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写真と演出

ここ数年のことだと思うのだが、世界各地の辺境に暮らす少数民族に民族衣装を着てもらって、完璧な構図とポージングで撮影した写真が結構たくさん世の中に出回るようになった。貴重な資料のポートレート写真として価値のあるものもたくさんあるが、その一方で、ちょっとカッコよく演出しすぎてしまっているものも少なくないと思う。

個人的には、いわゆるドキュメンタリー写真として世に出されているもので、ひと目見た時に「あ、これ、このへんをこう演出してるな」とわかってしまう写真は、正直言って苦手だ。あまりにも完璧な構図、あまりにもできすぎた雰囲気。そこに撮り手の作為や演出があることがわかると、一気に冷めてしまう。

その撮り手が伝えたかったことは何なのだろう。完璧な構図の美しい写真なのか、それともその場所で出会ったありのままの風景や人々や出来事なのか。僕は、完璧に演出されて隅々まで調整された美しい写真よりも、撮り手の感じたありのままの生の思いがぎゅっと込められた写真を見たい。

初期化して再構築

ここ数年、仕事の隙間を縫うようにして、アラスカに少しずつ通っている。あと3週間ほどしたらまた、彼の地へと飛ぶ予定だ。

「ラダックの次は、アラスカをやるんですか?」という風によく訊かれる。そうである部分もなくはないけど、その通りとも言えない。まず、ラダックとはこれからも、ライフワークというか、自分の担うべき役割を果たすために、ずっと関わり続けるつもりでいる。アラスカでの取材は、ラダックとは別の基軸に位置付けて、並行する形で取り組んでいる。ただ、ラダックでこれまでやってきたやり方と、アラスカでこれからやろうとしているやり方とは、自分の中では、かなり違う。まったく別のアプローチを試みていると言ってもいいかもしれない。

その違いは、目先のテクニックやノウハウではなく……自分以外の他者、周囲の世界そのものに対する、向き合い方や考え方の違いなのだと思う。ラダックでの日々も含めて、今まで生きてきた中で積み重ねてきたものを、ばっさりと全部初期化して、ゼロから再構築していくような……。そうして初期化して再構築した結果が、これまでの自分と全然違うものになるのか、それとも同じ答えに行き着くのか、まだわからない。本当に答えが出るのかどうかも、わからない。再構築しきれずに、ボロボロと崩れてしまうのかもしれない。

答えの見えない、闇の中へ。怖いし、不安だし、迷いもある。でも、やっぱり、進むしかないんだろうな。

関健作×山本高樹 トークイベント「僕たちはブータンとラダックで、撮って、書いて、生きてきた。」


毎年春の恒例行事となりつつある、ブータン写真家の関健作さんとのコラボトークイベント。今回は、お互いの旅と写真と文章のルーツ、それぞれのメインフィールドにこだわり続ける理由などについて、じっくり話してみようと思っています。ご来場、お待ちしています。

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関健作×山本高樹 トークイベント
「僕たちはブータンとラダックで、撮って、書いて、生きてきた。」

旅に出て、ある場所に出会う。そこはもしかすると、あなたが訪れるのをずっと待ってくれていた場所かもしれません。ヒマラヤの東の小国ブータンに出会った関健作と、ヒマラヤの西外れの辺境ラダックに出会った山本高樹。彼らは何に惹かれ、何を求めて、それぞれの土地に関わり続けることを選んだのでしょうか。二人の写真家がこれまでに紡いできた写真と言葉の変遷をたどりながら、異国への旅、そして人生について、じっくりと考えてみるトークイベントです。

■日時:3月25日(土)14:30〜16:30(14:00開場)
■会場:モンベル 御徒町店 4F サロン
東京都台東区上野3-22-6 コムテラス御徒町
TEL03-5817-7891
http://www.montbell.jp/
■定員:80名(メールによる事前予約制)
■主催:GNHトラベル&サービス
http://gnhtravel.com/

うまければいいというわけではない?

文章、あるいは写真について論じる時、「うまければいいというわけではない」という言い方をする人がいる。

確かに、上手だったらそれでいいはずなどなく、表現したり伝えたりするものが熱意とともに込められていなければ意味がない。でも、それをその人自身にスキルが不足していることの言い訳にするのは、ちょっと違うと思う。特に仕事として本や記事を作ったりする人は、なおさら。「うまければいいというわけではない」のは確かだが、「うまければそれに越したことはない」のも間違いなく事実だ。あるテーマについて複数の人が同じ熱量で表現しようとしたら、そこにはスキルの差が如実に現れるのだから。

文章にしろ、写真にしろ、ほかの何にしろ、仕事として取り組んでそれで報酬をもらっているなら、あーだこーだ言い訳をするのは、みっともない。自分自身、肝に命じようと思う。

相応の金額

出版不況もここまで長引く(というか、もう回復はしないと思う)と、何かにつけて辛気臭い話が多くなる。予算が減るだの、人手を減らすだの、まあ、いろいろ。

雑誌の世界は、一部の大手出版社を除けば、しばらく前から内製化が進んでいる。ライターやカメラマンの代わりに、編集者が自ら取材に行ってデジカメで写真も撮る、とか。確かにそうすれば予算は節約できるのだが、編集者にかかる負担は数倍になり、文章や写真の品質も維持できなくなる。結果、編集部は疲弊し、雑誌の品質も売上も落ち、さらに予算が削られ……という悪循環を辿っている雑誌は、今の世の中、少なくないと思う。旅行用ガイドブックなど、ライターやカメラマンが複数関わる書籍も、たぶん似たような状況だろう。

開高健さんが生前にエッセイで、「いいものを作るのに必要なのは、たっぷりの時間と手間と、必要なだけの金だ」という意味のことを書いていたと記憶しているのだけれど、確かに、本や雑誌を作るのに、お金はとても重要だ。湯水のように注ぎ込めばいいわけではないが、必要なところに適正な金額を使えないと、関わる人々の心意気だけではどうにもできない状況が必ず生じる。必要とされるスキルを持っているスタッフには、それ相応の金額を。世の中、そういうバランス感覚に戻ってほしいな、と思う。