
昨日は、丹沢へ山歩きをしに行った。去年の春に歩いたのと同じ、ヤビツ峠から塔ノ岳を経て大倉に降りる、約六時間の行程。前日の天気予報では晴れと聞いていたけど、ヤビツ峠に到着してみると、鈍色の雲が空を覆うぱっとしない天気。澄み渡る青空の下で紅葉の山々を堪能できると楽しみにしていたのに、ちょっとがっかり。
登りはじめて約一時間後、二ノ塔の手前のあたりでふりかえると、雲間から射す光が海を照らしていた。
今日は早起きして、丹沢表尾根を縦走してきた。山歩きの様子は明日写真とともに紹介するとして、今日は割とどうでもいいコネタをひとつ。
東京近郊の山歩きをする時、年配の方々のグループがルート上で前を歩いてたりすると、「すみませーん」と会釈をしながら追い越させてもらうことが割とよくある。で、そういう時にグループのおばちゃんたちが、かなりの高確率で発する台詞がある。
「わたしたちとは、コンパスが違いますからねー、コンパスが!」
「まあ、自分の孫に追い越されたと思えば、当然よねー!」
ほんとにものすごい高確率である。今日だけで、二、三回言われた(笑)。そういえば昔、自分の母親も「コンパスが違いますからねー」とか口走ってたことがあったっけ‥‥。
昼、電車に乗って都心へ。今日から東京国立近代美術館で始まった、ジョセフ・クーデルカ展を見に行く。
僕はそんなにたくさん写真集を買う方ではないが、二十代の初め頃に買ったクーデルカの仏語版「エグザイルス」は、今も手元にある。あの頃、何度この写真集のページをめくっただろう。モノクロームの写真に横溢する、孤独と虚無。僕にとっての写真にまつわる原体験の一つは、間違いなくクーデルカの写真だった。
1968年のワルシャワ条約機構軍によるプラハ侵攻を撮影した彼の写真は、マグナムを通じて匿名のまま世界中に配信され、大きな反響を呼んだ。だが、それをきっかけに彼は祖国を逃れ、17年もの間、無国籍のまま、さまざまな土地を彷徨うことになる。どこにも家を持たず、わずかな収入をもとに最低限に生活を切り詰めてまで、彼はなぜ旅を続けたのか。何を見て、何を撮り、何を伝えようとしたのか。彼の作品のオリジナル・プリントを間近で見るのは初めてだったのだけれど、見続けていると、胸の奥の一番深いところを、きゅううっと締めつけられるような気がする。その感情をどう形容していいのか、自分でもよくわからない。
ミュージアムショップで販売されていた瀟洒な装丁の図録を買い、家に帰ってから、ソファでぱらぱらめくる。章と章の間に、クーデルカへのインタビューが挿入されている。その冒頭に、彼のこんな言葉があった。
「ジョセフ、おまえはずいぶん長く旅をしてきたそうだな。どこにも腰を落ち着けることなく、いろんな人に会い、いろんな国であらゆる土地を見てきたんだろう。どこが一番だったか教えてくれ。どこになら腰を落ち着けてもいいと思うんだい?」私は何も答えなかった。そこを発つ時になって彼はまた訊ねた。私は答えたくなかった。でも彼はしつこく訊いてきて、最後にはこう言ったのだ。「ああ分かったぞ。おまえはまだ一番だと思える土地を見つけていないんだな。おまえが旅を続けるのは、まだそんな土地を探しているからなんだろう」「友よ」と私は答えた。「それはちがう。私はそんな場所を見つけないように必死になってがんばっているんだよ」
祖国を離れ、あまりにも長い旅を続けてきた彼の哀しみが、そこににじんでいるような気がした。
午後、目黒で打ち合わせ。タイ取材関連のデータや紙モノ一式を編集者さんに引き渡す。これで、この案件の一番大変だったところはクリアした。何だかほっとした。
帰りに新宿で途中下車して、本屋や家電量販店をぶらつく。晩飯にふと思い立って、新宿西口に昔からあるとんかつ屋に行ってみる。学生の頃以来だから、二十年ぶりくらい? 店内はリフォームされてこぎれいになっていたが、とんかつは昔ながらのボリュームだったし、このご時世に、未だにごはんも豚汁もおかわり自由なのを守り続けてるのが、すごいなあと思った。
昔はとにかく、すきっ腹を満たしたくて、ごはんも豚汁もおかわりしまくってたんだよなあ。今夜はとりあえず、豚汁だけおかわりしておいた(笑)。
昨日は、天王洲アイルの銀河劇場で開催された、羊毛とおはなの結成十周年記念ライブを観に行った。何というか、ものすごくいろんな意味で、いいライブだった。サウンドも演出も、これまでの積み重ねを基にとことん考え抜かれ、作り込まれていて、観客も含めて関わる人々すべての愛情が、じんわりにじみ出ていたように思えた。僕自身、「LIVE IN LIVING ’07」で彼らの音楽に初めて接して以来、折に触れずっと聴いてきたから、昨日のような節目のライブに立ち会えたのは、本当によかった。
十年という月日。ふりかえってみて、自分はどうだったかな、と思う。十年前は‥‥フリーランスのエディトリアル・ライターとして、雑誌を主戦場とした仕事がようやく軌道に乗ってきた頃だった。おかげさまでたくさん仕事をもらえて、毎月かなり忙しくしていたものの、これじゃないんだよな、という思いも漠然と抱えていた。だからといって、十年後、自分が今のような状況になっているとは、まったく想像すらしていなかったけれど。
十年前と今とで、自分はどれだけ変わっただろうか。仕事や生き方の経験値は、少しはたまってきてるかもしれない。自炊も普通にするようになったし(笑)。一番違うと感じるのは‥‥十年前は、自分が伝えたいことは何なのか、見えていなかった。今は、おぼろげながら、見えてきている。しょっちゅう迷ったり、見失いかけたりするけれど。
十年後、僕はどうなっているだろう? その頃はもういい年だから、体調もいいとは限らないだろうし、出版不況が極まったあげく、仕事にあぶれてるかもしれない。そんな先のことは、正直わからない。不安もなくはない。でも、自分が伝えたいことを十年後も見失っていなければ、たぶん、何とかなってるんじゃないかと思う。その時その時、自分にできること、自分がやるべきことを、一つひとつ、積み上げていくしかないのだから。
昨夜のライブの帰り、電車に揺られながら、そんなことを考えていた。