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仕事でもなく、遊びでもなく

昨日書いた文章の、うっすらとした続きのような、そうでもないような文章になるのだけれど。

僕が旅に出る時、その種類は、だいたい三種類くらいに分かれるような気がする。一つは、完全に仕事のために行く旅。ガイドブック改訂のためのリサーチ取材とか、ツアーガイドの仕事とか、プレス向けツアーとか。依頼される形ばかりではなく、時には企画から自分で立てる取材もあるが、それも自分の中ではこの分類に入る。

二つめは、完全に遊びというか、趣味としての旅行に行く場合。2018年に行ったラオスとか、2020年初頭に行った台湾とかは、この分類にあたる。余暇といっても、旅の中で撮った写真を使って記事とかも書いてはいるのだが、それはあくまで結果的に仕事につながっただけのことで、自分の中では仕事目的の旅という意識はない。

三つめは……ややこしいのだが、完全に仕事というわけではなく、かといって完全に遊びというわけでもない、もやもやとした位置付けの旅。ラダックを旅してきた中でも、『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』の取材のような大きな計画の旅や、ここ何年か少しずつ通い続けているアラスカ方面への旅が、これにあたる。仕事でもなく、遊びでもなく、というのは、その旅の動機と目的が、とても個人的な、でも心の奥底の深い部分から出てきているものだからだ。

その旅の成果を、本などの形にしてまとめたいという気持ちはある。でも、単に自分が名を上げたり利益を得たりするための成果として、それを目指しているわけではない。そうかといって、本にすることなどまったく考えず、自分一人がその旅を堪能すればいい、とも思えない。もしかすると、その旅を通じて、人に伝える意味のある何かを見届け、持ち帰ってこれるのではないか……という思いがある。

仕事でもなく、遊びでもなく、自分自身でもうまく説明できない、でも行かずにはいられない旅。僕が一番大切にしているのは、そういうもやもやした思いで出かける旅だ。うまく言えないが……自分が生きていくための道筋のようなものを、その旅の中で見つけようとしているのかもしれない。どこに道があるのかもわからない、深い雪の中に埋もれている、たった一本のロープを、たぐり寄せようとしているように。

旅をするのも、写真を撮るのも、文章を書くのも、本を作るのも、僕にとっては確かに仕事だけれど、それだけではないのだと思う。自分という人間が生きていく上で必要な、迷い、苦しみ、あがきながら、踏み出していく一歩々々の、足跡のようなものなのかもしれない。

考える時間

「コロナ禍で、旅に出られなくなりましたけど、大丈夫ですか? ストレス、溜まりませんか?」

という質問を、去年から割とよくされる。確かにコロナ禍以前は、一年のうち三、四カ月は日本にいないような生活を送っていたから、そう思われても当然かもしれない。

ただ、当の本人は、意外というか何というか、特に悩んでもなければ、ストレスを溜め込んでもいない。それどころか、実のところ、ほんの少し、ほっとした心持ちでいる。それは単に、僕自身のタイミング的な問題だと思うのだが。

2019年の1月から2月にかけて、何年も前から計画を練って狙っていた厳寒期のザンスカールでの旅を実行して、その経験を基にした本『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』を書いて……自分がこの十年以上もの間、積み重ねてきたものが、ある種の奇跡のような形であの一冊に結晶したことで、僕は文字通り、すべてをやり尽くしたような心境になっていた。その後も種々の仕事で海外に行ってはいたし、2020年の夏もラダックやアラスカに行く計画を立ててはいたが、本当の意味で、自分は次に何を目指すのか、そのためにはどこへ旅して、何をすべきなのかが、自分自身の中でうまくまとまらず、もやもやしたままだった。

だから、去年の夏の海外への旅がコロナ禍で強制キャンセルされて、残念ではあったけれど、心のどこかでは、自分で自分を引っ叩いていた手綱をゆるめることができて、ほんの少し、ほっとしていたのだと思う。

自分に必要なのは、考える時間だった。そういう意味では、去年からずっと取り組んでいた『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』の執筆は、自分自身のこれまでをすっかりふりかえって整理できたという意味でも、すごく有意義な作業だったと思う。

何のために、誰のために、何をして、何を見出し、それをどう伝えるのか。競い合うのではなく、見せつけるのでもなく、ただ、大切な誰か、大切な何かのために、何ができるのか。

じっくり、考えてみようと思う。幸か不幸か、時間はまだまだ、たっぷりある。

リズムの変化

最近、生活のリズムに少し変化が生じた。きっかけは、相方の転職である。詳細は伏せるが、新しい勤め先の出勤時間と退勤時間、それと通勤の所要時間による変化だ。

朝の起床時間は、以前は7時半頃だったのが、今は8時半頃になった。相方の帰宅後に夕食を食べはじめる時間は、前は19時半頃だったのが、今は20時過ぎ。就寝時間は前と変わらず、0時半くらい。ちょっとの変化なのだが、しばらく続けてみると、結構違うなあ、と感じる。

まず、睡眠時間が以前より1時間ほど伸びたので、朝起きるのがそれほど苦ではなくなったし、寝が足りてるので、週の後半も疲れが溜まりにくくなった。夕食の仕込みを始める時間が18時以降になったのも、地味に大きい。夕方頃は仕事関係のメールが来ることが結構多いので、その対応が少し楽になった。日中の自宅作業も、全体的に前より余裕ができたような気がしている。

まあ、そうは言っても、リモート取材などがばたばたっと入ると、途端にそういうリズムは乱れてしまうのだが。来月は、もちっと、平穏になるかなあ……。

トドメを刺される

最近、やたらめったら、忙しい。三月頃からずっと、余裕のない、せわしない日々が続いている。

原因はシンプルで、六月に出す新刊『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』の編集・校正作業と、例年この時期に繁忙期を迎える大学案件の取材(最近はすべてリモート取材だが)、それと今年から始まった、下北沢の本屋B&Bから業務委託されているトークイベントの企画・コーディネートの仕事(特に四月は自分自身が出演する側でもあった)が、全部集中してしまって、同時進行で進めなければならなかったからだ。

そのうちの一つ、『インドの奥のヒマラヤへ』の作業は、今日の午前中に色校のチェックを終えて、ようやく解脱した。今日は午後からリモート取材の予定が入っていたので、関係者の方々に無理を言って色校チェック作業を午前中に設定してもらい、終えると同時に自宅にトンボ返りして、サンドイッチをかじるのもそこそこに約1時間のリモート取材。昨日一昨日も合計4件の取材をこなしていたこともあって、今日の取材が終わった後は、本当に頭が朦朧とするくらいくたびれ果てていて、ベッドに仰向けになって、少し寝ようかと思っていた、のだが。

ピンポンピンポーン。

「こんにちはー。火災報知器の交換作業をしに伺いましたー」

かくして僕は、よれよれぼろぼろの状態で、スマホ片手に部屋の隅に座ったまま、見知らぬお兄さんたちが天井の火災報知器を交換するのを、3、40分ほども見守るはめになったのだった。

何というか、あまりにも見事なタイミングで、完全にトドメを刺されてしまった……。おつかれ、自分。

寄る年波

何だかんだで、僕もかれこれ半世紀かそこら生きてきていて、すっかりええ歳こいたおっさんである。

身体年齢はそこまでいってない(と思いたい)。腹がぽっこり出てたりもしてない。若い頃に運動してた分の若干の貯金と、ここ数年の自体重筋トレのおかげで、身体はまあまあ締まってるし、同年代ではそれなりに動ける方だと思う。

それでもまあ、寄る年波は、やはりひしひしと感じるのだ。たとえば、目とか、関節とか。

目はもともと若い頃からド近眼でずっとメガネを使ってるのだが、最近、本の校正で地図やキャプションの小さな文字を見分けるのが、結構難しくなってきた。だんだん老眼が入ってきてるのだろう。関節は、何年か前に左右の膝を撮影やらトレッキングやらの時に傷めて、今も、ちょっとした動作でも用心深く動かすようにしている。

で、最近は、肩だ。右肩の前側、奥の方にある細い筋が、動かし方によってひきつるように痛む。これはあれか、いわゆる四十肩か。いや、五十肩か。まあどっちでもいいけど。いろいろガタが来てるなあという感じだ。

髪の毛も、ボリュームは十分あるけど、それなりに白髪が増えてきたし。まあでも、人間、誰しもそういうものなのだろうな。

少しずつ近付いてくる黄昏時を感じながら、一日一日を生きていこうと思う。