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冬の陣馬山から高尾山へ


ほぼ2年ぶりくらいに、陣馬山から高尾山までの道を歩きに行った。これだけ間が空いたのは、一昨年の夏に左膝をちょっと傷めていたのと、去年がいろいろ忙しすぎて、都内近郊の山歩きとかをしてる余裕がまるでなかったから。

このコースは何度も歩いているが、2月の寒い時期に歩いたことはない。平日ということもあって、登山者やトレイルランナーもまばら。朝の淡い光が射し込む木立の中を、ゆっくりと歩いて登る。靴底の下で、時折、霜柱がサクッと音を立てる。


陣馬山の山頂から、白い冠を戴いた富士山が、くっきりと見えた。冬晴れの青い空。息を吸い込むと、ピリッ、と音がしそうに思えるほど、空気は冷えて、澄み切っている。


二つの山の尾根伝いに歩く道は、あいかわらず快適。とはいえ、季節が季節なので、油断していると、吹き上げてくる風にあっという間に体温を奪われてしまう。遮風性のあるジャケットと、耳まで覆う帽子、手袋などは用意しておくべきだと思う。

ひさしぶりに、気分転換にも、体力維持にも、いい一日になった。

次の旅へ

去年の10月末にタイでの取材を終えて戻ってきてから、かれこれ2カ月半、日本にいる計算になる。散髪に行っても、コーヒー豆を買いに行っても、行く先々で「あれ、まだ日本にいるんですね」「次はいつ、どこにですか?」と聞かれる(苦笑)。

次の旅は、実はもう決まっている。必要な手配もほぼ済ませた。3月上旬に一週間。目的地は、アラスカ。原野の真っ只中にあるウィルダネスロッジに、数日間、滞在させてもらう。今回はキャンプではないので、幕営の装備や食糧を持っていかなくていいから、かなり楽だ。これまでに比べると、ちょっと甘ちゃんの計画(笑)。

とはいえ、まだ雪がたっぷり積もっているはずの極寒の原野。油断してると、間違いなく痛い目に遭うだろう。ぬかりなく準備して、気を引き締めて、あらゆるものを見て撮って感じて書いて、楽しんでこようと思う。

孤独の意味

「誰もいない原野の真っ只中で、たった一人でいることが、嬉しくて、嬉しくて、仕方なかった」

20年以上前、ある人が、ある人と、ある人について話した言葉。当時、それを耳にした僕は、その意味がまったく理解できなかった。でも、今はたぶん、ほんの少しだけ、その真の意味が理解できるような気がしている。

危険をかえりみずに冒険をしたことを後で人に自慢しようとか、そんな薄っぺらい気持では断じてない。他の人間と関わるのが嫌で一人になりたかったというのとも違う。たった一人で、誰もいない原野にいる。でも、つらくはないし、寂しくもない。完全な孤独の中に身を置くからこそ、理解できる感覚。世界のすべての存在の中で、自分はそのほんの一部分に過ぎないということ。

あの感覚を、人に説明するのは、とても難しい。

森の中の孤独

翻訳できない世界のことば」という本がある、と教えてもらった。世界のいろんな国や地域には、他の言語に翻訳しようと思ってもひとことでは言い表せない、その言語特有の表現がたくさんある。これはそういう世界各国の言葉を集めた本なのだという。本屋の店頭で見かけて、ぱらぱらめくってみると、なるほど、確かに面白い。

ドイツには、「Waldeinsamkeit」という言葉があるそうだ。この本によると「森の中で一人、自然と交流する時の、ゆったりとした孤独感」というニュアンスの言葉なのだという。森の中の孤独。数週間前、南東アラスカの島で過ごした数日間は、「Waldeinsamkeit」だったのだろうか。

あの日々の中で僕が感じていたのは、孤独、という感覚とはちょっと違っていた。無数の命がひっそりと息づく森で、目には見えない関係性のようなものを感じながら、僕は不思議なほど満たされ、穏やかな気持でいた。今まで経験したことのない感覚だった。あれはいったい、何だったのだろう……。

森と氷河と鯨


昨日の午後、予定通りに南東アラスカから日本に戻ってきた。この間のラダックでの滞在に比べれば、期間も半分だし、あっという間だった気もするのだが、ラダックから戻ってきた時以上に、浦島感というか、周囲の環境にうまく馴染めなくて、ぼーっとしてしまっている。日本に、というより、人間のいる環境に。

南東アラスカでの日々は……短い間に、本当にいろんな出来事があった。誰かに話しても、すぐには信じてもらえないような出来事も。氷河の青い氷。苔の繁茂する深い森。ハクトウワシのまなざし。無邪気にじゃれあうクマ。ボートを取り巻くザトウクジラの群れ……。

あまりにも気高く、美しいものを、僕は、目にしすぎてしまったのかもしれない。