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星球大戰

午後、荻窪で打ち合わせ。来月出す新刊の著者校正を終えたゲラを担当編集さんに引き渡す。この後、再校を外部校正者の方に見てもらって、細かい修正が終わったら、月末には印刷所に入稿だ。いよいよだなあ、という気分になってくる。

打ち合わせの後、喫茶店でしばらく本を読み、夕方から新宿で「スター・ウォーズ」のエピソード9を観賞。今日が公開最終日だったそうで、ぎりぎり映画館で観ることができた。ド正道な筋立てでまとめてきたなあ、という印象。エピソード8でだいぶふらついてた印象があったけど、どうにかうまく締め括ったようで、何より。

「スター・ウォーズ」は、エピソード4、5、6を子供の頃に家のテレビで、エピソード1、2、3と7、8、9は映画館で観た。一番印象に残ってるのは、やっぱり第一作のエピソード4。単純明快でこれぞスター・ウォーズという作品。あとは、哀しい人間の業の詰まった、エピソード3。ある意味、一番ジョージ・ルーカスらしい作品だと思う。

エピソード7、8、9を、もし、ルーカスが引き続き自ら手がけていたとしたら、どうなっていただろう。たぶん、僕らが「スター・ウォーズはこうあってほしい」という想像を良くも悪くも裏切りまくる、突拍子もないアイデアやイメージがぶっ込まれてたんじゃないかな、と思う。今となっては、詮無い妄想だけど。

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島田潤一郎「古くてあたらしい仕事」読了。夏葉社という出版社を一人で立ち上げて10年続けてこられた島田さんが、2年以上の時間をかけて書いた本。職種が違ったとしても、島田さんのような思いを抱きながらコツコツと仕事に取り組んでいる人には勇気を与えてくれる本だし、いろんな事情で忸怩たる思いを抱えながら働いている人にも、そっと寄り添うような優しさの籠められた本だと思う。僕もがんばらねばな、と思った。

「プレーム兄貴、王になる」

この「プレーム兄貴、王になる」、実は今まで全編通して観たことがなかった。IFFJ2016での上映時にはタイ取材で観る機会がなく、エアインディアの機内上映では割といつも用意されていたのだが、それで逆に「機内で今見逃すともうチャンスないかも」という他の作品をつい優先してしまっていた。今週から近所のアップリンク吉祥寺で上映が始まったので、ようやく観ることができた次第。

しがない下町劇団の役者プレームは、災害現場で支援活動をしていた時に見かけたマイティリー王女に憧れて、王女のNGOへの寄付金をせっせと集めている。その王女が、婚約者のヴィジャイ王子の即位式に参列すると聞きつけたプレームは、役者仲間のカンハイヤとともに寄付金を持ってバスでプリータムプル王国へ。ひょんなことから王国の城に招かれたプレームは、密かに地下室で治療を受けていた、暗殺されそうになって重傷を負ったヴィジャイ王子を見て、驚く。王子の顔は、まるでプレームの生き写しのようにそっくりだったのだ……。

これ以上ないくらい王道のインド映画だ。華やかな王族たちの間に突如現れた、完全無欠の善人の主人公。彼の無償の愛が、人々のわだかまりを解きほぐし、めでたしめでたしの大団円へと導いていく。きらびやかなロケ地やセット、ふんだんに披露されるダンスシーンなど、往年のインド映画が備えていた、いい意味での「お約束」が随所に散りばめられていて、すっかり安心して観ていられる。逆に言うと、物語として予想を覆すような展開はほとんどないのだが(そこをあっさり端折りますか的なツッコミを入れたい箇所はあるが)、この作品はあえてそういうおとぎ話のような造りにしているのだと思う。

これは「お約束」を楽しむための映画なのだ。インドの人々が現実をつかの間忘れ、夢の世界に浸るための。僕も約3時間、とっぷり浸らせてもらった。

「巡礼の約束」

岩波ホールで公開が始まったチベット映画「巡礼の約束」を観に行った。チベット人のソンタルジャ監督の前作「草原の河」は日本で初めて商業公開されたチベット映画で、静謐な気配に満ち満ちた印象的な作品だったので、今作も楽しみにしていた。

ギャロン地方の山間に暮らしていた、ロルジェとウォマの夫婦。ある日突然、ウォマは「五体投地礼でラサまで巡礼に行く」と言いはじめる。理由を訝り、諫めるロルジェだが、ウォマは聞く耳を持たず、ラサへと出発してしまう。やがてロルジェと、ウォマと離れて暮らしていた前夫との息子ノルウが巡礼に合流する。つかの間訪れる、三人の穏やかな時間。しかし、ウォマは、ロルジェに対して大きな秘密を抱えていた……。

この映画の原題「阿拉姜色(アラ・チャンソ)」は、チベットの民謡の名前で、劇中にも印象的な形で登場する。それもとても良い題だが、邦題の「巡礼の約束」も、この映画のテーマにぴたりとフィットしていて、良いアイデアだなあと思った。夫から妻へ、母から息子へ、受け継がれていく、巡礼の約束。個人的には、特にロルジェが損な役回りすぎて不憫で仕方なかったが、行き場のない愛情とやりきれない思いを抱えて巡礼のバトンを受け取る彼の祈りの姿には、胸を打たれた。

良い映画です。チベット好きの方は、ぜひに。

「Simmba」

台湾からの帰りの飛行機の機内で、インド映画「Simmba」を観た。「ガリーボーイ」の公開で日本でもよく知られるようになったランヴィール・シンが主演。監督は「チェンナイ・エクスプレス」のローヒト・シェッティー。

身寄りのない孤児として育ったシンバは、幼い頃からの「警官になって権力を握る」という夢を実現し、警部としてやりたい放題の放埒な日々を送っていた。赴任先のミラマーでも、地元の黒幕ドゥルバーの悪行を黙認どころか加担までする始末。しかし、妹のように目をかけていた医学生アクリティの身に起こった事件を機に、シンバの生き様も大きく変わることになる……。

今回のランヴィールは、珍妙な髭をたくわえ、軽妙な台詞をマシンガンのようにまくしたてる、コミカルな役。「ガリーボーイ」のムラドとも、「パドマーワト」のアラーウッディーンとも全然違う役で、ある意味、CMの「チンさん」に一番近い(ローヒト・シェッティーも以前このCMの監督を担当しているし)。この「Simmba」でも、軽薄ながらもキメる時はキメてくれて、観終わった後にすっきりさせてくれるような役回りなのかな、と思っていたのだが、さにあらず。

インドではしばらく前から、フェイク・エンカウンター(偽装遭遇戦)という事象が社会問題になっている。警察や軍が、犯人が刃向かったとでっち上げて、自分たちで超法規的に粛清してしまうというものだ。理由は、凶悪犯罪だが裁判による立証が難しいとか、警察や軍にとって都合の悪い犯人の口封じとか、いろいろあるようだが、いずれにしても、まっとうな方法ではない。去年の暮れにも、ハイデラバードで起きた集団レイプ殺人事件の犯人4人が、現場検証に連れ出された際に「警官から銃を奪って発砲したため」その場で射殺される、という事件が実際に起こったばかりだ。

ネタバレになるので詳細は書かないが、「Simmba」では終盤、フェイク・エンカウンターによる粛清を礼賛していると受け取られかねない展開があって、観終えた後の後味は、正直言ってすこぶる苦い。娯楽映画なのだから、もっとまっとうに、知恵と勇気と人情で逆境を跳ね返す展開にできなかったものか……。そのあたり、かなり残念だった。

「ウスタード・ホテル」

9月のインディアン・ムービー・ウィークで気になってたものの、時間が取れなくて見逃していた、マラヤーラム映画「ウスタード・ホテル」。新宿ピカデリーで再上映されると聞いて、今度こそは、と無理やり都合をつけて観に行った。

幼くして母を亡くし、4人の姉に囲まれて育ったファイジは、料理が好きで、シェフになるのを夢見ている。彼に実業家の道を歩ませたい父親に嘘をつき、留学先のスイスで料理を学び、ロンドンのレストランでの就職も決まっていた。しかし、故郷のインドに一時帰国した時にその嘘がばれ、父親にパスポートとカードを取り上げられてしまう。行き場に困ったファイジは、海辺で安食堂を営む祖父の元に身を寄せるが……。

この作品、とにかく、ビリヤニに尽きる。独特のレシピで作られるマラバール・ビリヤニが、もう、ほんとに、めちゃくちゃうまそうで。それが画面を通してグイグイ伝わってきて、台詞だけでは伝わらない説得力を映画に持たせている。物語としては正直、練り込みが甘いんじゃないかという部分、展開を端折りすぎなんじゃないかという部分もちらほらあるのだが、ビリヤニをはじめとするウスタード・ホテルの料理の説得力がすごくて、それで帳消しになっていた感もある。逆に言えば、たとえば敵役に窮地に追い詰められてからの逆転の展開などを、もっと料理そのものに軸を置いたアイデアにした方が、この映画のテーマにより近い仕上がりになったかもしれない、とも思う。

「腹を満たすだけの料理は誰にでも作れる。でも、心を満たす料理は本物の料理人にしか作れない。それには、最高のスパイスが必要なんだ」という意味だったと思うのだが、カリームじいさんのこの台詞がカッコよくて、思い返しても、しみじみしみる。