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陣馬山から高尾山へ


気分転換と体力維持のため、ひさしぶりに日帰り山歩き。コースはおなじみの、陣馬山から高尾山までの縦走。早朝から電車とバスを乗り継ぎ、陣馬高原下から登山口に入る。ほかに人の気配のない、森の中を一人で歩くのは愉しい。自然の中に無心で没入できる感じが、心地いい。


六月に同じコースを歩いた時は妙に調子がよかったのだが、その時と比べると今回は、呼吸器系は問題ないものの、足の筋肉がややなまり気味で、前回ほどの余裕はなかった。そうはいっても、各区間の所要時間は前回とほとんど同じ(というか毎回ほぼ同じ)だったので、普通に歩けてはいるのだが。


天気は暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいいコンディション。気持ちのいい快晴だったが、富士山だけは、朝のうちにちらっと見えていただだけで、ほどなく全部雲に隠れてしまった。まあ、富士山を見るために登ってるわけじゃないから、別にいいんだけど。


下山直後に、IPAビールを1パイント、ぐびぐびと飲む。最高である。

森の中を歩く


急に思い立って、ひさしぶりの山歩きに出かけた。

もともと、今日は家でリモート取材の仕事が入っていたのだが、依頼元の都合などでキャンセルになり、ぽっかりと予定が空いてしまったのだ。新刊の原稿を書いてもよかったのだが、梅雨直前の貴重な晴れ間のようだし、七月からのインド行きの前に、身体をちょっと動かして慣らしておきたいというのもあって、山に行くことにした。本当は五月のもっと涼しい時期に行きたかったのだが、先月はあまりにも忙しすぎた……。

コースは毎度お馴染みの、陣馬山から高尾山までの縦走。スタート時点から気温も湿度も高く、うっかりすると脱水症状になるかもしれなかったので、割とこまめに立ち止まって、少しずつ水を飲むようにした。体調は特に問題なく、というか、今日は妙に調子が良かった。歩く速度自体はいつもと同じペースをキープするようにしたのだが、前回は少しきつかったと記憶してるところでも、まったく苦しくない。一月から三月にかけての高地での滞在による効果が、まだ身体に残っているようだった。

歩くにはちょっと蒸し暑かったが、鮮やかな緑がもわわんと繁茂する森の中を歩くのは、草木の生命力のおすそわけをいただいているようで、心地よかった。自然の中に身を浸す、その感覚そのものを味わいたいから、僕はこの山に出かけるのだろうな、と思う。

新しい本へ

4月7日(日)のタシデレでのイベントと、12日(金)の三鷹ユニテでのトークイベント、それぞれ盛況のうちに、無事終えることができた。昨年末に発売した『ラダック旅遊大全』絡みのイベントは、とりあえず全部終わった……はず。先月中旬に帰国して以来、特に7日(日)のイベントの準備(写真のRAW現像をしたり、ムービーを作ったり、スライドを作ったり)がかなりプレッシャーだったので、ほっとしている。

これから始まるのは、次への助走だ。新しい本の準備は、僕自身の中ではすでに始まっている。今度もまた、少なくとも一年はかかる長距離走になるのは確実だし、うまく書き上げられる保証はどこにもない。でも今、むちゃくちゃ楽しみだし、燃えてもいる。素材は間違いなく、最高だ。あとは努力と工夫次第。自分史上最高傑作を、何としても作ってみせる。

とりあえずその前に、目の前に山積みになりつつある国内案件の数々を、何とかせねば……。

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ジム&ジェイミー・ダッチャー『オオカミの知恵と愛 ソートゥース・パックと暮らしたかけがえのない日々』読了。オオカミの群れの生態の研究とドキュメンタリーの撮影のため、ソートゥース山地の麓の広大な敷地で、子供の頃から世話をしたオオカミたちの群れ(パック)を観察し続けた六年間の記録。野生のオオカミの撮影記録と勝手に思い込んでいたのだが、これはこれで、人の手を介した方法でしか知り得なかったであろうオオカミたちの習性や行動が紹介されているので、読み応えがある。オオカミについてあらためて知りたいと思っていたところ、家でこの本が積ん読になっていたので、読めてよかった。本編の一番最後に掲載されている写真が、とてもいい。

巨匠たちの足跡

最近、大規模な写真展を二つ、立て続けに見に行った。東京ステーションギャラリーでの安井仲治展と、近美で開催されていた中平卓馬展。

お二方とも日本の写真界の巨匠と呼ばれる方々で、もちろん海外での評価も高い。コラージュなどさまざまな技法を工夫しながら、若くして亡くなるまで写真表現の可能性を追求し続けた安井さん。伝説の写真同人誌『プロヴォーク』をはじめ、雑誌などで華々しい活躍をしながら、自らの恣意を写真から取り除こうとする方向転換も厭わなかった中平さん。どちらの展示内容も素晴らしく見応えがあって、見終わった後は、圧倒されすぎて、ちょっとぐったりするほどだった(苦笑)。

1月から3月にかけて、吹雪で外に出られない時以外はほぼ毎日、朝から夕方まで撮影に取り組む日々を過ごしていた。それが終わって帰国してから、ちょっと気が抜けてしまったというか、これから何を追いかけて撮ればいいのだろう、と、宙ぶらりんな気分になっていた(それまでがとんでもない日々の連続だったので、まあ無理もないけど)。でも、二人の巨匠の作品をじっくり見させていただいて、自分は全然まったく、まだまだだな、という気持ちにさせられた。次に何を追いかけるか、はともかく、立ち止まるにはまだ早すぎるな、とは思えるようになったというか。

もうちょっとだけ休んだら、また、がんばろ。

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レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望 増補改訂版 語られない歴史、手つかずの可能性』読了。聞きしに勝る名著。ヴァージニア・ウルフがかつて日記に記した「未来は暗闇に包まれている。概して、未来は暗闇であることが一番いいのではないかと思う」という言葉をなぞるように、ソルニットは過去から現在に至るまで、世界にもたらされてきたさまざまな変革の道筋を辿り、暗闇に掲げる松明のように、それら一つひとつを読者に示していく。私たち一人ひとりの人間のささやかな行動が、常に世界を動かし、変えてきたのだ、と。初版が刊行されたのは二十年以上前だが、今の時代にも読まれるべき本だと思った。

「PERFECT DAYS」

ヴィム・ヴェンダース監督の作品は、これまでにもそれなりの数を観てきた。個人的にものすごくフィットする好きな作品もあれば、正直そこまでピンと来ない作品もあった。で、最新作の「PERFECT DAYS」に関して言えば……大当たりだった。本当に素晴らしかった。

東京の下町に暮らす初老の男、平山は、渋谷界隈にある公衆トイレの清掃を生業としている。アラームもかけずに早朝に目覚め、植木に水を吹きかけ、はさみで口髭を整え、ツナギに着替える。缶コーヒーを買い、カセットテープの音楽を聴きながらワゴン車で出勤し、各所のトイレを黙々と手際よく掃除していく。神社の境内でサンドイッチと牛乳のおひる。大木の梢の木漏れ日を、コンパクトフィルムカメラで撮る。仕事を終えると、地元の地下街の飲み屋でいつもの晩酌。夜は、古書店の百均で買った文庫本を読みながら眠りにつく。

几帳面にルーティンを反復し続ける平山の日常は、同じような毎日に見えて、実は常に少しずつ違っている。同じように見える木漏れ日が、実は唯一無二の瞬間の連なりであるように。平山自身も、過去の苦い記憶と後悔と、自分自身の行末に対する漠とした不安を抱えている。それでも彼は、次の新しい朝を迎えるたび、空を見上げ、目を細める。

何気ない、でも、かけがえのない日常。その連なりこそが人生であり、だからこそ、すべての人の人生には、何かしらの意味があるのだと思う。