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ワクチンはまだ遠し

僕の住んでいる杉並区では、僕の年代にあたる40歳から59歳の人を対象にした新型コロナワクチンの接種予約が始まる予定だった。杉並区ではこの年代が一番後回しにされている。区内では40歳以下の年代の感染者がとても多かったからだそうだ。

で、ワクチン接種の予約が取れたかというと、ダメだった。僕だけでなく、ほとんどの人が。国からのワクチン供給量が大幅に減っていて、接種予約を受け付けられるだけの量が確保できなかったからだという。他の自治体でも、あちこちで同じような状況だと聞く。

僕も内心、8月中くらいにはワクチンを2回打ち終えて、9月か10月には実家方面に帰省して回ろうかと思っていたのだが、この調子だと、年末年始の帰省も怪しくなってきた。仮に海外取材の依頼が来たとしても、ワクチンパスポートが取れないから、行くに行けない(まあ、タイもインドも年内は依頼は来ないだろうけど)。

いやはや。なんて間抜けなんだろう、今の日本の政府は。今日の東京の新規感染者数は、1308人。この状況で、来週からオリンピックとかやるつもりらしい。狂ってる。

禅問答

先週末、自分の著作のフェアを開催していただいている書店での配信トークイベントに出演するため、大船に行った。トークの開始前に、軽く腹ごしらえをしておこうと思って、大船駅前にあるウェンディーズに入った。カウンターで、若い女性アルバイトの店員さんに、ハンバーガーとチリビーンズとドリンクのセットを注文。

「ドリンクはどれになさいますか?」
「あ、えーと、コーラで」
「今、コーラをご注文のお客様に、コーラを差し上げているんですが、いかがですか?」

……ん? んんん?

一瞬、この女性アルバイトさんに、禅問答を仕掛けられてるのかな、と混乱したのだが、よくよく聞くと、ドリンクでコーラを選んだ人に、おまけとして試供品の缶コーラをプレゼントしている、という意味だった。

あー、びっくりした。

電車でサラダチキン

昨日、都心に出かけようとして、電車に乗った。昼過ぎだったので、車内はまあまあ空いている。一番隅の席に腰を下ろした。

次の駅で、わらわらと人が乗ってきて、座席はほぼ埋まった。僕の隣には、ジャージ姿のやや大柄な若い男が座った。コンビニで買ったものが入ってるっぽいビニール袋を持っている。

電車が動き出すと、その男はビニール袋に手を突っ込み、何かを取り出した。サラダチキンだ。で、それを、いきなり開けにかかった。

まじかよ。そんなもん食べるのか。この、コロナ禍のご時世に。結構混んでるこの電車の中で。で、よりにもよって、俺の隣で。

僕は秒速で立ち上がって、車両の反対側に逃げ出した。途中でふりかえると、べりべりとビニールをむいて、サラダチキンを頬張ろうとしてる男の姿が目に入った。

誰か教えてあげてくれ、あの男に、TPOってやつを。

ノンアルに思う

四月下旬から東京都で発令されている、緊急事態宣言。今回の宣言下では、飲食店での酒の提供が禁じられた。

吉祥寺にあるなじみのバーは、休業せざるを得なくなった。三鷹や西荻窪の行きつけのお店も、ノンアルのドリンクのみにしたり、いつもと業態を変えたりして、それぞれ頑張っている。そうしたお店に行くと、いつもと同じ愛想のよさで、いつもと同じように心のこもった、おいしい料理を出してくれる。でもさすがに、酒を出せなくなったというのは、相当きついようだ。去年からずっと、時短営業だ何だとあれこれ締め付けられる中で、いろいろ工夫して頑張ってきただろうに。

最近の酒造メーカーの技術力はすごいので、ノンアルコールビールも、味はそんなに悪くなく、それなりに飲める。じゃあ当面は外食もノンアルでしのぐか、と思えるかというと……正直、まったく納得できない。

コロナ禍が始まって、かれこれ一年以上経つ今になって、飲食店に酒の提供を禁じるのは……理論的・戦略的・医学的な根拠に基づく判断というより、行き当たりばったりにあれこれ講じてきた対策では感染拡大を抑えきれなくなったから、とりあえず酒を止めてみるか、という窮余の策でしかないように思う。理論的・戦略的・医学的な根拠に基づいて、広範囲な検査と隔離と補償を徹底してきた台湾やニュージーランドのような国々の今の平穏ぶりとは、あまりにもかけ離れた結果だ。

今の日本のこの惨憺たる結果を招いたのは、間違いなく、政府与党の政治家たちが、無為・無策・無能だからだ。彼らがまっとうに考えて仕事をしていれば、感染拡大はもっと抑えられたし、医療崩壊も起こらなかったし、多くの人が困窮に追い込まれるのも防ぐことができた。酒だって普通に店で飲めた。ライブや演劇にだって普通に行けた。オリンピックなんて、とうの昔に返上していたはずだ。

まっとうな思考のできない政治家が、自らの過ちを省みることも認めることもせず、詭弁を弄して地位と利権にしがみついているうちに、日本は本当に、ぐちゃぐちゃな状態になってしまった。

次の総選挙まで生き残れたら、自分の一票で、自分の意志を示そうと思う。

今こそ、本をつくる

先週末は本屋B&Bで、竹沢うるまさんとのトークイベントに出演した。少人数ではあるが、お客さんに集まっていただいて、配信とのダブル体制で。

人前に出て話をするのは、およそ2年ぶり。司会とかでなく自分自身の旅の話をしたのは、3年ぶりくらいだろうか。始まる直前まではそれなりに緊張したが、話し上手なうるまさんのおかげで、すーっと場になじめて、まずまず話せたような気もする。何より、去年出した『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』についてのトークイベントをようやく開催できたので、本当にほっとした。

ただ、コロナ禍に苛まれている世の中の状況は、世界も日本も、まだまだ厳しい。大阪はもはや緊急事態宣言発令待ったなしだし、東京も早晩似たような事態に陥ると思う(そうならない要素を探す方が難しい)。お客さんを集めてのイベントの開催は、またしばらくは難しくなるだろう。

かといって、Zoomなどの配信によるトークイベントで視聴者を集めるというのも、なかなか難しくなってきているように思う。先週のトークイベントは、うるまさんのおかげもあって、それなりに採算の取れる形で成功したのだが、同じかそれ以上の結果を出し続けるのは、企画や人選でよほど工夫しないかぎり、無理だと思う。長引くコロナ禍で、世間の人たちはみな、リモート画面で見る世界にもう飽き飽きしているからだ。

こういうややこしい時代に、いったい、何をどうすれば、自分が伝えたいことを、一番良い形で伝えられるのだろう?

そう考えていくと、とてもシンプルな答えに行き当たった。本だ。本という存在が、ある意味、一番良い選択肢なんじゃないか。それを読みたい人のもとに届けられれば、いつまでもずっとそのかたわらに寄り添って、ページをめくられるのを待っていてくれる。自分はこれまでの人生の中で、そういう本をつくるという仕事を、ずっとしてきたんじゃないか。

今こそ、読むに足る価値を持つ本を、つくるべき時だ。やり抜こう。めちゃめちゃ忙しいけど、がんばろう。