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一人で生きるという力

昨日の深夜は、J-WAVEで「沢木耕太郎 MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ 2012」を聴いた。年に一度、クリスマスの夜に放送される恒例の番組。沢木さんの飾り気のない穏やかな言葉と、それに符合するような渋い選曲を今年も楽しませてもらった。

番組の最後に沢木さんが口にした言葉がある。「一人で生きるという力を身につけるために、人生から降りずに何かをし続ける」。沢木さんのお父様が、ご高齢になられても辞書を引きながら英語の本を読もうとされていた痕跡を見つけたというエピソードからの言葉だったのだが、心に沁みた。

人は、誰かと関わり続けながら生きている。だからといって、一人で生きる力がなくてもいい、というわけではない。一人でも生きられるけど、集団や社会に属している。一人でも生きられるけど、他の人と支え合っている。一人の人間としての生きる力、逞しさを高めるために、常に何かにトライし続けることの大切さ。沢木さんが言いたかったのはそういうことだったのかな、と僕は思った。

一人で生きるという力。僕がその大切さをまざまざと思い知らされたのは、ラダックで過ごした日々でのことだった。少数民族ならではの小さくて緊密なコミュニティで、ラダックの人々は互いに支え合って生きている。でも、これ以上ないほど苛酷な自然の中で暮らす彼ら一人ひとりの「生きる力」の強さは、僕の想像をはるかに上回る、とてつもないものだったのだ。それはいささかショックだったし、自分をさらに高めよう、少しずつでも一人でできることを増やしていこう、と思い直すきっかけにもなった。

で、今は‥‥どうなんだろ(苦笑)。とりあえず、自炊くらいはできるようになったけど。まだまだだな。

ごはんと味噌汁の配置

前々から、うすぼんやりと思っていたことなのだけれど。

外のお店で定食などを注文すると、ごはんが左、味噌汁が右、という配置で配膳される。これには由来がいくつかあるらしいが、遠い昔から食卓の作法として定まっていた配置なのだそうだ。

でも個人的には、この配置、何となく食べづらい。僕の場合、飯椀はたいてい左手で持ちながら食べ続けるし、右に汁碗があると、右手を主菜に伸ばす時に微妙に干渉しそうで。逆の方がよくない?とついつい思ってしまう。

似たような配膳の疑問は、ラーメン屋でつけめんを食べる時にも感じる。つけめんが出される時はたいてい、つけ汁が左、麺が入った器が右に置かれる。これがやっぱり、自分としては食べづらい。麺が左にあった方が、つけ汁に麺を浸して口に運ぶ時、右手が麺の器に干渉しないのでは?と思うのだ。なので毎回、自分で左右入れ替えている。

‥‥何だろう。ものすごくどうでもいいことを書いている気がする(笑)。

脊髄反射

しばらく前から訳あって疎遠になっている海外在住の知人からメールが来た。一時帰国するので、会って話したいことがあるという。「メールだけでは相手を傷つけてしまうこともあるので、直接会って話した方がいいと思う」とも。

僕がその人と距離を置くようになったのは、その言動や態度にこちらの気持を察しようとしない無神経な面があり、僕個人の仕事にも干渉されかねない状況もあったのに辟易としていたからなので、今さら会おうと言われても気が重かった。考えた末、「自分としてはこれ以上特に伝えたいことはないが、会うなら今のこちらの仕事が一段落する頃に再度連絡してほしい」と返信した。

すると、「やっぱり会う必要はないかもしれないと思うようになった。もし気が変わったらまた連絡する」という返事が来た。いったいどっちなんだと思ったが、会わないことを了承した上で「そちらで自らの言動や行動を省みるつもりがないようなら、こちらとしてはお会いする意味はないと思う」と返した。

そしたら、明らかに脊髄反射的に書いたと思われる、猛烈に激昂した感じの長文メールが返ってきた。で、最後に「返信されても読みません」と(苦笑)。誰だっけ、「メールだけでは相手を傷つけてしまう」とか書いてたの?

その点においてだけは、僕もまったくもって賛成なのだが。

安心のための選択

夕方、かなり大きな地震。うちはマンションの一階だし、さほど揺れはしなかったが、揺れ続けた時間の長さに不安がよぎる。東北地方に津波警報。場所によっては、1メートルくらいの津波が観測されたらしい。大事には至らなくて、ほっとする。

東日本大震災の記憶が薄らぎかけている人もいる中での、この余震。来週末の選挙の結果にも、かなり影響するような気がする。少なくとも僕は、原発の維持を唱える政党には投票したくないし、その辺をむにゃむにゃ言ってごまかしたり、言ってることがコロコロ変わったりする政党にも投票したくない。まあ、反原発を唱えている政党でも、具体的なビジョンや方策を何も持たないまま、票集めのためだけにそう言いふらしてる輩も少なくないのが、頭の痛いところではあるが‥‥。

結局、安心できるかどうか、なのだと思う。安心して暮らしていくための選択をする機会は、今度の選挙を逃したらしばらくは訪れない。国民投票ができない以上、この際、原発について、イエス・ノーの意思表示をするための選挙と割り切ってもいいような気がしている。僕はそのつもりで、投票所に行く。

前後不覚

昨日の夜は、たぶん2時か3時くらいに寝床に入ったと思うのだが、今日起きてみたら、思いっきり昼を過ぎて、2時頃になっていた。12時間くらい寝た計算になる。

実はその前まで、なかなか寝付けない日が数日続いていたのだが、昨日大きなプレゼンを終えてほっとした解放感で、前後不覚に眠りこけてしまったのだろう。やっぱり疲れがたまっていたのかな。

とりあえず、今はものすごく急ぎの仕事が入ってるわけでもないので、今週末は人並みに休養するつもり。とはいえ、新企画のブラッシュアップなどをチョコチョコやってしまってはいるが‥‥。嗚呼ワーカホリック。