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書き手から編み手へ

今年の初夏に出す予定の新しい本。草稿を書き上げてから1カ月ほどかけて、推敲とリライトに取り組んできたものが、とりあえず完成。各種素材と一緒にまとめて、担当編集さんに送信。

去年の夏の終わりから、かれこれ半年ほど費やして書き続けてきた原稿が、ようやく手を離れたので、ものすごくほっとした。書き終えてしまった、という一抹の寂しさはあるけれど、読んでいただくに足る本を書かなければ、というプレッシャーもそれなりにあったので。

この後は、担当編集さんとデザイナーさん、校正者さんとともに、本格的な編集作業が始まる。僕自身も、書き手から編み手の一人に立場を切り替えて、本を仕上げていく工程に関わっていく。一行々々、一字々々に神経を使う工程になるけれど、本が形作られていくのを目の当たりにできる、楽しみな工程でもある。がんばろう。

……と、その前に、確定申告を済ませておかなければ……(汗)。

最初の読者

昨日は都心で打ち合わせ。出版社の編集者さんと、今年の夏に出す予定の本について。

本は、人によっていろいろな書き進め方があると思うが、僕の場合、書き上げた草稿に最初に目を通してもらうのは、担当の編集者さんになる。もちろん、草稿を読んでもらった後に修正が必要な部分をあれこれ相談して、推敲とリライトで文章を仕上げていくのだが、僕以外の人間で新しい本に目を通す最初の読者であることには変わりない。

だからいつも、草稿を書き上げた後の打ち合わせでは、どんな感想や意見を言われるのか、実はめちゃくちゃ緊張する。これまでそれなりの数の本を書いてきているのに、だ。自信がないというか、小心者というか、何というか……。自分なりの信念を込めて、全力を傾けて書いてきたからこそ、かえって怖くなるのかもしれない。

今回の本の草稿を読んだ担当編集さんの感想は……ここでは書くのを止めておこう。これから丁寧に、手を抜かずに編集して、きちんと本に仕上げてから、読者の方々一人ひとりに、委ねたいと思う。

オーバーヒート

今週、水曜の朝くらいから、ちょっと調子がおかしくなった。

半年に一度くらい、たまになる症状なのだが、眼精疲労が限度を超えて、前頭葉がどろりと重く痺れたような感じになり、まったく作業に集中できなくなってしまった。原因は、仕事で根を詰めすぎて過集中の状態が続いて、それを回復させるのに見合う睡眠時間が十分取れていなかったからだと思う。

この状態になってしまうと、本の原稿のリライト作業などは全然無理なので、あきらめて、ベッドに横になってひたすら寝ることにした。眠れない時間でも、目を閉じて横になって、とにかく目と脳を休める。それだけでも、回復度合はずいぶんと違う。

どっぷり眠り続けたおかげで、木曜はだいぶ持ち直し、日中は理髪店まで歩いて出かけられるくらいにまでなった。今日はもう、すっかり回復。目も脳もしゃっきりリフレッシュしていて、原稿のリライトもすいすいはかどった。

若い頃は、こんな風に目と脳がオーバーヒートするまでの限界値も、もっとずっと高くて、無理して粘れていたような気もする。まあでも、それできっちり結果を出せていたかと言うと、それほどでもない気もする(苦笑)。なので、おっさんとして身の程をわきまえつつ、これからも休み休みやっていこうと思う。

推すか敲くか

今年出す予定の新しい本。草稿は三週間ほど前に書き終わり、今は推敲とリライトの作業に入っている。

スケジュールが許すなら、原稿の手直しには時間を使えるだけ使いたいのだが、もちろんそういうわけにはいかない。今回の本の場合、二月末までには原稿を仕上げて、編集者さんとデザイナーさんの手に委ねなければならない。あと一カ月。ほかの仕事もこまごまと入ってきているし、時間の猶予はもうあまりない。

そもそも今回の原稿、はたして面白いのかどうか、それすら確信が持てなくてぐらぐらしてるのだが、どうなんだろう。この自信の持てなさかげんは、最初の単著の本を書いた時から、まったく進歩していない(苦笑)。まあ、一生こんな感じなのだろうな。

というわけで、もうしばらく、推すか敲くかで悩む日々が続きそうである。

旅行作家と旅写真家は滅亡するか

自分で文章と写真を手がける形で旅の本を作るようになって、かれこれ十数年が経つ。世間一般のカテゴリーにあてはめると、僕の職業は、旅行作家(トラベルライター)兼旅写真家(トラベルフォトグラファー)ということになるのだろうか。まあ、それ以外に編集の仕事もしているし、旅行関係以外の仕事も、あれこれやっているのだが。

で、この文章の表題になるのだが、旅行作家や旅写真家という職業がこれからの社会で生き残る余地は、ますます少なくなっていくと思う。今の時点でも、紀行文だけで食えている旅行作家は、国内でも数えるほどだろうし、旅の写真だけで生計を立てている旅写真家も、おそらくほんのわずかだ。ほとんどの人は、国内外でいろんな仕事を掛け持ちしながら、その中で旅行関係の文章を書いたり、あるいは旅先の写真を撮ったりして、依頼に応じてそれを仕事に変えている。

総収入における旅行関係の仕事の収入の割合は、誰も彼も、おそらくどんどん目減りしていると思う。旅の文章や写真の仕事ができる媒体が、めっきり少なくなったからだ。以前は僕も、雑誌の巻頭グラビアなどに写真紀行を時々寄稿していたが、最近は雑誌の数も減って、生き残っている各誌も予算は少なく、取材費も出ないところがほとんどだ。ガイドブックや旅行系ムックの取材や撮影も、ギャラの相場はどんどん下がっている。最近は、あちこちの旅行情報系Webサイトで、手持ちの写真と情報を使ってライトな記事を量産して、糊口をしのいでいる人も多いようにお見受けする。

Webを介した情報ツールの発達によって、旅のスタイルが大きく変わり、難易度が大幅に下がったことも大きい。Webで検索して調べれば、旅の情報収集からプランニング、ビザや交通手段や宿の手配まで、誰でも簡単にできるようになった。現地のSIMを入れたスマホを持っていれば、道に迷うこともない。最短距離で空港から宿まで直行し、絶景や名所旧跡は一カ所も見逃さず、食事も買い物も絶対にハズさない。性能の良いスマホのカメラで撮られた写真は、あっという間にSNSでシェアされていく。世界中のほとんどの場所への旅が、誰でも体験し、共有できるようになった今、旅行作家や旅写真家が求められる機会は、どんどん減っている。

たとえば、文章または写真が得意で、世界一周旅行をした人がいたとして、旅行記か写真集を運良く出せたとしても、その人が旅行作家あるいは旅写真家を職業としてずっと続けていくのは、今はとても難しい。実務経験の乏しい人が、文章力や撮影技術だけを売りにして、何か旅行関係の仕事がしたいと漠然と売り込みに行っても、たぶんほとんど相手にされない。WebやSNSには、素人目にはその人の作品とそう大差ない品質の、一般の旅行者による写真や文章があふれかえっているからだ。

さらに、昨年来のコロナ禍で、旅行作家も旅写真家も、あとしばらくは取材に出ることすらままならない。いつかはコロナ禍も沈静化し、旅行のニーズも復活してくるだろうが、すでに壊滅的なダメージを受けている旅行業界に、旅行作家や旅写真家を景気良く起用する余力が残っているとは思えない。

「文章や写真で、旅を仕事に」という、かつて多くの人が夢見たであろう道は、今やすっかり、いばらの道になってしまった。

それでも、職業としての旅行作家、あるいは旅写真家を目指していきたい、という人には、何かしらの特殊な武器が必要だと思う。特定の地域や文化に異様に詳しいとか、特殊な言語が堪能だとか、何か人には真似できないスキルがあるとか。そういう尖った武器がまずなければ、文章力や撮影技術で勝負できる土俵にすら登れない。そして、そういう武器をうまく活用できるようなアイデアを自分で企画し、提案し、実現する能力も必要だと思う。ほかの旅行作家や旅写真家と明確に差別化してもらえる尖った武器や企画を揃えて初めて、このいばらの道を切り抜けられる可能性が出てくる。

そうは言っても、これまでにある程度の実績を積んできた旅行作家や旅写真家は、たいてい、それぞれ何かしら特殊な強みをすでに身につけている。その間に割って入って、生き残ることのできる領域を見出すのは、たやすいことではない。僕も含め、多くの同業者がそうであるように、国内外でいろいろな仕事を掛け持ちしながら、その中で旅行関係の仕事ができるならうまく捌いていく、という取り組み方が、一番現実的な落としどころなのだろう。仕事を旅一辺倒にしてしまうとリスクが大きすぎることは、コロナ禍で証明されているし。

大切なのは、職業的な肩書きがどうとかではなく、文筆家として、あるいは写真家として、その人が旅というテーマを通じて何を生み出せるか、何を世の中に残せるか、だと思う。SNSで右から左に流れて一瞬で消費されるものではなく、人の心にずっと長く留め置かれるような価値のあるものを、作り出せるかどうか。基礎技術、武器となる強味、企画力、提案力、実行力、そして何より、熱意。それらを高いレベルで持ち合わせている人は、世の中がどうとか関係なく、必ず社会に爪痕を残す。

ふりかえって、自分は、どうだろうか。……全然、まだまだだな(苦笑)。頑張ります。