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「マーリ」

インド映画の特集上映「インディアンムービーウィーク2021 パート2」を開催中のキネカ大森へ、昨日に続いて今日も行ってきた。今日観たのは、ダヌシュ主演の「マーリ」。

チェンナイで下町を仕切る札付きのチンピラ、マーリ。その荒っぽい素行のせいで町の人々からは恐れ嫌われ、新任の警部アルジュンにも目の敵にされていたが、地元で盛んな鳩レース用の鳩の飼育には熱心で、一羽一羽の鳩に惜しみない愛情を注いでいた。そんな中、この界隈でブティックを新しくオープンした女性、シェリーとの出会いがきっかけで、マーリを取り巻く事態はにわかに慌ただしくなっていく……。

序盤は割とのんびりした展開で、あーなるほどーと思いながら観ていたら、インターミッションの手前あたりで、オセロで大量の石が一気にひっくりかえるような想定外の展開に。南インドのアクションコメディ特有のベタなお約束は守りつつも、最後まで飽きさせない展開で、よくできた映画だなあと感心した。

丸グラサンと奇天烈なヒゲに、チンピラのステレオタイプみたいな衣装でマーリを演じたダヌシュは、悪党を演るのが本当に楽しそうで、気持ちいいくらいに振り切れていた。本国では2019年に続編も公開されているそうなので、日本でも、ぜひ。

「マスター 先生が来る!」

今のインド・タミル映画界の至宝と呼ばれている二人の俳優、タラパティ(大将)ヴィジャイと、ヴィジャイ・セードゥパティ。それぞれ主演で数々の大ヒット作を世に送り出してきた二人が、夢の競演、しかも主役と敵役として真正面から激突する。そのとんでもない映画「マスター 先生が来る!」が、ついに日本でも日本語字幕つきで上映されることになった。何というかもう、この時点ですでに感無量である。

大学で心理学を教えるJDは、多くの学生に慕われる存在だったが、辛い過去の経験からアルコールに依存する日々を送っていた。大学内での学生会長選挙をめぐるいざこざで、3カ月の休職と、ナーガルコーイルという街の少年院での勤務を命じられたJD。しかし、その少年院は、街で急速に勢力を拡大するギャング、バワーニの悪事の温床となっていた。バワーニの非道な仕打ちから少年たちを守るため、JDは単身バワーニの一味に立ち向かおうとするが……。

丸々3時間にも及ぶ大作だが、物語自体はすこぶるシンプル。JDとバワーニの二転三転の知恵比べのような展開があるのかなと予想していたのだが、最初から思いのほか、駆け引きなしのノープランでの力勝負が展開されるので、二人の過去の作品と比べると、ちょっと意外だった。バワーニの生い立ちは冒頭である程度描かれていたが、JDの生い立ちは第三者の台詞でかいつまんで説明されただけだったので、そのあたりももうちょっと見てみたかったかなと(二人に過去の意外な因縁があったりするとなお面白かったかも)。JDとバワーニ、それぞれの人となりをもっと知ってみたかった気もするし、二人の直接の絡みももっと見てみたかったとも思う。

ヒロイン陣の存在がほぼ空気とか、少年院行きの真相それでいいのかとか、例によってツッコミどころはたくさんあるのだが、まあ……細けえことはどうでもいいんだよ(笑)。タラパティとVSPがボッコボコに殴り合う最後の対決は、単純明快に、ただただ、めちゃくちゃ熱い。あれだけでも観る価値は十二分にあるし、何ならもう一回観に行ってもいいと思ってるくらいだ。二人とも、いいぞもっとやれ。

読んだ本、観た映画

最近読んだ本や、観た映画の感想を、とりあえず短めにまとめて記録。

マーセル・セロー『極北』
チェルノブイリ近郊で立入禁止区域に残って一人で暮らす女性に著者が出会ったことが、この本の着想のきっかけだったそうだ。今よりも少し未来の、人類の黄昏時の物語。その黄昏時は、僕たちが暮らしている現実の世界にも、着実に忍び寄ってきているように感じる。何百年も先のことではなく、たぶん、もっと近くに。

『ジャッリカットゥ 牛の怒り』
ケーララ州の密林にある小さな村で、食用にするはずの水牛が脱走して大暴れ。水牛を捕まえようと追いかけ回す男たちは、やがて得体の知れない狂気に蝕まれていく。最初は「これ、怪獣映画やん」と思いながら観てたのだが、何のことはない、人間どもの方がよっぽど怪獣じみていた。面白いかと言われると、うーん、どうだろ。観る人を選ぶのは間違いない。

『竜とそばかすの姫』
前作は正直いまいち刺さらなかったのだが、今作は、細田監督の十八番であるサイバーワールドを舞台装置にした物語で、奔放で鮮やかなビジュアルと、主演の中村佳穂さんの歌声の吸引力に、文字通りシビれた。観終わってしばらくして、少し物足りないかも、と思い返したのは、仮想世界「U」の機能やディテールの描写だろうか。ユーザーが匿名のアバターとなって「もう一つの人生」を生きられる場所とされていたが、具体的にそこでどんなことが実現できるのか、もっとアイデアを見せてもよかった気がする。

「オールド・ドッグ」

先日から、東京の岩波ホールを皮切りに始まったチベット映画特集上映「映画で見る現代チベット」。その初日、ペマ・ツェテン監督の「オールド・ドッグ」を観に行った。2011年に東京フィルメックスで話題をさらい、グランプリを獲得した作品だ。

チベットの遊牧民や牧畜民の多くは、牧羊犬を飼っている。だいたいがチベタンマスチフという種類の大型犬で、もこもことした毛並みとどっしりした体格の、迫力のある犬だ。実際、怒らせるととても怖いそうで、人間でも喉笛に噛みつかれたらひとたまりもない。僕も以前、ラダック東部をトレッキングで旅していて、途中で遊牧民のテントに近づいた時、一頭のチベタンマスチフが殺気を帯びたものすごい吠え声で威嚇してきて、めちゃめちゃ怖かったのを憶えている。

そのチベタンマスチフは、2000年代に入ってから急に中国の都市部の富裕層の間で大人気になり、目玉が飛び出るほどの高値で取引されるようになった。辺境の地でチベット人たちが飼っていた犬たちは次々と買い取られ、あるいは盗まれていった。この映画は、その頃のあるチベット人の老人と、彼の飼っていた犬、そして彼の息子と妻の物語だ。

淡々と展開されていくこの物語には、誰もが思いもよらないであろう結末が用意されている。その衝撃は、チベット人である老人が持つ信仰と死生観を重ね合わせて考えると、さらにずしりと重く、どうにもやりきれないものを感じる。でも同時に、その選択は、彼がチベット人であったからこそ選び取った、誇り高き道であったのかもしれない、とも思う。彼の世代を最後に、途絶えてしまうかもしれない道。生い茂る草むらをかきわけて歩いていく老人の背中には、決意と哀しみが満ちていた。

中国の富裕層の間で巻き起こったチベタンマスチフの大ブームは、その後、あっという間にしぼんで消え失せた。あんな大型犬が、都会暮らしになじめるはずがないのだ。

「ミッション・マンガル」

2014年から15年にかけて行われた、インドの火星探査計画、マーズ・オービター・ミッション(MOM)。火星の周回軌道上への探査機の投入の成功例としては、世界で4カ国目、アジアでは初の快挙となったこのプロジェクトは、開始から1年半足らず、総予算は(劇中の台詞によると)わずか40億ルピーで達成された快挙だった。その実話を基にして2019年に制作された映画が、「ミッション・マンガル」(邦題の副題は省略)。年明けから日本でも公開されたので、さっそく観に行ってきた。

配役がとにかく華やか。プロジェクトの統括責任者ラケーシュ役にアクシャイ・クマール。もっとも重要な中核メンバー、タラ役にヴィディヤー・バーラン。他にもソーナークシー・シンハーやタープスィー・パンヌーといった主役級の女優をずらりと揃え、南インド映画界からニティヤー・メーナンまで参加。余談だが、シャルマン・ジョーシーが演じたやたら神頼みをしたがる男パルメーシュワルは、彼が「3 Idiots」で演じたラージューを思い出してしまった(笑)。きっとそういう意図で作られたキャラクターなのだろうな。

この「ミッション・マンガル」、インドでよく作られがちなナショナリズムの発揚を狙った作品であることは否定できないのだが、別の大型プロジェクトで失敗して閑職に追いやられたラケーシュやタラをはじめとする「負け犬」たちが、時間も予算もない中で大逆転劇をもたらしたこと、そしてそれは、大勢の女性科学者たちの知恵と工夫と努力があってこそのものだったということが印象的に描かれていて、観ていても、とてもすっきりとした爽快感があった。まあ、ちょっとSFや宇宙開発に詳しい人が見たら、劇中の描写にはツッコミどころ多数だとは思うのだが、そこはほら、娯楽映画ということで(笑)。

物語全体としても、火星探査プロジェクトの始まりから成功までをスピーディーに描いていて、わかりやすい展開だったとは思う。ただ、全体的に多少冗長になったとしても、豪華な顔ぶれの各キャラクターの描き込みの尺が、それぞれもう少しあってもよかったのでは、とも思った。各キャラクターごとに撮ってはいたけれど、最終的にカットされた場面も多かったのかもしれない。

それにしても、ヴィディヤーは、本当に上手い。今、インド映画界で一番演技が上手いのは、間違いなく彼女だと思う。