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いい仕事への対価

昨日の夕方、ガイドブック制作関連のメールがダダダッと届いて、それに対応するためにあれやこれやと動いていたのだが、どうにか落ちつく。今日は平穏な時間を過ごしている。ふー。

今作っているガイドブックでは、とても有能なスタッフの方々と組ませていただいていて、僕はすっかり大船に乗った気でいるのだが(早いって)、今回はいつにも増して、とても気持よく作業させてもらえている気がする。その理由を考えると、それぞれの作業のスペシャリストががっちりサポートしてくれる体制が整っているからだと思い当たった。編集は編集者さん、デザイン・レイアウトはデザイナーさん、地図製作は地図職人さん、校正は校正者さん、DTP作業と印刷は印刷会社さんといった具合に。

「そんなの当たり前じゃん」と言われそうな気もするが、最近の中小規模の出版社では、出版不況で予算が制約される関係で、編集者が校正まで全部やったり、細かいDTP作業までやったりするのが常態化しているのだ。多少の兼務なら効率化に役立つかもしれないが、大きなボリュームをがっつりとなると、時間的にも質的にも、やはり差が出る。そして、いろいろ兼務させられる編集者やデザイナーも、ギャラの上乗せどころか減額が提示されるという有様(涙)。

いい仕事には、それにふさわしい対価が発生するものだし、それが支払われるのが当然だと個人的には思う。各分野のスペシャリストたちがきっちり報われるような環境作りを、あきらめてしまいたくはない。同じ内容の仕事を昔のギャラの半額でやらせるような出版社の姿勢は、やはり間違っていると思うから。

ラッシュアワー

今日は朝イチと午後イチに取材が一本ずつ入っていたので、早々と出かける。ラッシュアワーの中央線は怖かったので(苦笑)、新宿までだからと、三鷹始発の総武線に乗ることにした。プラットフォームでは、二本先の列車を待つ人たちが整然と列をなし、列車が来ると、ザッ、ザッ、ザザザッ、と、まるで軍隊仕込みのようなポシショニングからの整列乗車。一糸乱れぬ挙動とはこのことか。

新宿に着いたら着いたで、構内を行き交う人たちの歩くスピードが、昼間の倍くらい速い。なんでみんな、あんなにものすごいスピードで歩くのか。わずか数分のうちに、後ろから来た人にスニーカーのかかとを三回も踏まれ、靴ひもまで踏まれてほどけてしまった。あな恐ろしや。

ニッポンのラッシュアワー。毎日はこれを味わわなくてすむ生活を送れている自分に、少しホッとしている。

積み重ねたもの

うららかな日射しだなあ、と薄着で出かけようとしたら、思いのほか風が冷たかった。春はまだか。

午後、中野近辺で取材。新しいクライアントから依頼された仕事なので、要領がつかめていない不安はあったが、まずまず無難にやり遂げた。明日も、午前と午後に同じ案件の取材があるのだが。

今日取材したのは、十数年前に僕がちょこっと関わっていた雑誌のアートディレクターをされていた方。当時の僕はまだペーペーで、ご本人とはそれほど密にお仕事をさせていただいていたわけではない。なので、最初からそう名乗るのは図々しいと思って黙っていたのだが、取材が終わった後におそるおそる、「実は‥‥」と言いかけると、「そうだよね? どこかで会ったと思ってたんだ‥‥」と。それだけのことだったのだが、何だか嬉しかった。

その雑誌に関わっていた頃は、出版社内でまあいろいろあって、僕自身、いい仕事ができていたとはあまり思えない。でも、無駄に感じても、回り道に思えても、積み重ねたものは、いつかどこかで、何かに繋がる。今の僕があるのは、十数年前のあの頃、何者にもなりきれずにあがいていた時間があったからなのかもしれない。

一年が過ぎて

3月11日。東日本大震災が起こってから、一年が過ぎた。

一年前のこの日、凄惨な光景が映し出されるテレビの映像を見ながら感じていたのは、「またか」という思いだった。その半年ちょっと前の2010年8月に滞在していたラダックでは、集中豪雨による洪水で600人以上の命が奪われていた。僕は、トレッキングで訪れていた山の中で、濁流に呑まれそうになりながらも命からがら生き延びたのだが、その後は土石流で変わり果てた被災現場の写真を撮って、日本に送ることくらいしかできなかった。自分にとってかけがえのない場所や人々を襲った悲劇を目の当たりにした時の無力感とやりきれなさ、情けなさは、胸の奥にこびりついたままだ。震災の映像を見た時、その感覚がまざまざと甦った。

東北や北関東の被災地に比べれば、当時の東京の状況はどうということはなかった。計画停電なんて、ラダックは無計画停電が当たり前だし(苦笑)、菓子パンを買い占めたところで、食べ切れずに腐らせるだけだし。自分自身については、必要な用心さえしていれば何とでもなる、と開き直っていた。ただ、自分が被災地の人々に対して何か効果的なことができるのかと考えると、ラダックの洪水の時と同じ無力感に苛まれて、暗澹とした気分になった。

震災から数カ月後、父が急に逝ったことも、僕と家族にとっては大きな打撃だった。去年の初め頃から実現を目指していたラダックのガイドブック企画も、こうした想定外の出来事でたびたび頓挫し、ほとんど諦めかけた時期もある。そんな僕を奮い立たせてくれたのは、日本で、ラダックで、僕を支えてくれたたくさんの友人たちだった。

ラダックの洪水や東日本大震災の時から感じていたあの無力感は今も消えないけれど、自分が選んだ生き方の中で、自分にできること、やるべきことを一つずつ積み上げていこう、という気持にはなれた気がする。僕にとって、それは本を作ること。それしか能のない役立たずだけど(苦笑)、やるしかない、と。

みんながそれぞれの人生の中で、できることを精一杯やっていれば、きっと誰かに繋がる。今はそう信じている。

閉店フェア

昼、外苑前のオフィスで、ラダックのガイドブックの打ち合わせ。僕が書き上げた原稿や写真などのデータ一式をデザイナーさんに渡し、編集者さんや印刷担当の方を交えて、今後の段取りなどを決める。いよいよ佳境に突入といったところ。とにかく、校了まで全力で突っ走るだけだ。

帰りに新宿に寄り道して、今月いっぱいで閉店することになったジュンク堂書店新宿店に行く。店内のあちこちで展開されている「閉店フェア」。書店員さんたちの手書きのポップには、本への思い入れと愛情と、この店を離れなければならない悔しさがにじんでいた。ジュンク堂自体の売上云々ではなく、三越が撤退してビックカメラにビルを一括賃貸するというツマラナイ判断をしたせいなのだから、なおさらだろう。

今、僕が携わっている本づくりという仕事は、本を売ってくれる書店がなければ成り立たないものだ。作り手と、売り手と、そして読み手。すべてが揃って初めて、本という存在が生命を持つ。自分一人の力で生きてるわけじゃないんだということを、忘れないようにしなければいけないな、と思う。