Tag: Travel

Sounds good

個人の取材旅行でアラスカ、つまりアメリカに行くのもこの間で3回目。だからというわけでもないが、「アメリカ人、妙にこれをよく使うな〜」と感じる言い回しがあるのに気付いた。それは、「Sounds good」。相手が何かを選んだりした時に相槌を打つ感じで「いいねえ」と言う時の言い方だ。

たとえば、レストランやカフェで何かを注文した時、ホールスタッフはよく「Sounds good」と言う。店で何かを買った時、列車の車掌に行き先を聞かれた時、飛行機でCAに機内食はビーフかチキンかを答えた時でさえ、みんなほんとによく使う。英語圏の人ならではの、ちょっとこなれた言い回しなのかもしれない。

というのも、僕が主に旅をしているインドやアジア諸国では、こんな言い回しをされた記憶がさっぱりないからだ。英語が超堪能なスタッフのいる高級ホテルとかなら通じるのかもしれないが、そんなとこには縁はないし。

そういえばちょっと昔、レーのツーリスト向けカフェでブレックファストを注文しようとして、卵の焼き方を聞かれて「Sunny-side up」と答えたら、ネパール人のホールスタッフには1ミリも通じなかった(苦笑)。英語のこなれた言い回しを知っていても、何の役に立たない場所は、世界にまだまだたくさんある。

命の在り処


昨日の夕方、アラスカからシアトル経由で日本に戻ってきた。

冬のアラスカを訪れたのは初めてだったが、思い切って行ってみて、本当によかったと思う。実際に行ってみなければ絶対に感じ取ることのできないものが、あの場所にはあった。冷え切った風に晒されているだけで身の危険を感じるほどの雪と氷の世界。でも、いや、だからこそ、そこには無数の命が潜んでいるのだとわかった。

アラスカでの旅の時間を積み重ねながら、自分が書こうとしているもの、伝えようとしていることの輪郭が、ほんの少しずつ、見えてきたような気がする。それがどこに行き着くのかは、まだ、自分でもまったくわからないのだけれど。

Into the Wilderness

明日から約1週間、再びアラスカに行く。

明日の夕方発の飛行機に乗り、シアトル経由でアンカレジへ。翌朝、鉄道に乗ってタルキートナという小さな町まで行き、そこからセスナに短時間乗せてもらって、原野のど真ん中にある湖に着氷(湖面は凍結しているから)。湖のほとりにあるロッジに数日間滞在し、スノーシューを借りて周辺を歩き回り、写真を撮る。

楽しみではあるのだけれど、同じかそれ以上に、怖い、という気持がある。半年前、南東アラスカのクルーゾフ島で味わった、あのぞわぞわするような感覚が、また甦ってくる。答えの見えない真っ暗な淵に佇み、飛び込むかどうか、逡巡するような……。いや、自分でもわかっている。飛び込むしかないのだ。たとえ結果がどうなろうとも。

帰国は14日(火)夜の予定。では。

旅の荷造り

昼の間に、手元に溜まっている最後の原稿をどうにか書き上げる。近所の中華料理店で回鍋肉を食べた後、来週水曜からの旅の荷造りに着手。

Eチケットやバウチャーなど必要な書類を確認して2セット揃え、貴重品関係とまとめる。一番大きなダッフルバッグにスノーブーツを入れ、厳寒期用の衣類と小物と下着類。タオル、洗面道具、常備薬などを詰めていく。撮影機材は大きい方のカメラザックに詰める。こういう作業をしながら、カメラのバッテリーを1本ずつ、全部で7本充電する。足りないもの、買い足した方がいいものもいくつかある。明日、買いに行ってこなければ。

めんどくさい、荷物重たい、やだなあ、と思いつつも、少しずつ、旅のスイッチがオンになっていく。もうすぐだ。まだ、見たことのない世界へ。

写真と演出

ここ数年のことだと思うのだが、世界各地の辺境に暮らす少数民族に民族衣装を着てもらって、完璧な構図とポージングで撮影した写真が結構たくさん世の中に出回るようになった。貴重な資料のポートレート写真として価値のあるものもたくさんあるが、その一方で、ちょっとカッコよく演出しすぎてしまっているものも少なくないと思う。

個人的には、いわゆるドキュメンタリー写真として世に出されているもので、ひと目見た時に「あ、これ、このへんをこう演出してるな」とわかってしまう写真は、正直言って苦手だ。あまりにも完璧な構図、あまりにもできすぎた雰囲気。そこに撮り手の作為や演出があることがわかると、一気に冷めてしまう。

その撮り手が伝えたかったことは何なのだろう。完璧な構図の美しい写真なのか、それともその場所で出会ったありのままの風景や人々や出来事なのか。僕は、完璧に演出されて隅々まで調整された美しい写真よりも、撮り手の感じたありのままの生の思いがぎゅっと込められた写真を見たい。