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目指せツアコン

来月上旬、資格取得のための講習と試験を受けることになった。目的は、「総合旅程管理主任者」という資格の取得。要するに、ツアーコンダクターである。

ガイドと違うのは、ツアコンは飛行機やホテルのチェックイン、食事や宿泊など、旅程に関わる要素を管理する仕事という点だ。僕自身はそうした添乗業務をメインで担っているわけではないのだが、それでもこの資格を取る必要に迫られている理由は……インド(やっぱり)。インドのビジネスビザをスムーズに取得するためには、この「総合旅程管理主任者」の資格が必要になってしまったのだ。

インドへの渡航回数の多さや滞在期間の長さ、微妙な場所にもちょこちょこ行くことを考えると、ここらで、今後長きにわたってスムーズかつ磐石にビジネスビザを取得し続けられる体制にしておきたい。そのための布石である。

講習は3日間。1日の講習の最後にはその履修範囲の試験がある。……落ちたらどうしよう(汗)。がんばらねば。

寒暖の差

タイでの取材旅行の終盤、首都バンコクまで辿り着いた時に、鼻風邪をひいてしまった。

それまでの休みなしの取材漬けの日々による疲労の蓄積も影響したとは思うが、一番の要因は、バンコクでは至るところで冷房が効き過ぎていたからだと思う。BTSやMRTなどの車内はまるで冷蔵庫のような寒さで、駅で降りるたびに眼鏡が曇ってしまうほどだった。そうした寒暖の差に、身体がついていけなかったのだろう。

寒暖の差といえば、今のバンコクと東京の気温差も相当なものだ。向こうは30℃以上、こっちは15、6℃。ほぼ倍。全身の汗腺がすっかり開ききって、体脂肪もこそげ落ちてしまっている今の自分には、なかなかつらい。まずはしっかり休養して疲労を抜きつつ、体調を整えようと思う。それにしても、際限なく眠い。

プミポン国王の逝去

今年のタイ取材の期間中に起こった大きな出来事といえば、プミポン国王の逝去。在位70年、88歳で亡くなった国王は、タイの人々に長い間愛され続けてきた、かけがえのない存在だった。

国王が亡くなった日、僕は北部の町ラムパーンに滞在していて、取材と食事を終えて夕方に宿の部屋に戻った時に、このニュースを知った。最初に脳裏に浮かんだのは、国王の逝去に伴っていろんな施設や行事がお休みになったりして、これからの取材に影響が出るかもしれない、という考えだった。結局それは杞憂に終わり、取材自体にはほとんど影響はなかった。個人的に困ったのは、その後しばらくコンビニがビールの販売を停止してしまったことぐらいだった。

海外で報じられていたニュースには、国内の逝去に伴ってタイの国内が混乱していくのではと案じていたものが多かったように思う。ただ、少なくとも僕が滞在していた間、タイの街々はとても平穏だった。喪に服す意味でモノトーンの服を身につけている人が首都バンコクでは特に多かったが、地方の小さな町ではそこまででもなかった。チェンマイなどでは、週末のナイトマーケットなどもほぼ普段通りに行われていたそうだ。彼らにとっても、あまりにも喪に服しすぎていろんなことを自粛していると、商売ができずに生活していけなくなるという事情もあるのだろう。

もちろん、これから数年にわたって、王位継承や政治的枠組の変化に伴ってタイ国内に混乱が生じないとは限らないが、タイの国自体は、今は普通に安定している。タイへの旅に二の足を踏んでいる人も少なくないだろうが、タイの人たちの側からしてみれば、できればこれからも普通にタイに旅行に来てほしいというのが本音だろう。国王の逝去とそれを悼む人々の気持に対してはきちんと敬意を払い、派手すぎる服装や、空気を読まないどんちゃん騒ぎなどはしないように気をつけるなどすれば、タイの人たちはむしろ喜んでもてなしてくれると思う。

ともあれ、あらためて、国王のご冥福をお祈り致します。

振れ戻った針

昨日深夜にバンコクを発ち、今朝、東京に戻ってきた。

毎年この時期に約4週間、取材でタイを回るのも、今年で4回目。これだけ回数を重ねてくると、どこの街も何度か訪れているので、少しは土地勘がついてくる。取材先を効率良く回る道順や、真っ当な宿や安い食堂がある場所も。それでも、乾季の入口の時期とはいえ、あのぎらぎらした陽射しと肌にまとわりつく湿気の中を、毎日歩いたり自転車をこいだりして街を回るのは、体力的にも気力的にも、かなりきつかった。歩き回るうちに汗すら出なくなった首筋や手足の肌には、ざらざらと塩の結晶が噴き出してくる。日に三度、英語の看板もないような簡素な食堂や屋台でありつくタイ料理と、夜、宿の部屋で飲むチャーンビールの500ml缶が、気持の支えだった。

ただ、今になってふと思うのは、8月から9月にかけて旅した南東アラスカの旅で、あまりにも自分の予想を上回って振り切れてしまっていた針が、汗と塩と埃にまみれてタイを旅して回っているうちに、少し振れ戻ってきたような気がする、ということだ。忘れたわけではないけれど、アラスカとは何もかも違いすぎる世界を旅したことで、自分の中での受け止め方に少し余裕が生じたというか。このあたり、うまく言えないのだが。

とりあえず、ぎらつく陽射しと湿気から解放されて、身体がほっとしているのは間違いない。少し身体を休めて、またがんばります。いろいろ。

アイデアは無料ではない

今年の初め頃、人づてに、とあるWeb制作会社からライティングの仕事の依頼を受けた。ある航空会社が運営するサイト内で、全国各地の観光スポットを季節やテーマに応じて紹介していくコンテンツで、スポットの選定と写真素材の提供交渉(予算がないというので観光局などから無料で貸してもらうように交渉する)、そしてスポット紹介のテキストやリードコピーの執筆が僕に依頼された仕事だった。二回目からは季節に合わせたテーマ案とスポット候補の提案から参画させられた。

しかし、二回目のコンテンツが完成した後、三回目の制作は、他のWeb制作会社とのコンペになった(僕は知る由もないが、先方に航空会社のご機嫌を損ねる何事かがあったらしい)。僕は当初そのコンペにはいっさい関与していなかったが、インドから帰国した直後あたりに、先方の社内で配置換えさせられたばかりの女性プロデューサーから「こちらで提案した企画が差し戻されて、再提出の期限が迫っています。何かいいアイデアはありませんか?」という泣きのメールが送られてきた。そもそもコンペのこと自体、僕は詳細をまったく聞かされていなかったし、だったらなぜ最初から僕を企画会議に参加させなかったのかと訝ったが、前に継続案件になることを想定して温めていたテーマ案とスポット候補のリストをメールで送った。

それから一カ月間、そのWeb制作会社からはまったく何の連絡も届かなかった。三回目の制作のスケジュールを考えれば、とっくに時間切れだ。で、アラスカから戻ってきた後に、件の女性プロデューサーにメールで問い合わせると「ついさきほどクライアントから連絡があったのですが……」と(そんな遅すぎる上に同日というタイミングで連絡が来ることはありえないので、もちろん言い逃れのための嘘だ)彼らがコンペに負けたことを知らされた。その結果は僕には別にどうでもいい。だが、こちらから提供したテーマ案とスポット候補の企画の処遇について聞くと、それに対するコンペフィーは払えないという。その件で別の男性ディレクターが送ってきたメールには「そこに費用が発生するなどとは我々は想像もしていませんでした」と、しれっと書かれていた。

こういう場合にアイデアを出してほしいと依頼する時、コンペに負けたらコンペフィーが払えない事情があるなら、あらかじめそう伝えた上で「それでもよければご協力いただけませんでしょうか?」と頭を下げて依頼すべきだ。僕が依頼する側なら必ずそうするし、それが常識だと思う。アイデアは無料ではない。なぜなら、それは人が知恵と労力を費やしてゼロから生み出したものだからだ。でも、最近の世の中には、人の頭の中にあるアイデアはタダで拝借できると勘違いしている輩が多いようだ。個人だけでなく、企業のレベルでも。あきれてものが言えない。

件のWeb制作会社とは、完全に縁を切った。ああいうしょうもない会社がどういう運命を辿るのかは、自ずとわかる。