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この一行のために

夏からずっと取り組んでいる本の草稿の執筆も、そろそろ終盤に差し掛かってきた。

今日は、この本の中で、一番大切な部分の文章を書いた。全体を書き始める前から常にイメージし続けていた文章だし、そもそも現地で取材していた時から「この話は、何が何でも書かねば」と思い詰めていた文章でもあった。この本を作るというプロジェクトそのものを、僕に決意させた文章だ。

書く作業自体には、何の迷いも苦労もなかった。頭の中で、長い間、ずっと思い浮かべてきた文章だったし。でも、慎重に書き終えて、読み返して確認し、形を整え終えたとたん、ほっとして、かくっ、と力が抜けてしまった。ようやく、これを書くことができた。この一行のために、ここまで10万字以上、積み重ねてきたのだ。

本全体を締め括るまで、あともう数千字から1万字くらいは書かなければならないし、その後は果てしのない推敲作業が待っている。台割も確定させて、写真を膨大な数の中からセレクトしなければならない。編集作業、校正作業、色校チェック……道程は、まだまだ遠い。

でも、今日はもういいや。力が抜けた。今夜は寝る前に、ボウモアでオンザロックを作って、ちびちび啜ろうと思う。

マイルの行方

年明けに1週間ほど、台湾に行こうと考えている。

というのも、全日空とスターアライアンスのマイルがそれなりにたまってきていて、その一部が来年6〜8月頃に期限切れを迎えてしまうから。で、距離的にも時期的にもさくっと行けて、無駄なくマイルを消化できそうな目的地として、年明けの台湾が候補に浮上した次第。何だかんだでまだ未踏の地だし、ぷらっと一人旅するには手軽で面白そうだなと思って。

で、だいぶ前、確か8月末くらいに台北までの往復航空券を予約しようとしたのだが、往路は取れたものの、復路が空席待ちでしか申し込みできず、12月に入った今の時点でも取れていない状態。発券期限まであと3週間。はたして取れるのだろうか……。そんなこんなで、まだ台湾に関する情報集めも予約もろもろも、何もしていないのだが。

……取れなかったら、バンコク経由でまたルアンパバーンにでも行こうかな。それとも、今マイル半額キャンペーン中のチェンナイとか。

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ジュンパ・ラヒリ「べつの言葉で」読了。ベンガル人の両親のもとに生まれ、アメリカで育ち、世界的に有名な作家となったラヒリは、まったくのゼロの状態からイタリア語を学び、家族とともにローマに移住し、ついにイタリア語でエッセイや小説を書くまでになった。ベンガル語と英語の間で揺れる自身の存在の不確かさを、イタリア語を引き入れることによって自らの手で掴み取り、切り拓こうとする。その勇気たるや。すごいなあと思う。

再び極北へ

来年の夏の終わり頃に計画しているアラスカへの旅の準備を、少しずつ始めた。まだ、おおまかな日程を考えて、現地に問い合わせを入れた程度だが。

今年は、年明けにザンスカールで結構厳しい取材に挑んで、その時の話を本にするために今も原稿を書いているところなので、正直、アラスカの方に振り分ける時間と余力が、まったくなかった。来年の春までに今取り組んでいる本を無事に完成させられれば、夏以降はある程度余裕ができるはずなので、来年こそは、と思い立った次第。アラスカ関係には、今くらいの時期から動いておかないと間に合わなくなる手配もあるので。

ひさしぶりに、あの極北の空気を吸いに戻れるかも、と思うと、心がすっと軽くなる。ラダックやザンスカールとは違う形で、アラスカという土地に親しみと憧れを感じている自分がいる。

アラスカでの撮影取材に一人で取り組むようになって、デナリ国立公園でのキャンプ、南東アラスカの無人島、厳寒期のロッジ滞在、北極圏の村への訪問など、いくつかのトライを積み重ねてきた。「アラスカについて、まとめた形で発表しないんですか?」とよく訊かれるのだけれど、今までの旅のエピソードをそのまま写真と文章という形でまとめるのは、自分的に何かしっくりこないというか、納得しきれない感触がある。今まで積み重ねてきたものはまったく無駄ではないとは思うのだが、アラスカについて、自分自身が「これだ」と納得できるものを形にするには、違うアプローチが必要になりそうだ、と感じている。逆に言えば、中核となる「何か」を形にできたら、今までの蓄積もすべて活かせるとも思っている。

うまく言えないが、来年の計画も含めて、今までのアラスカでの旅の経験をさらに積み増ししていくことで、そう遠くない将来に「これだ」と思えるトライをできるのではないか……と、ぼんやり考えている。経験、スキル、視点、思考……いろいろ含めて。

ともあれ、来年は、再び極北へ。楽しみだ。

「旅の時間」を書く

僕が今書いているのは、今年初めにザンスカールを旅した体験についての本だ。ガイドブックや雑誌向けの短い写真紀行とかではなく、一冊の本としての旅行記を書くのは、2009年に初版を出した「ラダックの風息」以来になる。ただ、同じ旅行記というジャンルでも、あの時と今とでは、書き方にかなりの違いがあると感じている。

ラダックの風息」の時は、足かけ約1年半という長い期間の中で経験した、きらっきらに輝く宝石のような出来事を拾い集め、一番良い形で輝くようにカットして磨き上げ、季節の移ろいに合わせて綺麗に並べて仕上げる、という感じの書き方だった。少なくとも、僕の中では。

今回の本はそれとは対照的で、準備期間を含めて約4週間という短い旅の経験を、日記形式のような形で書き進めている。毎日何かすごいことが起こるわけではもちろんなく、どちらかというと地味な展開の日の方が多い。きらっきらの宝石のような出来事もいくつか経験したが、それらの宝石は、どうということのない旅の時間の流れの中に、半ば埋もれている。

きらっきらの宝石の輝きをシンプルに活かすなら、「風息」の書き方でいい。あの本はそれでよかった。ただ、本の中に流れる旅の時間に読者を引き摺り込むのであれば、今回の本のテーマの選び方と書き方の方が合っている。興奮も、喜びも、安堵も、焦りも、疲労も、一行々々にみっしりと詰まっている。逆に言えば、本の中に流れる旅の時間をいかにうまく伝えるかということに、今回は非常に心を砕いている。ほんのちょっとした間の取り方や、書くべきことをどんなさじ加減で書くか、書かなくても大丈夫なことをどうやって決めて省いていくか。今までの書き仕事では経験したことのない挑戦をさせてもらっているように思う。

あえてたとえるなら、大きなモザイク画を作っているような感覚だ。大小さまざまにきらめく断片を拾い集め、一つひとつ丹念に並べて敷き詰めていって、最後に、無数の小さなきらめきの集合体である一つのモザイク画に仕上げる。その時に立ち現れるはずのイメージが、ここまで書き進めるうちに、ようやく、うっすらと見えてきたような気がする。

今年もぐなぐなに

去年と同様、今年のタイ取材でも、帰国直前に少し時間ができたので、自腹でタイマッサージを受けに行った。訪れたのは去年と同じ、バンコクのBTSオンヌット駅近くのマッサージ店が集まる一角。店自体は去年と違うところに入ってみた。

去年は足を中心にした1時間コースだったが、今年は上半身もかなり疲れていたので、上下合わせて2時間コースでお願いしてみた。今回担当してくれたのは、三十代くらいの男性のマッサージ師。マッサージオイルを使いながら、足の指の一本々々から、ゆっくり、きめ細かく、丁寧に施術してくれた。

僕の筋肉は相当に凝り固まっていたはずだったが、マッサージを受けている間、痛さに顔を歪めたり、不用意な加圧で筋が攣りそうになったりしたことは、ただの一度もなかった。どこまでも、丁寧に、なめらかに、一つひとつの筋肉を慎重に揉みほぐしていく。僕自身、学生時代は運動系の部にいたのでマッサージにもそれなりに慣れ親しんできたつもりだったが、今回バンコクで受けたのは、今まで経験したことのないような、別次元のマッサージだった。

本当に上手なタイマッサージというのは、こういうものなのか……。全身ぐなぐなに揉まれながら、何というか、タイマッサージの真髄に触れられたような気がした。