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雪の安曇野

Snowmans
あけましておめでとうございます。あいかわらずやる気のないブログですが(笑)、今年もよろしくお願いします。

この年末年始は、三泊四日で安曇野に行って、岡山から来た母と妹一家と過ごした。今までに何度か安曇野で年越しをしているが、今回はいつになく寒かった。元旦の昨日は気温が一日中氷点下だったし、今朝は結露が凍結して窓が開かなくなり、カーテンまで一緒に凍ってしまうほどだった。この土地で暮らしてる人たちには、さほど珍しくもないことだとは思うけど。雪も結構積もっていて、家の外には雪だるまたちが鎮座していた。

温泉で露天風呂に浸かり、初詣でイマイチなおみくじを引き、姪と甥たちにお年玉を持って行かれ、そんな正月のひとときも今日で終わり。さて、これからまた、地味な戦いの日々の始まりだ。

みっともなくても

昨日はずっと家にいて、一昨日の取材の原稿を書いていた。晩飯にキャベツとコンビーフを煮て、仕事を終えた後、カマンベールチーズをつまみにビールを飲んだ。淡々と過ごした一日だった。

Facebookには、たくさんの人から誕生日祝いのメッセージが届いていた。僕自身はそういうことに無頓着なので、何だか申し訳ない気もする。僕の人生は、たぶんとっくに折り返し点を過ぎ、ぜいぜいと喘いでいるうちに、終わりが近づいているのだな、と思う。

その残された時間の中で、自分に使える力のできるだけ多くの部分を、旅にまつわる本たちを作ることに注ぎ込んでいく。たとえ、どんなにみっともないことになっても、人生が続くかぎり、旅の本にこだわって取り組んでいく。この一年は、そんな覚悟のようなものを、自分自身の中で固めた一年だったような気がする。

とはいえ、まあ、いろいろしんどいけれど(苦笑)、やれるだけやってみようと思う。

出会うことの意味

昨日から、来年1月17日(土)に渋谷で開催する「撮り・旅!」のトークイベント第2弾の告知を始めた。おかげさまで、予約状況もかなり好調な出足のようだ。どうにか定員にまで達するといいのだけれど。

こうしたトークイベントは、ビジネスの観点で見れば、直接的な利益にはほとんどつながらない。今回も旅行会社3社に協賛していただいているけれど、満席になったとして、その入場料と協賛金を合わせても、会場代や出演者の方々への謝礼を引けば、ほとんど残らない。出版社も自発的にはこうした儲からないイベントはあまりやりたがらないので、もっぱら著者側が企画して主導することになる。もちろん、もっと有名な作家の方とかだと全然違うのだろうけど。

では、全然儲からないのにどうしてわざわざ大変な思いをしてイベントをやるのかというと‥‥単純に本のプロモーションのためだから、とは言い切れない気がしている。うまく言えないのだが‥‥自分たちが作った本の読者の方、あるいはこれから読者になってくれるかもしれない人に、イベントという現実の場所で、直接出会ってみたい、と思うのだ。そこで、自分たちが本に託して伝えようとしていたことは正しかったのか、間違っていたのか、ちゃんと伝わったのかどうかを、ほんのいくばくかでも確かめられないだろうか、と。

ともあれ、今回のは、めいっぱい面白いイベントにするつもり。興味のある方は、土曜の午後に僕たちに会いに来てください。お待ちしています。

バトン

午後、豊田にある大学キャンパスでの取材を終えた後、都心に移動。今夜は代官山蔦屋書店で、九月に亡くなった旅行コンシェルジュの森本剛史さんのお別れの会。

会場には、びっくりするくらい大勢の人が集まっていた。100人は余裕で超えてたんじゃないだろうか。お別れの会というものにありがちな湿っぽさはほとんど感じられなくて、誰もが旧交を暖めながら、森本さんの思い出話をしては笑顔を見せていた。ここに集まった人たちはみな、森本さんが結びつけた人たちなのだ。そう考えながら周囲を見回すと、とても不思議な気持になった。

会の終わりに、会場の壁面に、映像が映し出された。森本さんが住んでいた部屋だった。壁際の棚という棚にぎっしりと詰め込まれたままの、旅にまつわる、ありとあらゆる本。次に書く本の構想を書き留めた分厚いノート。森本さんにとっては、最後の最後まで、すべてが旅であり、本だったのだ。

ふいに、ぽん、とバトンを手渡されたような気がした。いつもの、気軽な調子で。

ヤマモト君、今度はどこに旅に行って、どんな本を作るんだい? いいのができたら、持って来なよ。

それは、最後の最後まで、旅の本を作り続ける、覚悟のようなものなのかもしれない。受け取ったバトンを手に、僕はどこまで走れるのだろう。そう思うと、ぎゅっと、胸が締め付けられるような気がした。

仕事の価値

仕事というものの価値について考えてみる。世の中にはいろんな職業があるから、一概に言えることではないけど。

いい仕事、価値のある仕事って何だろう? たっぷりと報酬がもらえる仕事? そうとはかぎらない。昔頼まれたある仕事は、確かに報酬はよかったけれど、それをしても世の中に何ももたらさない、ただその依頼主が公的機関から金を吸い取るためだけの仕事だったと知った。あれほど無駄な時間はなかったかもしれない、と今でも思う。

逆に、報酬は正直ちょっぴりだけど、隅々までとても気持よく関わらせてもらえた仕事というのも、時々ある。それは結局、目指しているものの世の中における大切さとか、関わっている人たちの熱意とか、そういうものを感じられるから「やってよかった」と思えるのだろう。

とはいえ、いい仕事には相応の対価が支払われるべきだということも、僕は大切だと常々思っている。いくら熱心に依頼されても、たとえば1文字0.1円で文章を書いてくれと言われたら、断るしかない。そんな依頼をする人は、その仕事の価値や求められる能力をまったくわかっていないからだ。

文章を書く仕事、写真を撮る仕事、本を作る仕事。依頼してくれる人たちと気持が通じ合って、よいものを世の中に届けていけるような仕事に携わりたいな、と思う。