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春を飛び越えて

桜が咲いたと思ったら、ほんの一週間ですっかり散ってしまって、今は若葉が青々と繁っている。今日は暑かった。27度くらいまで上がったらしい。春を飛び越えて初夏になってしまった感じだ。

毎年この時期は、大学案件の取材の仕事が立て込むので、かなりせわしない。あと、なんでかこの時期に自分で書いた本の編集作業が重なることが多く、去年に引き続き、今年ももろにかぶっている。来週明けには初校が出てくる予定なのだが、よりによって来週は、平日の四日間だけで七件も取材が入っているのだ。一番忙しい時期がかぶってしまうこの現象を、何と名付けたらいいのだろう(苦笑)。

新しい本の刊行時期は、九月に決まった。時間的には余裕があるように見えるが、校了は六月末の予定。なぜかというと、七、八月はラダック方面の取材を計画しているので、九月発売の方が、著者が関わるプロモーション活動を発売のタイミングに合わせやすいからだ。僕の都合というか要するにワガママなのだが(申し訳ない)、九月開催ですでに決まっているイベント的な企画もあるので、続報を待たれよ、というところである。

それより何より、まずは、来週からGWにかけての修羅場を、どうにか乗り切らねば……。

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ウィリアム・ダルリンプル『9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて』読了。インドの多種多様な信仰に生きる人々の姿を切り取った、壮大なノンフィクション。膨大な調査と緻密な取材、あらゆる予断を排したロングインタビュー、流麗な筆致、卓越した構成力……。個人的には、ジャイナ教の尼僧の話と、ダライ・ラマ法王14世の亡命時の警護を務めたチベット仏教の老僧の話が、強く印象に残った。こういう本に出会うと、自分も、書き手の一人としてもっと頑張らねばな、とつくづく思う。良い本だった。

次のフェーズへ

午後、表参道方面へ。今年の夏頃に出す予定の新刊の、デザインについての打ち合わせ。

去年出した「インドの奥のヒマラヤへ」と同じ方々にご担当いただくので、作業の進め方をお互い共有できているから、その点ではかなり心強く、安心してお任せできる。あとは、編集段階での著者校正と、入校前の色校正に、しっかり集中して取り組まねば、だ。

正直、自分が書き下ろした原稿、いまだにあれで大丈夫なのかどうか、自分で自信が持ち切れないでいるのだけど(汗)、ここまで来たら、次のフェーズへと突っ走っていくしかない。常に最善を目指し続けていれば、たぶん、一番良い形に収まる、はず。たぶん……。

校了まで、がんばろ。それしかない。

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焦桐『味の台湾』読了。素晴らしかった。今年これまで読んだ中ではベストの一冊。台湾ならではの食べ物や飲み物について、ひたすら滔々と綴られているのだけれど、その中に、著者自身の人生の光と影が、漂うように滲んでいて。この本に書かれていたことを思い出しながら、いつかまた台湾を訪れたい。

「バター茶の味について思い巡らすこと」

教育と心理学を専門とする出版社、金子書房のnoteに、「バター茶の味について思い巡らすこと」というエッセイを寄稿しました。同社noteで組まれている特集「自己と他者 異なる価値観への想像力」というテーマに沿う形で執筆しています。

シンプルな内容のエッセイですが、読んでみていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

停電で一騒動

昨日の夜中、宮城県沖の深海で、大きな地震があった。東京も震度4くらいだったか、それなりに揺れた。

揺れ以上にびっくりしたのは、停電だった。東京都内だけで、200万軒以上が停電したそうだ。福島県などにある火力発電所が4カ所くらい停止して、電力の需給バランスを保つための装置が作動した結果らしい。僕の自宅のある界隈では、結局、1時間くらい停電が続いた。東京でこんなに長時間の停電を突発的に経験したのは、初めてかもしれない。

夜中の1時過ぎに電気は通じるようになったのだが、困ったのは、固定電話とインターネットの光回線が、復旧しなかったこと。今朝になってもつながらないままなので、マンションの管理会社に電話して相談。管理会社がNTTに連絡したところ、地震の影響で依頼が立て込んでいて、確認作業に来れるのは夕方頃になってしまうと知らされた。

困った。今日は昼過ぎから自宅で、リモート取材の仕事が入っていたのだ。復旧の見込みが立たないと知らされたのも午前中の遅い時刻だったので、取材の依頼元に連絡して、あれこれ調整を試みる。取材日を来週にずらせないかとか、取材時刻を遅らせて、その間に依頼元の東京支社に僕が出向くかとか、僕の代わりに依頼元の編集担当の人が取材するかとか……。文字通りのどたばた騒ぎになってしまった。

そうして、取材予定時刻の20分前になった頃、何の前触れもなく、急に光回線の接続が復旧した。理由はわからないが、たぶん、どこかよその場所でトラブっていた中継機器が修理された際に、うちの回線も一緒に復活したのではないかと思う。

本当にギリギリの土壇場で、取材に対応できることになり、あわてて身支度と準備を整えて、本番に突入。どうにか無事に捌き切る。終わった後は、本当にいろんな意味で疲れ果ててしまって、布団に潜ってしばらく寝てしまった。寝不足だったもんなあ、昨日の夜も。

願わくば、でかい余震など、起こりませんように。

本をつくる意味

本の原稿を書く時は、なるべく心穏やかに、集中して、できれば楽しい気分で取り組みたいと思っているのだが、なかなかうまくいかない時もある。

今までで一番きつかったのは、2011年に、ラダックのガイドブックの最初のバージョンの取材と執筆に取り組んでいた時期。その年は東日本大震災で日本中がしっちゃかめっちゃかだった上に、夏には父が急逝してしまったので、仕事に気持ちを向かわせるのが本当に難しかった。一昨年来のコロナ禍も大変というか、先行きが不透明すぎて、仕事のペースをコントロールするのが難しかった。それは今もだけど。

で、昨日勃発した、ロシアのウクライナ侵攻。自然災害や疫病なら、人間では完全には防ぎ切れない現象ではあるが、戦争は、100パーセント、人間の所業によるものだ。愚かな独裁者の凶行によって、死ななくてもいい人々が大勢死につつある。そのやりきれない現実に、気持ちがぺしゃんこに押し潰されそうになる。

自分みたいな人間が、文章を書いたり、写真を撮ったり、本を作ったりすることには、何の意味も価値もないのではないか。あっという間に虚しく消えていく文字列を、独りよがりにキーボードで叩いてるだけなのではないか。

正直、わからないし、自信も持てない。それでも今、自分にできる精一杯のことは、本をつくるという仕事だ。意味や価値があるのかどうかわからないけれど、ほんのわずかでも自分の中で信じるに足る何かがあるなら、それを言葉にして、本に記録して、残していこうと思う。

今書いている本には、偶然だが、ロシアでの体験の話も出てくる。あの時自分が見た、ありのままのあの国の姿を、伝える努力をしようと思う。