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秋川渓谷散策

のどかな家並が残る秋川渓谷

昨日の日曜は、秋川渓谷に紅葉を見に行った。三鷹から武蔵五日市まで一時間ほど電車に乗り、駅前からバスで15分ほど行ったところにある荷田子というバス停で降りる。そこから渓谷の奥の西青木平橋まで行き、川沿いをぷらぷら歩いて駅まで引き返すというルート。

青森のリンゴ

夕方、中目黒のイタリア料理店へ。先日結婚した青森在住の知人の披露パーティーに出席する。

お二人とはジュレーラダックつながりの知り合い。彼は青森、奥さんは山口と、かなりの遠距離交際を三年間続けて、いろんな困難を乗り越えてのゴールインだったそうだ。今は青森に住んでいて、今日のパーティーでも、食前酒が青森産のシードルだったり、メインの肉料理にリンゴのソースが使われてたり、引き出物が青森のリンゴだったりと、彼ららしい、とても穏やかな雰囲気の宴だった。

帰りの電車の中、iPhoneを取り出そうとバッグのジッパーを開けると、リンゴのいい匂いがふわっと漂ってきた。二人ともお幸せに。

丹沢、氷の花

二ノ塔の手前から南を望む

昨日は、丹沢へ山歩きをしに行った。去年の春に歩いたのと同じ、ヤビツ峠から塔ノ岳を経て大倉に降りる、約六時間の行程。前日の天気予報では晴れと聞いていたけど、ヤビツ峠に到着してみると、鈍色の雲が空を覆うぱっとしない天気。澄み渡る青空の下で紅葉の山々を堪能できると楽しみにしていたのに、ちょっとがっかり。

登りはじめて約一時間後、二ノ塔の手前のあたりでふりかえると、雲間から射す光が海を照らしていた。

孫とコンパス

今日は早起きして、丹沢表尾根を縦走してきた。山歩きの様子は明日写真とともに紹介するとして、今日は割とどうでもいいコネタをひとつ。

東京近郊の山歩きをする時、年配の方々のグループがルート上で前を歩いてたりすると、「すみませーん」と会釈をしながら追い越させてもらうことが割とよくある。で、そういう時にグループのおばちゃんたちが、かなりの高確率で発する台詞がある。

「わたしたちとは、コンパスが違いますからねー、コンパスが!」
「まあ、自分の孫に追い越されたと思えば、当然よねー!」

ほんとにものすごい高確率である。今日だけで、二、三回言われた(笑)。そういえば昔、自分の母親も「コンパスが違いますからねー」とか口走ってたことがあったっけ‥‥。

流浪の写真家

昼、電車に乗って都心へ。今日から東京国立近代美術館で始まった、ジョセフ・クーデルカ展を見に行く。

僕はそんなにたくさん写真集を買う方ではないが、二十代の初め頃に買ったクーデルカの仏語版「エグザイルス」は、今も手元にある。あの頃、何度この写真集のページをめくっただろう。モノクロームの写真に横溢する、孤独と虚無。僕にとっての写真にまつわる原体験の一つは、間違いなくクーデルカの写真だった。

1968年のワルシャワ条約機構軍によるプラハ侵攻を撮影した彼の写真は、マグナムを通じて匿名のまま世界中に配信され、大きな反響を呼んだ。だが、それをきっかけに彼は祖国を逃れ、17年もの間、無国籍のまま、さまざまな土地を彷徨うことになる。どこにも家を持たず、わずかな収入をもとに最低限に生活を切り詰めてまで、彼はなぜ旅を続けたのか。何を見て、何を撮り、何を伝えようとしたのか。彼の作品のオリジナル・プリントを間近で見るのは初めてだったのだけれど、見続けていると、胸の奥の一番深いところを、きゅううっと締めつけられるような気がする。その感情をどう形容していいのか、自分でもよくわからない。

ミュージアムショップで販売されていた瀟洒な装丁の図録を買い、家に帰ってから、ソファでぱらぱらめくる。章と章の間に、クーデルカへのインタビューが挿入されている。その冒頭に、彼のこんな言葉があった。

「ジョセフ、おまえはずいぶん長く旅をしてきたそうだな。どこにも腰を落ち着けることなく、いろんな人に会い、いろんな国であらゆる土地を見てきたんだろう。どこが一番だったか教えてくれ。どこになら腰を落ち着けてもいいと思うんだい?」私は何も答えなかった。そこを発つ時になって彼はまた訊ねた。私は答えたくなかった。でも彼はしつこく訊いてきて、最後にはこう言ったのだ。「ああ分かったぞ。おまえはまだ一番だと思える土地を見つけていないんだな。おまえが旅を続けるのは、まだそんな土地を探しているからなんだろう」「友よ」と私は答えた。「それはちがう。私はそんな場所を見つけないように必死になってがんばっているんだよ」

祖国を離れ、あまりにも長い旅を続けてきた彼の哀しみが、そこににじんでいるような気がした。