そして今日の昼は、4カ月のインドの旅を終えた三井昌志さんのイベントだった。

竹沢さんも三井さんも、「撮り・旅!」での仕事を通じてその人となりはある程度知っているつもりだったが、あらためてこういう機会に話を聞くと、旅との向き合い方、自分自身との向き合い方、写真や文章との向き合い方、本当にそれぞれ個性があって違うのだなと感じた。誰が正しいとか間違っているとかではなく、それぞれが身を以て積み重ねてきた経験を通じて、自らの手で選び取ったものなのだ、と。

僕自身の旅や自分との向き合い方も、竹沢さんや三井さんとはたぶんかなり違う。僕にとってのそれは、心の底から大切だと思える場所を探し続けること。遠く離れていても、大切な人たちを忘れずに思い続けること。もしかするとそれは、もはや旅でも自分云々でもないのかもしれないけれど、僕にとって譲れないものがあるとすれば、それなのだと思う。

‥‥いい年こいて、青臭いこと書いてるなあ(苦笑)。まあいいや。