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力を出せる場所

先月下旬に発売された「ラダック ザンスカール トラベルガイド インドの中の小さなチベット」が、まずまずの売れ行きを示しているらしい。もちろん、インドの山奥のマイナーな地方についてのガイドブックだから、何万部も飛ぶようにというわけにはいかないけど、その割にはまずまず、というところらしい。

僕はこれまで、いろんな雑誌の編集者やライターを務めてきた。だから、著作のラインナップに関しても、マルチというか雑食というか、言うなれば節操がない感じなのだが(苦笑)、他のテーマの本と比較すると、ラダックについて書いた本は、僕のところまで寄せられる反響の数が桁違いに多い。それ以外のテーマで出版社から執筆や編集を依頼された本でも手を抜いたりはしないが、やっぱり、自分が本来の力を一番出せる場所というのはあると思うし、また、それをこそ待ってくれている読者の方々もいるのだと思う。

吹けば飛ぶよなフリーランサーが日々の糧を得ていくには、ヨロズ屋稼業にならざるを得ない時期ももちろんある。でも、自分が一番力を出せる場所はどこか、読者が一番待ち望んでいるのは何かということは、常に考えていなければならない。特に最近は、自分本来のありようをもっとわがままに追求していってもいいのではないかと感じている。

今年の夏、再び彼の地を訪れて、誰もが呆れるようなことをやらかそうとしてるのには、そういう理由もある。

「写真のプロ」ではない?

一昨日の夕方、一冊の本が送られてきた。去年の秋に僕が書いた取材原稿が含まれている、フォトグラファーになりたい人向けのハウツー本の見本誌だ。

この本で、僕は一人のフォトグラファーを取材したほかに、僕自身もフォトグラファーの一人として取材を受けた。ラダック関係の著書や写真とともに、4ページほどの記事で紹介されている。僕を取材したのはこの本の担当編集者だったのだが、最初に上がってきた原稿は、ちょっと調べればわかる範囲の事実誤認やミスのオンパレード。インタビューとしても、いったい何が訊きたかったのかわからないほどまとまりがない、メタメタなものだった。あまりにひどい出来だったので、結局、その4ページ分の原稿は僕自身がすべて書き直さざるを得なかったのだ。インタビューをされた本人が、である。

年が明けて少し経てば発売されるはずだったその本は、件の担当編集者のスケジュール調整の不手際で、制作がずるずると延期。ようやく発売日が決まって、去年の秋に書いた原稿のギャラが振り込まれることになったのは、執筆からなんと9カ月後というていたらくだった。

これまでの経緯だけでもつくづくうんざりしていた僕は、送られてきた見本誌を見て、またしても頭の痛い思いをすることになった。僕のインタビューページの前に、前置きのような形で僕の紹介が1ページ載っていたのだが(そういうページを載せるという話を僕はまったく聞いておらず、当然ゲラチェックもさせてもらってなかった)、その紹介文の冒頭で、次のような言葉が使われていたのだ。

山本氏は、写真のプロではない。ライターであり、編集者でもある。‥‥

フォトグラファーを紹介する文章として、これほど失礼なものもちょっと思いつかない。そもそも、何を根拠に「写真のプロではない」と言い切ってるのかわからない。別に自分の技量に自惚れてるわけではないが、僕は仕事として写真を撮り、写真を使った複数の著書を持ち、各社の媒体にも写真を提供して報酬を得ている。それで「写真のプロ」とは言えないのだろうか。これを書いた件の編集者は、フォトグラファーとしての僕を貶めようとしているのか、それとも何も考えてないヌケサクなのだろうか。

このページでは他にも多数の事実誤認があったほか、本編の4ページ分の記事内での作品紹介用に用意していた写真も無断で転用されていた。自分の立場を守るためにも、こればかりは看過できない。結局、件の編集者の上司の方に連絡して、出荷前のすべての本に訂正文を印刷した別紙を挟んでもらうことになった。まあ、それでも、そのページがみっともない有様であることには変わりないのだが。

ここで、その本のタイトルや出版社名を挙げるつもりはないし、本自体の出来をどうこう言うつもりもない。ただ、少なくとも僕が登場しているページに関しては、そういう何もわかってない編集者が作った、熱意も何も籠ってない記事だということだけは書いておきたい。この編集者とは、もう二度と仕事をすることはないだろう。

一冊の重み

午後、越中島で取材。割とすんなり終えられた。夜は新宿でラダックガイドブックの打ち上げの予定があったので、それまでの間、池袋や新宿の書店を回って、自分の本をどんな風に扱っていただいているか、偵察することにした。

新刊が出た後にこうして書店回りをしていて、いつも感じるのは、一冊の本を売ることの重み。一人のお客さんが、店内にある無数の本の中で一冊の本と出会い、それを手に取り、レジに持って行く。そうしてもらうのがどれだけ大変なことか、思い知らされる。だから、本を作る時はもちろん、世に出た後も、本に込めた思いを世に伝える努力をすることは、作り手にとってとても大切な任務だと思う。

今月末には、またラジオ収録がある。がんばらねば。

霧雨

今日は朝イチで取材があるのに、昨日の夜、ユーロのスペイン対イタリアを最後まで観てしまった。眠い目をこすりつつ、電車に乗って、豊田へ。

三鷹界隈では単なる曇り空だったのだが、電車で西に移動するにつれ、外の景色が煙ってきた。駅から外に出ると、雨粒とも呼べないような、細かい霧雨が降っている。いや、降るというより、たちこめてる感じだな。一応傘を差してはみたものの、こんな霧雨だとあまり意味はなく、歩いていると、服がじっとり湿ってくる。こういう時に限って、目的地は駅から徒歩20分とか(苦笑)。

じっとり、じめじめ、湿っぽい一日。こんな日は、冷やし中華を食べたい気分。

名を成すことには興味ない

「あなたの職業は何ですか?」と訊かれると、僕の場合、フリーランスの編集者であり、ライターであり、時にはフォトグラファーでもある、という答えになる。最初からこうなりたいと思っていたわけではないが、いつの間にか、よろず屋稼業になってしまった。

では、編集者として、ライターとして、あるいはフォトグラファーとして、自分がどれくらいの価値のある人間なのかと訊かれると、ちょっと困ってしまう。一応、それなりのキャリアは積んでいるけれど、何十万部も売り上げた著書があるとか、華々しい賞を受賞したとか、そういうわかりやすい世間からの評価は受けていない。海千山千のフリーライター、みたいなざっくりした見られ方をされるのだろうし、ある意味それは当たっている。

でも僕は、自分が名を成すことには、興味がない。評価はされるに越したことはないけれど、世間から評価されるためにこの仕事を選んだわけではないから。ただ、本づくりの仕事が好きなだけ。編集と執筆と写真をかけ持ちしているのも、それが自分の目指す本づくりに必要だったから。

たぶん、僕が作る本は、百人のうち一人にしか評価されないような本なのだろう。でも、その一人の心を揺さぶれるのなら、僕の仕事には意味があるのかもしれない。肩書や世間体よりも、僕の仕事の価値は、これまで作ってきた、そしてこれから作る、一冊々々の本が語ってくれるのだと思う。