Tag: Work

苦を楽しむ

午後から氷雨が降り出して、寒い一日だった。

終日、部屋に籠って、ラダックの本の作業に取り組む。制作の手順の関係で、まずは本に収録する地図に必要な素材やデータの準備から。地図の作成自体は本職の方にやっていただくので、作成したい範囲を指定する画像や、その中に含まれる地名などのテキストを揃えていく。

ちまちまと細かい、果てしもなく地味な作業。他の人なら、退屈でメンドクサくてやってられない作業だろう。同じ場所なのに、地図によって地名が全然違うとかざらだし(苦笑)。でも、僕にとっては、こんな地味な作業でさえ、楽しくて仕方がない。自分自身がありったけの思いを込めて育ててきた企画に、やっと本腰を入れて取り組めるのだ。楽しくないわけがない。

苦を苦とも思わずに楽しめる。そこが、自分自身で立てた企画に取り組める時の醍醐味かもしれない。

桜の花が咲く頃に

午後、赤坂で打ち合わせ。これから作る新しいラダックの本について、担当編集者さんから現在の状況を聞き、細かいポイントをすり合わせていく。

基本的な条件面は申し分ないし、本づくりの方針についても、編集者さんと共犯関係が築けたので、いい方向に向かっていけそうな手応え。問題があるとすれば、スケジュールか‥‥。プロモーションの関係で、来年の初夏までに店頭に並べたいという要請。なら、もっと早く企画を承認してくれればよかったのに(苦笑)。まあ、やるしかないか。

打ち合わせが終わった後、赤坂から四ッ谷駅まで歩く。西の空が、燃えるような真紅に染まっている。土手の上の桜並木は、今はすっかり冬枯れだけど、桜の花が咲く頃には、新しい本のカタチができているといいな。がんばらねば。

戦いの火蓋

午後、メールで吉報が届く。今、準備を進めているラダックに関する本の企画が、出版社内で承認されたという。

この本の企画は、今年の初め頃に出版社に持ち込んで、すぐに担当編集者さんについてもらえるなど、割と順調な滑り出し。五月頃までには新刊会議での承認を経て予算を付けてもらって、夏にラダックに取材に行く計画だった。ところが、三月の東日本大震災の影響で、その出版社内での企画の検討がストップ。編集者さんからは「取材は来年にしたらどうか」とも言われたのだが、そうすると、本を出すのが再来年になってしまう。僕はしばらく考えた末、新刊会議での承認を待たず、取材費を自腹で一時立て替える形にして、ラダックに取材に行くことにした。

正式な予算がついていないのに、見切り発車で海外取材。他の人から見たら、相当に無謀に思われるかもしれない(苦笑)。でも、僕としては十分に勝算があったし、前に「ラダックの風息」を書くために、出版社のアテも何もない状態で取材をした時の方がはるかに大きな博打だったから、それほど心配はしていなかった。

正式承認までずいぶん時間がかかってしまったが、発売予定の来夏までには、まだまだ時間がある。戦いの火蓋が、いよいよ切って落とされた。

淀まず、あわてず、後戻りせず

二十代の初めの頃、色川武大の「うらおもて人生録」という本を読んだ。かつては筋金入りの博打打ちとして幾多の修羅場をくぐってきた彼は、カタギになるために小さな出版社で働きはじめた頃、自らに三つの約束事を課した。

一つめは、一カ所で淀まないということ。いいところならともかく、悪い条件のところは、自分の生きたいように生かしてくれない。少しでも自分らしく生きるために、一つのところに満足したりあきらめたりしないようにする。

二つめは、階段は一歩ずつ、あわてずに昇るということ。その時の自分の実力に合わせて、決して先を急がない。焦って二、三段駆け上がると、転んだり落っこちたりする。いいところに行きたいなら、そのための力をつける。

三つめは、でも決して後戻りはしないということ。一度昇った場所でやったことに対しては、きちんと責任を持つ。きついからといって楽な方に安易に逃げない。

僕は色川さんのように冷静な勝負眼を持ち合わせているわけではなく、かなり、いや相当に行き当たりばったりな人生を過ごしてきた。でも、自分の職歴について振り返ってみると、結果的に「淀まず、あわてず、後戻りせず」というセオリーを踏み外すことなくやってこれたのかなという気がしている。もし、最初から運よく大手出版社に入っていたとしても経験と実力不足で脱落していただろうし、一時期関わっていた雑誌の編集部にあれ以上依存し続けていたら、その分野のネタしか扱えない井の中の蛙になっていただろう。後戻りしないというのは、今まさにやせ我慢してる真っ最中だが(笑)。

ただ、ラダックの本を書こうと思い立って、それまでの仕事を全部チャラにして日本を飛び出した時は、正直、人生最大の大博打だったなと思う。「この本をものにできなかったら、俺は物書きを廃業する」と本気で思い詰めていたから。結果的にうまくいったからよかったが‥‥(汗)。でも、長い人生の中では、時には大勝負をしなければならない時もあるのかもしれない。

色川さんの「うらおもて人生録」は、他にも含蓄のある言葉が詰まった名著なので、人生に迷っている方は一度読んでみたらいいんじゃないかなと思う。

やってみたいインタビュー

先週取材した分の原稿を編集者さんに送り、チェックに合わせて修正して、無事に納品。取材から執筆まで、かなりきわどいスケジュールだったが、どうにか責任は果たせた。

インタビューを基に原稿を書くという仕事は、かれこれ十数年やってきている。使っている録音機材も、今でこそICレコーダーだが、昔は古式ゆかしいテープレコーダーだった(笑)。とはいえ、やっている作業自体はそれほど変わらない。相手について下調べをし、原稿の仕上がりをイメージしながら質問項目を考え、相手のテンションを窺いながら、話を妨げないように、でも脱線しすぎないようにインタビューをコントロールする。取材が終わったら、ノートと録音データを突き合わせて話を整理し、文章の「流れ」を組み立て、コツコツと書き進め、推敲を繰り返して仕上げる。ライターという肩書のイメージより、はるかに地味で単調な仕事だ(苦笑)。

それなりに場数を踏んできたこともあって、インタビュー記事を書くという仕事には、ある程度習熟できたかなと思っている。ただそれは、完全に自分の存在を消した「黒子」の立場からのインタビューに限定されているとも思う。たとえば、「リトルスターレストランのつくりかた。」は、僕にとっては黒子に徹したインタビューの集大成みたいなものだった。

でも最近は、そうでないインタビューをやってみたいという気がむくむくと湧いてきている。黒子ではなく、僕という人間の存在や意志を明らかに感じさせる形で、相手に対峙するインタビュー。もちろん、それは相手をかなり選ぶことになるだろうが、だからこそ引き出せる言葉もあると思うのだ。そういう挑戦をする機会を作り出す努力はしていかなければと感じている。

というわけで、「インタビューしてよ!」という奇特な方、お待ちしています(笑)。