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太陽の光

午後、多摩方面で取材。いつもよりややプレッシャーのかかる取材だったけど、どうにか無事に終える。帰りに立川で味噌ラーメンを食べ、三鷹ではコーヒー豆などを補充し、家路につく。

いつのまにか、すっかり日が長くなっているのに気付く。6時近くになっても、まだだいぶ明るい。太陽の光が降り注ぐ時間が長くなれば、それだけ大地が温まる時間が増える。季節はそうして巡っている。

太陽の光は、地球上のほぼすべての生命のエネルギーの源だ。そのかけがえのなさは、アラスカを旅していると特に強く感じる。同じ面積で比べると、極北の大地が受け取れる太陽エネルギーの量は、熱帯などよりもはるかに少ない。長く厳しい冬と、一瞬の夏。ほんのささやかな光を糧に、ツンドラの生き物たちは命をつないでいる。その儚さと、だからこそ持ちうる強さに、心を打たれる。

あちらではそろそろ、雪が解けて、あたり一面がぬかるみになる頃だ。クマたちも、目を覚ましているかもしれない。

さくら、ひらひら

昨日は昼から代々木公園で、吉田友和さん主催の旅人花見にお邪魔させてもらった。空はどよんと曇っていて、たまに、ぽつ、ぽつと降っていたけれど、花見をするには何とか大丈夫だった。人もそこまでめちゃめちゃ多くもなくて、かえってよかったかもしれない。

桜は、ちょうど満開で、少し強い風が吹くと、ひらひらと白い花びらが舞い落ちてきた。ビールを飲もうとして缶を持ち上げたら、手の甲に花びらがくっついていたり。しばらく待っていると、手のひらの中に、3枚、4枚と集まってきた。そのみずみずしさと儚さに、何だか切ない気分になる。

一年後、またこんな風に、桜の樹の下で花びらを手に取れるといいな、と思う。

アスパラガスのゆで方

近所の桜並木も、すっかり満開。夕方、食材の買い出しに、スーパーへ。

今日は卵や牛乳などをちょこっと買い足すだけのつもりだったのだが、地場野菜コーナーで、細くてすらっとしたアスパラガスが売られてるのを見つけて、つい買ってしまった。晩酌のビールの肴にしたら、うまいだろうなあ、と思って。

で、いざゆでようとして、はたと気づいた。俺、アスパラガス、自分でゆでたことなかった。どうやってゆでるのが正解なんだろう? ググってみると、なるほど、いろいろ情報があった。

まず、根元に近い部分は固いので、手で真ん中のあたりと根元の方を持って、曲げていくと、ぽきっと折れる。折れた根元の方は使わないらしい。で、アスパラガスは長いので、フライパンに水を張り、塩をひとさじ入れて、沸騰させる。そこにアスパラをそっと入れて、1分半くらい。ゆで上がったら、冷水にさらして色を止め、食べやすい長さに切る。あとはマヨネーズなり、生姜醤油なり、好みの味付けで。

素直に情報に従ってゆでたアスパラガスは、やわらかくて、みずみずしくて、たまらないうまさだった。また地場野菜コーナーで見つけたら、買ってこようかな。

いちごの味

晩飯の食材の買い出しに近所のスーパーに行った時、何の気なしに、いちごを1パック買った。ついでに練乳も。いちごに練乳をかけて食うなんて、もう、いつ以来だか思い出せない。何十年ぶり、くらいかもしれない。

実家のある岡山は気候が温暖で、果物栽培も盛んだった。子供の頃、果物は当たり前すぎるくらいいつも食卓にあった。マスカットや白桃など、東京で買うと目玉が飛び出るくらい高価な果物も(もちろん地元で出回るずっと安いものだが)、季節になれば毎日のようにぱくぱく食べていた。

いちごも確か、親戚が露地栽培していた記憶がある。子供の頃、収穫の手伝いというか、もいでは食べ、もいでは食べ、していた記憶もある(笑)。あの時食べた、小さないちごの味だけは、今も不思議によく憶えている。すっぱかった。でも、たまらなくおいしかった。お日さまの恵みが、ぎゅうっと詰まったような味だった。

風邪っぴきの間に

ここ2、3日、風邪で微妙だった体調も、ほぼ回復。今日も取材のため、昼から出かける。

風邪の悪寒が消えたからか、大気が思いのほか暖かく感じる。マンションの玄関を出て、駅に向かう途中、あっ、と思わず立ち止まった。近所の木蓮の花が、いつのまにかすっかり咲き切って、大きな花弁がぼたぼたと散り始めていたのだ。

この木蓮の木が、毎年、ふわっと白い大きな花を咲かせるのを見るのが、この時期の楽しみの一つだった。今年はアラスカくんだりに出かけて、反動の疲れで風邪とかひいてぐずぐずしてるうちに、木蓮の咲き始めをすっかり見過ごしてしまっていた。それだけ余裕がなかったということなのだろう。

いかんな、こんなことでは。木蓮、また来年、きれいな咲き始めを見せておくれな。