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普段の倍

午後、リトスタへ。今作っている本に必要な、ある方へのロングインタビューの収録。

長尺の取材だと特にそうなのだが、僕の場合、誰かにインタビューをする時は、普段の倍、脳みそを使う。頭の中の半分は、相手の方の話を聞きながら相槌を打ったり問いかけを挟んだりしつつ、残り半分では、この展開で原稿として大丈夫か、何か足りない要素はないか、そのために必要な質問は何かと、必死になってぐるんぐるん考える。そんな状態なので、取材が終わる頃には頭が疲れてぼーっとなって、考えごとをするのがしんどくなるくらい。

今日の取材はうまくいったのかな‥‥。「楽しかったですよ」と言っていただけたのは、ありがたかったけど。原稿、がんばらねば‥‥。

自転車でロケハン

昼、ひさしぶりに愛車ブロンプトンに乗って、野川公園へ。仕事から逃避するためのサイクリングではなく(笑)、一週間後に予定している撮影のロケハンのためだ。とはいえ、雲一つない冬空の下、澄み切った空気の中で自転車を走らせるのは心地いい。

公園の入口で同じく自転車で来たカメラマンさんと落ち合い、公園やその周囲、野川沿いの自転車道をゆっくり走りながら、どこでどんな風に撮影するかを相談する。太陽の位置から影が伸びる時間帯を推測して撮影ポイントを回る順番を検討したり、休憩や車移動のタイミングを考えたり。当日、天気にさえそこそこ恵まれれば、きっといい撮影ができると思う。

今回の撮影は、編集者としてのディレクションに徹するので、正直言って、ものすごく気が楽。今年の夏、ラダックでソナム・ワンチュクさんにインタビューした時は、企画・取材・執筆・撮影・編集と、何から何まで一人でやるしかなかったので、現場では本当に頭がパンクしそうなくらいテンパっていた。あの目まぐるしさに比べれば、どうってことない。

‥‥と言いたいところだが、明日はその企画に必要なロングインタビューの収録。執筆と編集はやっぱり兼任なのであった。いつまでたっても慣れない、取材前にのしかかってくる、プレッシャー。そんな師走のはじまり。

縛りのない本づくり

午後、銀座で打ち合わせ。これから作る本に必要な写真の撮影について、カメラマンさんと編プロの方を交えて打ち合わせ。いつどこで撮影をするか、とか、来週自転車でロケハンしてきましょうか、とか。

制作に際しては、編集を担当する僕の方からある程度コンセプトを提案してはいるのだが、「こうしなければいけない」と決め込んだ指示は、カメラマンさんにもデザイナーさんにもあまりしないようにしている。ある程度イメージを共有しつつ、それぞれの持ち味を発揮してもらった方が、いい結果が得られるような気がするからだ。

こういう、ある意味ゆるりとした作り方ができるのは、今回の本が、書店ではない場所で、特定の層の人々に、ある程度限られた数で販売される、という事情があることも大きい。余計な縛りを気にすることなく、一冊の本として良いものを作ることだけに集中できる。

というか、本づくりとは本来、常にそうあるべきなのだけれど。巷の出版社を介しての本づくりは、なかなかそうはいかない昨今の世知辛さ。

一人だから伝えられること

月曜の夜は珍しく、家でテレビを見ていた。スピティでの取材コーディネートを担当した番組「地球絶景ミステリー」を見届けねば、と思って。

放映される予定の映像には前にナレーションの内容チェックのために目を通していたし、そもそもスピティ自体、今年だけでなくずっと前から通い続けてある程度見慣れている土地だから、番組を見ていても感動云々というより、「あの時のトラブルは大変だったなあ」とか「さらっと流れてるけどこの時の苦労も大変だったなあ」とか、現地で苦労した記憶ばかりが甦って困った(苦笑)。ともあれ、無事に放映まで漕ぎ着けたスタッフのみなさんの努力には、本当に感謝の言葉しかない。

で、火曜の夜は、そのスピティ取材でご一緒したスタッフのお一人と、その方の知人で映像関係の仕事をされている方とで、神泉の居酒屋でお酒をご一緒してきた。本づくりの仕事をしているだけでは接点が生まれなさそうな映像の世界に携わる方々と、こんな風に出会えるきっかけをもらえたのも、今回のスピティの仕事があったからだと思う。世の中、何がどんな風に巡るかわからない。

テレビをはじめとする映像の「伝える力」は強力だ。ただ、その力を完全に発揮するには、一般の人が想像する以上に大がかりな準備をして、人材と機材を投入し、膨大な量の素材を撮影・収録しなければならない。テーマとタイミングによっては、そうしたアプローチが適さなかったり、準備が対応しきれない場合もある。僕みたいなのがカメラを担いでふらっと一人で旅をして、本を作って伝える方が適しているテーマは、確実にあるはずだ。

一人でもできること。一人だから伝えられること。僕が取り組むべきなのは、そういう分野なのかなと思う。

ひたむきさ

ここしばらく、自分がこれまでラダックで撮影してきた写真のアーカイブを、一から見直す作業をしている。

昔、ラダックに長逗留しはじめた頃に撮った写真を見ていると、ほんとにヘタクソだったなあと痛感する。ミスショットも含めてアーカイブをチェックすると、カメラを構えながら焦ってあたふたしてたのがまるわかりで、使える写真も全然少ない。この程度のウデでよくもまあ、と我ながら思う。

写真も、あと文章も、スキルの面だけで言えば、今の自分の方がずっと上だとは思う。そりゃそうか、ラダックに長逗留していたのは8年も前だし。ただ、自分自身の代表作と呼べるような写真、あるいは文章はと考えると、「ラダックの風息」を超えるものは世に出せていないのではないかとも思う。

たぶんそれは、あの頃ならではの無我夢中なひたむきさとまっすぐな気持が、スキル云々を超えて、ほんの時折、幸運をたぐり寄せていたからだろう。ものにした、というより、たまたま撮らせてもらえた、経験させてもらえた、そのささやかな積み重ねが、あの一冊になった。

僕に限らず、代表作というものは、往々にしてそんな風に生まれるのかもしれない。スキルを超えた、ひたむきさによって。