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あのカメラを手に入れる人へ

涼しいというか、肌寒いくらいの天気。午後から新宿へ。メインで使っているカメラをニコンのサービスセンターで点検してもらうのと、古いカメラとレンズをマップカメラで下取りしてもらうために。

今回下取りに出したニコンのD300Sと16−85mmの標準レンズは、以前はメインの機材として、本当にいろんな場所で活躍してもらってきた。チャンタンの荒野、濁流渦巻くカルナク、そしてザンスカールも。レンズを一度、軽く調整してもらったくらいで、トラブルはまったく起きなかった。

愛着というか、未練というか、そういう気持はもちろんある。でも、カメラもレンズも使ってナンボだし、それに僕は一応、プロだ。仕事の質を上げていくためには、年末頃までに新しいフルサイズ一眼レフを導入した方がいいという結論に達した。仕事で出番のなくなったカメラとレンズは、ちゃんと使えるうちに、新しい持ち主のもとで第二の人生を歩んでもらえた方がいい。

いつの日か、どこかの誰かが、あのカメラとレンズを手に入れたなら、いったい、何を撮るのだろう。自分の子供か、空を飛ぶ飛行機か、はたまた路地裏の猫か。できることなら、その人にこっそり伝えたい。そのカメラは、遠い遠いインドのヒマラヤの荒野を、ずっと旅してきたのだと。

便利な生活

今日は一日、部屋でゆっくり。おひるにそうめんをゆでてごまだれで食べ、まほろばさんの豆でコーヒーをいれ、InterFMをかけ流しつつ、インドで撮ってきた写真の現像作業。疲れたら、ソファに寝転がってうとうとしたり。

日本での生活は、あらゆることが便利だ。電気は停電することなく常に流れ、シャワーは一定の温度に保たれたお湯がふんだんに出る。本屋に行けば雑誌や本に情報があふれかえっている。インターネットは光回線でYouTubeでも何でも見放題だし、スマホも4G回線でスイスイつながる。友達が今どこで何をしているのかは、SNSでだいたい筒抜け。近所のコンビニまで歩いていけば、たとえ真夜中でも、何でも買える。アマゾンを使えば、家から一歩も出なくても、たいていのものが買えてしまう。

便利だ。確かに便利だけど……そういう便利さは、人が生きるという行為の本質ではない、という気もする。もっと不便で物が手に入らない場所でも、人は人として、あるがままに、のびのびと生きていける。ラダックで、アラスカで、僕はそう教わってきた、と思っている。

またしても腹が減る

インドから戻ってきて、体重計に乗ったら、二カ月前に出発した時より、2キロ減っていた。

その後、日本での普通の生活に戻るにつれて、体重も少しずつ戻ってきて、今は帰国時よりプラス1キロくらい。それでもまあ、出発前からマイナス1キロ、今年の年初からだとマイナス5キロだから、今の年齢や体調での僕のベストウェイトは、ちょうど今くらいなのだろうと思う。

インド滞在中は、二、三日に一度くらい、宿の部屋で腕立て伏せをやっていた程度。標高3500メートルの地で毎晩フルにエクササイズをやるほどの元気はない(苦笑)。それでも現地で毎日、カメラザックを背負ったまま、結構な距離を歩き回っていたので、体幹や足腰を中心に、結果的にそれなりの運動になっていたとは思う。

それにしても、日本に戻ってきて以来、やたら腹が減る。確か数年前にも似たようなエントリーを書いた記憶があるが、今はとにかく身体がタンパク質や脂肪を欲しているという感覚がある(甘いものはあまり欲しくならない)。供給過剰にならない範囲で、必要な栄養を補充していかねば……。

何しろ、一カ月後には、タイである。あの暑さの中を取材で毎日歩き回れば、またやせるのは必定……。やれやれ。

明日からインドへ

昼、渋谷へ。モンベル渋谷店で開催された三井昌志さんの帰国報告会を拝見する。注目していたミャンマーのロヒンギャ問題についてのレポートは、ミャンマー側の村だけでなく、バングラデシュ側から国境付近にあるロヒンギャの難民キャンプを訪れた際の話が興味深かった。こういう問題は、現地取材によって事実に基づく情報を積み上げていかないと、なかなか全容が見えてこない。三井さんは写真のスキルだけでなく、行動力や実行力の面でももっと評価されるべき人だと思う。

終了後、知人たちとマメヒコでコーヒーを飲んで別れ、夕方からはリトスタで恒例の最後の晩餐。今回もいろいろおいしくいただいた。明日の朝は4時起き。目覚ましに反応してちゃんと起きて、最後の身支度と家を留守にする作業をしてしまえば、あとは出発するだけだ。はー。がんばろ(苦笑)。

帰国は8月26日(土)の予定。それまでこのブログの更新もしばらくお休みします。では。

会いたいのは旅人ではなく

来年の早い時期に、たまっているスターアライアンスのマイルを使って、半月ほどラオスに行こうと考えはじめた。で、ネットでラオス各地の情報を調べはじめたのだが、思っていた以上に名前に「ホステル」とつくドミトリー形式の宿が多いことに気づいた。いずれも新しめの綺麗な宿。手頃な料金設定で、エアコンやホットシャワーやWi-Fiを完備し、朝食サービスや共有スペースのミニバーなども利用できるような。僕が毎年取材しているタイでも似たような宿が増えているし、他の国々もおそらくそうなのだろう。

旅の中で写真を撮ることが仕事の一部になってから、撮影機材をできるだけ安全に保管しなければならなくなったので、今ではドミトリーを選ぶことはほぼなくなった。でも、20代の頃は、旅先でドミトリーの宿があれば、よほど怪しくて感じ悪いとかでなければ、そこを最優先で泊まっていた。旅費の節約という、背に腹は代えられない理由で。その頃のドミトリー宿は、殺風景な部屋にただベッドが並んでいるだけで、設備も最近の宿とは比べものにならないボロ宿がほとんどだった。それでも、一緒に泊まり合わせた他の国々から来た旅人たちと、情報交換したり仲良くなれたりするのは、あの頃の僕には新鮮だったし、愉しかった。

ただ、僕の場合、旅先で一人で過ごしていると寂しいから、誰か他の旅人と出会いたくてたまらないから、という理由ではドミトリーを選んでいなかったように思う。何かのひょうしにたまたま知り合って、じゃあお茶かごはんでも、というのは全然構わないし、今でも行く先々でよくあることだが、自ら進んで他の旅人たちとつるみたい、行く先々で行動を共にしたい、という発想は、昔も今もあまりない。

僕が旅先で会いたいのは、他の国々から来た旅人たちではなく、自分がその時旅している国に暮らしている人々や、そこにしかない風景なのだ。その出会いを大切にするには……それを文章や写真に落とし込むには、できるだけ自分が自分らしくいられる状態で旅したい。僕の場合、それは一人で旅することを意味する。

異国の雑踏の中を、一人で歩き回る。誰もいない荒野に、一人で立ち尽くす。薄暗い部屋のベッドで地図を広げ、一人で計画を練る。その、ぞくぞくするような愉しさ。僕にとっての旅は、たぶんそういうものなのだと思う。