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セーフティーゾーン

終日、部屋で仕事。タイのゲラチェックに取り組む。

この作業、先週末から他のいろんな予定の合間に少しずつ進めていたので、今日と明日を自宅作業に充てれば、まずまず余裕を持って着地できる、はずだった。ところが今日の夕方、版元から急に追加リクエストが来て、かなり作業量が増えてしまったのだ。もし、今週の木曜と金曜は自宅作業ができるからと楽観視して、週末から今日までの細かい合間に作業を進めないでいたら、相当ヤバかったんじゃないかと思う。

編集の仕事で進行管理をする時、もし何か突発的な事態が生じても切り抜けられるようなセーフティーゾーンを設けておくことは、結構大事だ。老婆心といえばそれまでだが、今回に限らず、実際に何度もそれでギリギリ切り抜けてきた経験があるし。

まあ、一番いいのは、何事も起こらずにすべてが穏便に進行することだけど、正直言って、この業界でそんなことはめったにない(苦笑)。

離れていても

昨日の夜は、所用で上京していたティクセの裕子さんと、新宿でお会いした。ひさしぶりにアカシアに行って、ビーフシチューを食べた。

裕子さんは春から夏にかけての半年をラダックで、残り半年を日本で過ごす。夏は自身の旅行会社などの仕事をし、冬は日本で介護やセラピストの仕事をしている。ご主人のツェワンさんは、ラダックで旅行会社やタイル製造会社の仕事をしている。一人娘のミラちゃんは、ヒマーチャル・プラデーシュ州にある寄宿学校で暮らしながら勉強している。それぞれが自ら望んで、お互い納得して、その選択肢を選んでいる。

三人とも離れ離れに暮らしている時間がかなり長いと思うのだが、こんなに深い愛情で結びついている家族は、日本でもそんなに多くないのではないかと、僕は思う。人と人の心をつなぎとめるものには、距離など関係なく、いろんな形があるのだ。

ツェワンさんやミラちゃんの話をしながら笑う裕子さんは、本当に嬉しそうだった。これからも三人、仲良くお元気で。

一人だから伝えられること

月曜の夜は珍しく、家でテレビを見ていた。スピティでの取材コーディネートを担当した番組「地球絶景ミステリー」を見届けねば、と思って。

放映される予定の映像には前にナレーションの内容チェックのために目を通していたし、そもそもスピティ自体、今年だけでなくずっと前から通い続けてある程度見慣れている土地だから、番組を見ていても感動云々というより、「あの時のトラブルは大変だったなあ」とか「さらっと流れてるけどこの時の苦労も大変だったなあ」とか、現地で苦労した記憶ばかりが甦って困った(苦笑)。ともあれ、無事に放映まで漕ぎ着けたスタッフのみなさんの努力には、本当に感謝の言葉しかない。

で、火曜の夜は、そのスピティ取材でご一緒したスタッフのお一人と、その方の知人で映像関係の仕事をされている方とで、神泉の居酒屋でお酒をご一緒してきた。本づくりの仕事をしているだけでは接点が生まれなさそうな映像の世界に携わる方々と、こんな風に出会えるきっかけをもらえたのも、今回のスピティの仕事があったからだと思う。世の中、何がどんな風に巡るかわからない。

テレビをはじめとする映像の「伝える力」は強力だ。ただ、その力を完全に発揮するには、一般の人が想像する以上に大がかりな準備をして、人材と機材を投入し、膨大な量の素材を撮影・収録しなければならない。テーマとタイミングによっては、そうしたアプローチが適さなかったり、準備が対応しきれない場合もある。僕みたいなのがカメラを担いでふらっと一人で旅をして、本を作って伝える方が適しているテーマは、確実にあるはずだ。

一人でもできること。一人だから伝えられること。僕が取り組むべきなのは、そういう分野なのかなと思う。

South Africa, Into the Wild

ひたむきさ

ここしばらく、自分がこれまでラダックで撮影してきた写真のアーカイブを、一から見直す作業をしている。

昔、ラダックに長逗留しはじめた頃に撮った写真を見ていると、ほんとにヘタクソだったなあと痛感する。ミスショットも含めてアーカイブをチェックすると、カメラを構えながら焦ってあたふたしてたのがまるわかりで、使える写真も全然少ない。この程度のウデでよくもまあ、と我ながら思う。

写真も、あと文章も、スキルの面だけで言えば、今の自分の方がずっと上だとは思う。そりゃそうか、ラダックに長逗留していたのは8年も前だし。ただ、自分自身の代表作と呼べるような写真、あるいは文章はと考えると、「ラダックの風息」を超えるものは世に出せていないのではないかとも思う。

たぶんそれは、あの頃ならではの無我夢中なひたむきさとまっすぐな気持が、スキル云々を超えて、ほんの時折、幸運をたぐり寄せていたからだろう。ものにした、というより、たまたま撮らせてもらえた、経験させてもらえた、そのささやかな積み重ねが、あの一冊になった。

僕に限らず、代表作というものは、往々にしてそんな風に生まれるのかもしれない。スキルを超えた、ひたむきさによって。