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太陽の光

午後、多摩方面で取材。いつもよりややプレッシャーのかかる取材だったけど、どうにか無事に終える。帰りに立川で味噌ラーメンを食べ、三鷹ではコーヒー豆などを補充し、家路につく。

いつのまにか、すっかり日が長くなっているのに気付く。6時近くになっても、まだだいぶ明るい。太陽の光が降り注ぐ時間が長くなれば、それだけ大地が温まる時間が増える。季節はそうして巡っている。

太陽の光は、地球上のほぼすべての生命のエネルギーの源だ。そのかけがえのなさは、アラスカを旅していると特に強く感じる。同じ面積で比べると、極北の大地が受け取れる太陽エネルギーの量は、熱帯などよりもはるかに少ない。長く厳しい冬と、一瞬の夏。ほんのささやかな光を糧に、ツンドラの生き物たちは命をつないでいる。その儚さと、だからこそ持ちうる強さに、心を打たれる。

あちらではそろそろ、雪が解けて、あたり一面がぬかるみになる頃だ。クマたちも、目を覚ましているかもしれない。

差別されて、わかること

ユナイテッド航空がアジア人の乗客をオーバーブッキングだからと機内から引きずり出した事件で、ずいぶんと世の中がかまびすしい。まあ、あれはほぼ間違いなく、アジア人に対する差別行為の一端だと思う。

僕は、今までそれなりに長い時間を旅に費やしてきたこともあって、異国で差別を受けた経験もそれなりにある。アメリカでも、ヨーロッパでも……欧米ばかりだな、あらためてふりかえってみると。つまり、日本人も、欧米諸国ではともすると、差別の対象になりうるということだ。

その時の状況にもよるが、差別をされると、想像以上に精神的に大きなダメージを受ける。差別をした側が想定しているより、それこそ何倍もきつい。だから、差別された時のつらさや痛みは、実際に差別される側に立ってみないと、本当にはわからない。

でも、旅をしていると、差別を受ける回数の何百倍も、心穏やかで優しい人々に出会う。対等な目線で向き合ってくれる人々の素晴らしさに気づくことができる。異国を旅することの一つの大きな意味が、そこにある。

もしも明日人生が終わるとしたら

飲み会の席で、こんなことを訊かれた。

「もしも明日人生が終わるとしたら、最後の日、何をしたいですか?」

さて、何をしよう‥‥と考えてみると、意外なほどすんなりと、自分の場合はこれだな、という答えが出た。

その時点で手元にある、未発表の写真や文章。それを残された24時間(せめてそのくらいの時間はもらいたい)を使って、できるだけ選んで整理して、何らかの形で発表できるようにまとめる。最低限の準備しかできないだろうけど、まあそれは仕方ない。まとめた素材は、信頼できる人に「すみませんが、これをお願いします」と託す。

その後、もし時間が少し残っていたら、ビールを飲みながら何かおいしいものが食べたい。営業時間内だったら、リトスタがいいな。家から近いし。飲み食いし終えたら、家に帰って、まあこんなものかな、と思いながら、その時を待つ。

「そうして発表されたものが読者にどんな風に受け取られるか、知ることができなくてもいいんですか?」と訊かれた。反応を知る時間がないのは確かに残念だけど、褒めてもらうのが目的ではないから。伝えられれば、それでいい。

実際に、そんな風に終えられたら、いいかもな、と思う。

取材抜きの旅

この間のトークイベントの打ち上げの席で、「取材を抜きにして、世界のどこへでも旅に行けるとしたら、どこに行きたいですか?」と訊かれた。

ふりかえってみれば、たぶんここ10年くらいの間、完全に取材を抜きにして海外を旅したことは、一度もなかったと思う。依頼される形での旅はもちろん、完全に個人的な動機からの旅でも、目的は取材だった。現地を旅しながら、写真を撮り、細かくメモを取り、日本に戻ってから何らかの形でまとめて発表する。本や雑誌、Webサイト、写真展、トークイベント。いつのまにか、取材をしながら旅をすることが、当たり前のようになっていた。

取材とか仕事とか、いっさい抜きにして、旅に出る。それは気楽で楽しいかもしれない‥‥と思いかけて、はたと気付いた。今の僕にとって、取材をいっさいしない旅というのは、とても居心地の悪い、つまらない時間になってしまうだろうということに。

旅をしながら、見て、聞いて、感じて、撮って、書いて、それを誰かに伝える。そういうことをひっくるめた全部が、僕にとっての旅なのだと思う。

道しるべ

昨日はモンベル御徒町店で、写真家の関健作さんとのトークイベント。昼に会場入りして、椅子やプロジェクターの設営と、書籍販売の準備。会場はほぼ満席。いざ本番……となると、毎度のことながら緊張して、何をしゃべったかあまり覚えてない(苦笑)。関さんの軽妙なトークに助けてもらいながら、どうにかこうにか乗り切った。

終了後は希望者の型に本へのサインなどをさせていただいて、その後はあたふたと撤収作業をして、曙橋へ移動。チベットレストランタシデレでの懇親会。こちらも満席で、みなさん楽しそうに歓談されていて、良かった。しかしまあ、自分で企画しておいて何だが、イベントからサイン対応から懇親会まで、全部ひとつながりのイベントみたいなもので、気を抜く暇がまったくなかったから、さすがに、こてんぱんに疲れた。

お客さんにも、いろんな人がいる。気軽に足を運んでもらってワイワイ楽しんでもらうのも、もちろん嬉しい。自身も写真や文章に携わっていて、何かのヒントをつかみ取ろうとしている人も、もちろん歓迎。時には、何かで思い悩んでいて、心の深いところから取り出してきた質問を投げかけてくる人もいる。そういう質問には、こちらも真剣に応えなければいけない。

僕らが生きてきた中でたくわえてきたものが、誰かが生きていくための道しるべになるのかもしれないなら、喜んで差し出そうと思う。いつかまた、こういう機会があれば。