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連休と台風

昨日は丸一日、休んだ。昼に吉田亮人さんがフィリピンのストリートチルドレンを撮った写真展に行き、ひさしぶりにご本人にお会いして、写真を拝見しつつ、しばしおしゃべり。その後は最近割とお気に入りのエリア、清澄白河の方に行って、ぶらぶら歩き回って、お茶を飲んだり、コーヒー豆を買ったり(たまたま選んだのは奇しくもフィリピン産の豆だった)。そういえば、ブルーボトルコーヒーが日本第1号店をオープンしたのも清澄白河だった。巨大企業ネスレに買収されちゃったけど。

で、台風18号が近づいてきて一日中雨だった今日は、完全に家に引きこもって、ずっと原稿を書いていた。昨日たっぷり休んだからか、サボりたくても台風で外に出て行けなかったからか、今日はものすごくはかどった。我ながらよくがんばった。やればできる。いつもこのくらいがんばればいいのに(苦笑)。

さて、台風一過の明日は、どうしようかな。

醒めても夢

朝6時に起き、買い置きのランチパックをほおばり、取材道具を携えて、渋谷へ。朝イチからの取材は、通勤ラッシュにも巻き込まれるので、なんだかんだで疲れる。

取材を終えた後、昼過ぎに家に戻る。仕事に取りかかる前にちょっと休もうとソファに横になると、そのまましばらく寝落ちしてしまった。

……目が醒める。なぜだろう、テレビの画面がついていて、音が聞こえる。ステレオの電源が入っていて、CDトレイが開いている。僕の身体の上に、誰がかけてくれたのだろう、毛布がかかっている。誰もいないはずなのに。いったい、誰が?

……本当に目が醒めて、身体を起こすと、テレビはついていないし、ステレオもついていない。身体に毛布もかかっていない。目が醒めたと思ったら、そこもまた夢の中だったのか。

それにしても、奇妙な夢だった。

チーム再結成

午後、都心へ。来春出す予定の新しい本について、デザイナーさんと印刷会社の担当者さんを交えての打ち合わせ。

この顔ぶれで集まって本を作るのは、これで2冊目。再結成したチームの、お互いによくわかっているという安心感と信頼感。そしてまた、本をまるまる1冊、一緒に作れるのだという、ぞくぞくするような期待感。仕事なんだけど、作りはじめる前から作業が楽しみで仕方ない。きっと面白い仕事になるし、必ずいい本にしてみせる。そして、一人でも多くの読者のもとへと届ける。よっしゃ。

……その前に、今、目の前で山積みになってる、先に片付けとかなきゃいけない別の仕事を、なんとかします……。

あのカメラを手に入れる人へ

涼しいというか、肌寒いくらいの天気。午後から新宿へ。メインで使っているカメラをニコンのサービスセンターで点検してもらうのと、古いカメラとレンズをマップカメラで下取りしてもらうために。

今回下取りに出したニコンのD300Sと16−85mmの標準レンズは、以前はメインの機材として、本当にいろんな場所で活躍してもらってきた。チャンタンの荒野、濁流渦巻くカルナク、そしてザンスカールも。レンズを一度、軽く調整してもらったくらいで、トラブルはまったく起きなかった。

愛着というか、未練というか、そういう気持はもちろんある。でも、カメラもレンズも使ってナンボだし、それに僕は一応、プロだ。仕事の質を上げていくためには、年末頃までに新しいフルサイズ一眼レフを導入した方がいいという結論に達した。仕事で出番のなくなったカメラとレンズは、ちゃんと使えるうちに、新しい持ち主のもとで第二の人生を歩んでもらえた方がいい。

いつの日か、どこかの誰かが、あのカメラとレンズを手に入れたなら、いったい、何を撮るのだろう。自分の子供か、空を飛ぶ飛行機か、はたまた路地裏の猫か。できることなら、その人にこっそり伝えたい。そのカメラは、遠い遠いインドのヒマラヤの荒野を、ずっと旅してきたのだと。

便利な生活

今日は一日、部屋でゆっくり。おひるにそうめんをゆでてごまだれで食べ、まほろばさんの豆でコーヒーをいれ、InterFMをかけ流しつつ、インドで撮ってきた写真の現像作業。疲れたら、ソファに寝転がってうとうとしたり。

日本での生活は、あらゆることが便利だ。電気は停電することなく常に流れ、シャワーは一定の温度に保たれたお湯がふんだんに出る。本屋に行けば雑誌や本に情報があふれかえっている。インターネットは光回線でYouTubeでも何でも見放題だし、スマホも4G回線でスイスイつながる。友達が今どこで何をしているのかは、SNSでだいたい筒抜け。近所のコンビニまで歩いていけば、たとえ真夜中でも、何でも買える。アマゾンを使えば、家から一歩も出なくても、たいていのものが買えてしまう。

便利だ。確かに便利だけど……そういう便利さは、人が生きるという行為の本質ではない、という気もする。もっと不便で物が手に入らない場所でも、人は人として、あるがままに、のびのびと生きていける。ラダックで、アラスカで、僕はそう教わってきた、と思っている。