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ありのままを

昨日の夜、ラダックガイドブックの初校が上がってきた。紙のゲラは明日届くのだが、一足先にPDFで全体の様子を見渡してチェックしている。

見ていて思うのは、何というか、「ラダックの風息」と同じ気配をまとった本だなあ、ということ。今回の本はガイドブックだから、内容も造りもまったく違うはずなのだが、全体を通じて伝わってくる気配は、まぎれもなく「風息」のものだ。書き手と撮り手とデザイナーが前と同じだから、というだけでは説明できない理由がある気がする。

たぶん、どちらも「ありのままのラダック」を伝えようと悪戦苦闘している本だから、そんな風に感じられるのかもしれない。伝わっているかどうかは、わからない。でも、僕が伝えたいことは、どちらの本にもありったけ、ぶち込んでいるという自負はある。

編集作業も、いよいよ佳境。最後まで気を抜かずに、いい本を作る。

こういう時にかぎって

昼のうちから、あれこれと細かい仕事に追われる。ガイドブックの地図職人さんからは次々と作成済みの地図の校正が届くし、先週取材した案件の依頼元からは新しい取材依頼が来るし、夕方には、ガイドブック本編の最初のレイアウトデータがアップされてくるしで、ばたばたしてるうちに、もう深夜。

僕みたいにフリーランスで仕事をしていると、一年を通じて平均的にまんべんなく仕事が入ることはあまりなくて、来ない時はさっぱり来ないし、来る時は一度にわっと来たりして、なかなか思うようには捌けない。「あー、こういう時にかぎって、何でまた‥‥」と、惜しい断り方をしなければならないこともあったりする。

それはさておき、こういう時にかぎって、近所の道路工事が夜の10時頃までゴロゴロと続けられてるというのは、まじで勘弁してほしいのだが。武蔵野市には、ほんとに愛想が尽きた。

いい仕事への対価

昨日の夕方、ガイドブック制作関連のメールがダダダッと届いて、それに対応するためにあれやこれやと動いていたのだが、どうにか落ちつく。今日は平穏な時間を過ごしている。ふー。

今作っているガイドブックでは、とても有能なスタッフの方々と組ませていただいていて、僕はすっかり大船に乗った気でいるのだが(早いって)、今回はいつにも増して、とても気持よく作業させてもらえている気がする。その理由を考えると、それぞれの作業のスペシャリストががっちりサポートしてくれる体制が整っているからだと思い当たった。編集は編集者さん、デザイン・レイアウトはデザイナーさん、地図製作は地図職人さん、校正は校正者さん、DTP作業と印刷は印刷会社さんといった具合に。

「そんなの当たり前じゃん」と言われそうな気もするが、最近の中小規模の出版社では、出版不況で予算が制約される関係で、編集者が校正まで全部やったり、細かいDTP作業までやったりするのが常態化しているのだ。多少の兼務なら効率化に役立つかもしれないが、大きなボリュームをがっつりとなると、時間的にも質的にも、やはり差が出る。そして、いろいろ兼務させられる編集者やデザイナーも、ギャラの上乗せどころか減額が提示されるという有様(涙)。

いい仕事には、それにふさわしい対価が発生するものだし、それが支払われるのが当然だと個人的には思う。各分野のスペシャリストたちがきっちり報われるような環境作りを、あきらめてしまいたくはない。同じ内容の仕事を昔のギャラの半額でやらせるような出版社の姿勢は、やはり間違っていると思うから。

ラッシュアワー

今日は朝イチと午後イチに取材が一本ずつ入っていたので、早々と出かける。ラッシュアワーの中央線は怖かったので(苦笑)、新宿までだからと、三鷹始発の総武線に乗ることにした。プラットフォームでは、二本先の列車を待つ人たちが整然と列をなし、列車が来ると、ザッ、ザッ、ザザザッ、と、まるで軍隊仕込みのようなポシショニングからの整列乗車。一糸乱れぬ挙動とはこのことか。

新宿に着いたら着いたで、構内を行き交う人たちの歩くスピードが、昼間の倍くらい速い。なんでみんな、あんなにものすごいスピードで歩くのか。わずか数分のうちに、後ろから来た人にスニーカーのかかとを三回も踏まれ、靴ひもまで踏まれてほどけてしまった。あな恐ろしや。

ニッポンのラッシュアワー。毎日はこれを味わわなくてすむ生活を送れている自分に、少しホッとしている。

積み重ねたもの

うららかな日射しだなあ、と薄着で出かけようとしたら、思いのほか風が冷たかった。春はまだか。

午後、中野近辺で取材。新しいクライアントから依頼された仕事なので、要領がつかめていない不安はあったが、まずまず無難にやり遂げた。明日も、午前と午後に同じ案件の取材があるのだが。

今日取材したのは、十数年前に僕がちょこっと関わっていた雑誌のアートディレクターをされていた方。当時の僕はまだペーペーで、ご本人とはそれほど密にお仕事をさせていただいていたわけではない。なので、最初からそう名乗るのは図々しいと思って黙っていたのだが、取材が終わった後におそるおそる、「実は‥‥」と言いかけると、「そうだよね? どこかで会ったと思ってたんだ‥‥」と。それだけのことだったのだが、何だか嬉しかった。

その雑誌に関わっていた頃は、出版社内でまあいろいろあって、僕自身、いい仕事ができていたとはあまり思えない。でも、無駄に感じても、回り道に思えても、積み重ねたものは、いつかどこかで、何かに繋がる。今の僕があるのは、十数年前のあの頃、何者にもなりきれずにあがいていた時間があったからなのかもしれない。