9月14日(土)発売のアウトドア雑誌「PEAKS」2019年10月号の巻頭特集「ニッポンのロングトレイル」で、海外のロングトレイルを紹介するコーナーに、4分の1ページ程度の扱いですが写真と情報を寄稿しています。僕が紹介したのは、スピティとラダックの間を結ぶパラン・ラ・トレックについて。少なくとも、マニアック度では群を抜いていると思います(笑)。
書店で見かける機会がありましたら、お手にとってご一読いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
9月14日(土)発売のアウトドア雑誌「PEAKS」2019年10月号の巻頭特集「ニッポンのロングトレイル」で、海外のロングトレイルを紹介するコーナーに、4分の1ページ程度の扱いですが写真と情報を寄稿しています。僕が紹介したのは、スピティとラダックの間を結ぶパラン・ラ・トレックについて。少なくとも、マニアック度では群を抜いていると思います(笑)。
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一昨日、約一年ぶりに、ヤビツ峠から丹沢表尾根を縦走してきた。本当はもう少し早く、梅雨入りする前にと思っていたのだが、5月6月はいろいろ忙しくて、結局この時期になってしまった。天気予報を見つつ、平日に晴れそうで仕事も入らなさそうな日に……ということで日程を決めたのだが、これが大当たり。この時期にしては珍しいくらい、すっきりとよく晴れた天気の山行になった。
梅雨のこの時期の山歩きなので、眺望にはまったく期待してなかったのだが、この日は本当によく晴れていて、海の向こうには房総半島や伊豆大島まで見えるほどだった。風も爽やかで、夏山を満喫できた。
三ノ塔を越えたところに佇んでいるお地蔵さん。今年もファッショナブルで、お元気そうで何より。
この日はとにかく暑かったので、特に登りでは飛ばしすぎないように用心しながら歩いていたのだが、塔ノ岳の手前で他の登山者を追い越した時(本当は追い越したくなかったのだが、道を譲られてしまったので)、ペースが乱れて、両腿の大腿四頭筋に軽く痙攣が来てしまった。まあ、塔ノ岳のこのポイントでは、毎回足がぴくぴくするので、想定内ではあったのだが。すぐに頂上に着いて、おひる(モンベルのカレーリゾッタとフリーズドライのスープ)を食べてるうちに、すっかり治ったけれど。
家に戻った後、途中でメモしていた今回の各ポイントでの通過時間を見てみると、一年前に歩いた時とほとんど同じ所要時間で歩いていたので、びっくりした。大倉から渋沢駅に戻るバスも同じ時刻の便だったし。面白いものだ。
ラダックに行く前に日本で一度、こういう山歩きをしてほどほどに足を慣らしておくと、向こうで山道などを歩く時も問題なく歩けることは、経験上わかっている。なので、今年も準備完了というところ。
昨日は(日本国内では)ひさしぶりの山歩き。自分的にはおなじみの、陣馬山から高尾山までのお手軽縦走コース。朝、家を出た時は薄曇りでどうなるかなと思ったが、陣馬山を登っているうちにすっかり晴れて、ちょっと暑いくらいの陽気になった。春霞で景色はぼんやりしていたが、芽吹いたばかりの新緑が眩しくて、いろんな鳥の鳴き声を聞きながら、のんびりと尾根歩きを楽しむことができた。
平日なので登山客も少なく、おおむね快適だったのだが、高尾山周辺にさしかかると、小学生の遠足のグループにあちこちで遭遇。そこら中を自由に走り回るちびっこたちを追いかけながらカメラを構える、プロのカメラマンさんたちが本当に大変そうだった。ご苦労様です。
一年ぶりに、陣馬山から高尾山までの尾根道を歩いてきた。去年は風が強くて結構寒かった記憶があったので、しっかり着込んだ上にザックにはインナーダウンとアウターシェルを詰め込んでおいたのだが、今日は風はほとんどなく、時間が経つにつれ気温もぐんぐん上がって、15℃くらいにまでなった。おかげでラクに歩けたが、ぴりぴりと頬を切るような風を期待していたので、ちょっと物足りなかった気もする(笑)。
年末年始の不摂生のせいか、今日は身体がかなり重く感じた。ひさしぶりの山行だからか、足さばきもいまいち思うようにいかない。こういう時はペースをおとなしめにキープして、じっくりと慎重に足を運ぶように意識する。すると、だんだん山歩きでの足さばきの感覚が甦って、調子が戻ってきた。トータルでは、約6時間。去年は5時間半くらいだったはずだが、気持ちスローペースで休憩もやや長めだったので、こんなところだろう。
朝の早い時間帯にこの尾根道を歩く時、冬の日差しが足元に木々の影を落とすのが好きだ。立ち止まって写真を撮っていたら、山歩き慣れしていそうな父親と男の子が、仲良くおしゃべりしながら僕を追い越していった。
僕はよく、面と向かって、あるいは人づてに、「ヤマモトさんは、冒険家なんですか?」と聞かれる。「ワセダの探検部出身ですか?」と経歴を確かめられたり(まったく関わりはない)、「ひげもじゃでクマみたいにゴツい人だと思い込んでました」と言われたり(メガネでひょろっとしたヘタレのおっさんである)。たぶん、ラダック関係で書いた2冊の本や、雑誌などに時々寄稿している記事から、そういうイメージを持たれているのだろう。
実際、僕は単に物書きと写真を生業にしているだけの男だ。今も昔も、写真や文章のネタとしての「冒険」はしていない。僕の仕事は、ある場所に行って、自ら見て聞いて感じた物事を、文章と写真で伝えること。その過程でくぐり抜けねばならないリスクがあれば挑む場合もあるかもしれないが、それ自体は目的ではない。犯さなくていいリスクは、極力避ける。人の助けが必要なら頼りまくるし、文明の利器が使えるならそれにも頼りまくる。だから僕は、冒険家ではまったくない。
もちろん、世の中には、前人未到のチャレンジを成し遂げることを目標に活動を続ける冒険家の方々がいることも承知している。周囲にも、直接あるいは間接的に存じ上げている著名な方々は多い。周到な準備と計画、頑強な身体と卓越した技術、そして目標達成への執念。けっして無謀ではなく、紙一重のリスクを冷静に見極めつつ、時には撤退する勇気も持つ。どれも自分には真似のできないものばかりだし、彼らが書いたり語ったりする言葉には、それぞれ唯一無二の価値があるのだろうとも思う。
ほとんどの冒険家は、誰のためとかではなく、自分自身の目標を達成するために、冒険に挑む。それは当然のことだ。冒険に挑む理由を自分の外に求めてしまったら、そのしがらみがギリギリのところで判断を誤らせるかもしれない。ファンの期待や、スポンサーの支援。あるいはアンチに対する反発。それらを背負いすぎると、つらいことになる。
登山家の栗城史多さんが8度目のエベレストへの挑戦中に亡くなったというニュースを知って、頭に浮かんだのが、そんなもやもやした思いだった。登山の実況中継という「冒険の共有」にこだわりすぎて、リスクの見極めに無理が生じてはいなかったか。もし、何よりも自分自身のための登山であったなら、実力に合ったルートや酸素ボンベの携行という選択も含めて、登頂して帰ってこられる可能性は、ずっと高かったはずだ。仮にそうしても、その後に彼が語る言葉には、十分すぎるくらい人の心を動かすものが宿っていただろうに。
誰がための冒険ではなく、自分自身のための冒険をしてほしかった。