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事実を知り、事実を伝える

以前、別のエントリーで言及した「TRANSIT」のチベット特集号の件で、早稲田大学の石濱裕美子先生が、ご自身のブログに書評を掲載されていた。

白雪姫と七人の小坊主達:「事実」の重みを知れ

読んでいただければよくわかると思うが、件の雑誌の矛盾と問題点を、完膚なきまでに論破。石濱先生、さすがというか、容赦ない(笑)。お見事です。

でも、その一方で、あれだけ内容に矛盾と問題点を抱えてる雑誌を、「写真きれーい」「カッコイイー」「チベット行きたーい」と、うすっぺらく賞賛してる人も世の中にはいるわけで。そういう人は、何が矛盾してるのか、何が問題なのかということがまず理解できていない。日本人のチベット問題に対する認知度というのは、未だその程度の浅いものなのだろう。

先入観に惑わされず、今、何が起こっているのか、事実を知り、それを伝える。自分も書籍というメディアに携わる身として、あらためて肝に銘じねばと思う。

今日もまた一人、チベット人が焼身抗議を図ったという報せが届いた。状況は、何一つ好転していない。どこかの誰かに「演歌にも似た哀愁が絵空事に感じる」と言われようと、僕は、チベットの人々の側につく。

チベット問題と日本のメディア

昨日の朝、自宅の郵便受けに、購読していないはずの毎日新聞が入っていた。勧誘のために投函されたものらしい。何気なく広げてみると、なんと一面に、ダライ・ラマ法王とロブサン・センゲ首相のツーショット写真が載っているではないか。一面だけでなく、四面にも全面記事が載っている。担当はニューデリー支局の杉尾直哉記者。1960年代から現在に至るまでのチベット解放運動と、センゲ首相を中心としたチベットのこれからについてのルポルタージュ。精力的な取材に基づくフェアな視点で書かれた、読み応えのある記事だった。

中国が最も恐れる男 チベットの若き指導者

この記事、Webへの掲載予定はないらしい。よりによってこの日の新聞がうちに投函されてたというのは、我ながら、ツイてる(笑)。

こういう力の入った記事に比べると、最近巷で物議を醸している「TRANSIT」のチベット特集号は、偏った先入観による取材で作られた、底の浅い雑誌だと思えてしまう。もちろん、すべての記事がダメというわけではない。だが、本土でチベット人の尼僧の少女にダライ・ラマ法王のアクセサリーをプレゼントしたことを編集長自らが記事に書き、その尼僧の写真まででかでかと載せてしまう思慮のなさには、さすがに呆れた。この写真を基に当局がその尼僧を逮捕・投獄する可能性は十分すぎるくらいあるのだ。なにせ、日本で大人気の旅雑誌なのだから。

「チベット」を本気でメディアで取り上げるには、相応の準備と覚悟がいる。上っ面のイメージだけでやっつけたこの雑誌で、チベットが再び取り上げられることは、たぶんもうないだろうな。この特集号に関わったチベット関係の識者の大半を怒らせてしまったみたいだから。

歴史的邂逅

チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ法王14世と、ミャンマーの最大野党、国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー女史が、6月19日、訪問先のロンドンで会談。ともにノーベル平和賞の受賞者であり、それぞれ想像を絶する苦難の道を歩んできた二人。このツーショットを目の当たりにする日が来ようとは‥‥。

奇跡とか、希望とか、そういうものをあらためて信じられるような気がする出来事だった。

無関心との戦い

昼、渋谷で開催されるチベット・ピースマーチへ。家を出る時はまだ雨が降っていたが、ピースマーチが始まる頃には止むだろうと思っていた。こういうチベット絡みのイベントがある時は、不思議なくらい天気が持ちこたえるのだ。案の定、一行が宮下公園を出発する頃には、雨はぴたっと止んた。

宮下公園から、渋谷駅前、宮益坂、国連大学、表参道、そして再び宮下公園まで。一時間半ほどのピースマーチ。参加人数は、多めに見積もっても、200人くらいだろうか。2008年の時は、六本木に2000人も集まったのだが‥‥。残りの1800人は、たぶん、チベットのことはもう忘れてしまったのだろう。沿道からも「何やってんの? この人たち」という冷ややかな目線を浴びることの方が多かった気がする。

200人が一時間半ほど渋谷の街を練り歩いたところで、何も変えられないのかもしれない。でも、誰も、何もしなければ、本当に何も変わらない。

昨年からチベットで続いている焼身抗議という行為が、賢明なやり方だとは僕も思わない。でも、日々の生活から言論や信仰まで徹底的に弾圧され続けているチベットの人々の思いを考えると、無責任に「よせばいいのに」などと軽く流すことなんてできない。彼らの戦いは、理不尽な弾圧を続ける中国当局との戦いであると同時に、世界中の人々の無関心との戦いでもあるのだ。

あなたが、チベットの人々のことをほんの欠片でも気にかけているのなら、もっと彼らの現状について知ってほしい。そして、チベットについて周囲の人々と話をしてほしい。無関心という敵に勝てなければ、チベットの人々は本当に、文字通り、見殺しにされてしまうのだから。

心を踏みにじる

今日は、チベット暦の一月一日、ロサル。チベット人にとって、ロサルは一年で一番盛大なお祝いの日。近くのゴンパ(僧院)にお参りした後、親戚やご近所さんの家々を訪ねて、飲めや歌えや踊れやのどんちゃん騒ぎが繰り広げられる日‥‥のはずなのだが。

今年のロサルを、心からの笑顔で迎えたチベット人は誰もいない。一年以上前から続くチベット本土での僧侶や一般人の焼身抗議者への弔いと、彼らに対してさらに弾圧を強める中国政府への抗議の意を込めて、チベットの人々はロサルのお祝いを慎んでいる。

滑稽なのを通り越して呆れてしまうのは、そんなチベット人に対して、中国政府が「ロサルを祝え! だが、寺院への参拝はするな!」と強要していること。同胞のために命を散らせた者たちを悼む心。敬虔な信仰を守り続ける心。人として当たり前の権利を持って生きたいと願う心。そういったチベットの人々の心を、中国政府は泥まみれの靴で踏みにじり、唾を吐いている。

そうした現実を、所詮は他人事だから、何かと都合が悪いから、と見て見ぬふりをしている人たちもまた、同じ穴のムジナだ。