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おつとめ

ロボット兵この週末は、妹の一家が遊びに上京してきた。妹と旦那さん、姪っ子(中1)、甥っ子1号(この春から小1)、甥っ子2号(現在約1歳半)という大所帯。昼に飛行機で到着し、スカイツリーに登った後、午後からジブリ美術館に行くというので、吉祥寺で待ち合わせて合流する。

日増しに天然度が増す姪っ子と、東京の街にテンションMAXの甥っ子1号、そして何もわかってないだろうけどテンションだけは同じくMAXの甥っ子2号。予想に違わぬ珍道中と相成った。今日は吉祥寺もすごい人出だったし、ジブリ美術館も同じく満員状態で、油断するとどこに行っちゃうかわからない怪獣たちを引き連れてそうした人混みの中を右往左往するのは、さすがに疲れた。仕方ない、これもおつとめだ。

それにしても助かったのは、晩飯をリトスタで食べられたこと。姪っ子と甥っ子1号は普段はそんなに食べない方で、いつもぐずぐず時間をかけながらごはんを食べているのだが、リトスタではすごい勢いでぱくついてた。僕よりも食ってたんじゃないかと思う(笑)。甥っ子2号に至っては、1歳半にしてレバーペーストをなめまくってたし。

これから先、彼らが今日のことをどれくらい憶えていてくれてるかはわからないけど、ちょっとでも記憶の片隅にひっかかっていてくれたらいいな、と思う。まあでも、どうかな(笑)。

夜の歌声

うちのマンションがある住宅街はかなり静かなところで、僕の部屋が生け垣越しに面している細い通りは、自動車もほとんど通らない。近くにある幼稚園の通学路だからというのもあるだろう。

だから、夜になるとしーんと静まり返ってしまうのだが、そんな中、ほとんど毎晩のように、一人か二人、大声で歌を歌いながら自転車か何かで通り過ぎていく人たちがいる。若い男や女が多いが、たまにおじさんもいたり。お酒を飲んでご機嫌なのか、寒さを紛らすためなのか、何かすごくいいことか、あるいはすごく嫌なことがあったのか。

正体も理由も定かではないけれど、歌声だけはびっくりするくらいよく響くので、そのたびに笑ってしまう。あのー、聞こえてますよー。

肉と脂

昨日の夜は割とたっぷり寝たはずなのだが、今朝起きてみると、頭も身体もどんよりと重い。具合が悪いというほどではないが、原稿に集中するにはちょっとしんどい。昼の間は身体を休めることにした。

夕方、近所の中華料理店に出かけて、ホイコーローを注文。肉とキャベツの配分が逆になったかと思うほど肉がたっぷりのやつが運ばれてきた。はふはふ言いながら食っていると、身体がどんどんあったまって、しゃんと力が入るようになった。家に帰って熱いシャワーを浴びると、かなり復活。夜からテープ起こしに取りかかる。

結局、僕の身体に足りなかったのは、肉と脂だったのだな。冷え込んでるし。寒さを乗り切るためにも、もうちょっと肥えた方がいいのかな。

食券の迷宮

打ち合わせなどで、終日出歩く。夕方には雨も降ってきた。駅から家まで帰る途中、とあるつけ麺屋へ。

うちの近所にはつけ麺屋が二軒あって、こっちの方が古株なのだが、味や店主の愛想の面では劣勢で、最近は足も遠のいていた。ひさしぶりに中に入ると、客は誰もいない。券売機で食券を買おうとして千円札を投入し、さて何にしようと並んだボタンを見ると‥‥あれれ?

この券売機、以前は三種類くらいの味付けごとにボタンが横一列に並び、盛りやトッピングの差で値段が高い順に配置されていた。今は味付けごとに横並びなのはだいたい同じだが、値段の並び順がまちまちでまったく規則性がないし、それぞれ内容と値段がどう違うのか、ボタンの表記がややこしくなっていて、さっぱり把握できない。完全に迷宮と化している食券のボタンを見ながら右往左往してるうちに、時間切れでお金が戻ってきてしまった(苦笑)。

どうにかしてトッピングのたくさんついた単価の高いメニューを注文させようとしたのだろうが、あれは完全に逆効果だと思う。勝負するなら、味とスマイルでお願いします。

消えていく写真店

昼、電車で新宿へ。写真を何枚か引き伸ばしてプリントする必要が出てきたので、新宿西口にあるキタムラに行く。

実は昨日、吉祥寺のヨドバシで一度プリントしてみたのだが、申し込む時にうっかり補正を相手任せにしてしまったところ、写真全体を思いっきり黄味がかった処理にされてしまった。少々なら目をつぶるが、色の転び方が完全に許容範囲を超えてしまっていたので、店を変え、補正なしにして出力し直すことにしたのだ。今度はまずまずうまくいった。

考えてみれば、写真店で写真をプリントしてもらったのも、何年かぶりだ。以前は三鷹駅北口界隈に二軒ほど写真店があり、もっぱらそこでプリントしてもらっていたのだが、今はその店もなくなってしまった。フィルムの衰退や高性能な家庭用プリンタの普及とともに、写真店はどんどん減っていく運命にあるのだろう。

フィルムカメラを使っていた頃、どこかに旅に出て帰ってくるたびに、選んだ写真を手焼きプリントで引き伸ばしてもらって楽しんでいたのが、遠い昔のことに感じられる。何だか寂しい。