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朝のサッカー

午前中から都心で打ち合わせの予定があったので、今朝は七時に起きた。

シャワーを浴びてから居間のテレビをつけると、ワールドカップのアメリカ対ガーナの試合が。先制しながらも劣勢のアメリカ、押し込みながらも追いつけないガーナ。昨日のうちにコンビニで買っておいたサンドイッチをかじりながら、寝ぼけた頭でぼんやりと試合を見る。

こんな朝早くの爽やかな時間に、地球の裏側では、屈強な男たちが汗と芝と泥にまみれながら一つのボールを追いかけ、それを世界中の人たちが固唾を呑んで見守っている。その一方、世界の別の場所‥‥ウクライナや、イラクや、シリアでは、無益な内戦に血を流し合う人たちがいて‥‥。

世界って、人間って、何なんだろ。どうにも答えが見つからない。

劣勢だったアメリカは、ガーナに追いつかれたものの、土壇場のセットプレーからの得点で突き放し、そのまま逃げ切った。

父の日に

六月の第三日曜日は、父の日なのだという。

僕には、父の日に父の日らしいことをしてあげたという記憶がほとんどない。実家の家族は割とドライで、何かの日に合わせて何かをやるということはあまりしない方だった。父の日に至っては、僕がすっかり忘れてるのはもちろん、父もたぶん僕に対しては何も気にしてなかったと思う。

でも、ここ一、二週間、街を歩いていて「父の日ギフト」という貼り紙やポップを店先で見かけたりするたびに、胸のあたりがちくちくと痛かった。もう、何かをしてあげようにも、してあげる人はとっくにいなくなっているのだから。

世間に流されてようが何だろうが、もうちょっと、何かすればよかったのかもしれない。小振りな焼酎の一本でも送ってあげるとか。それで何か変わったとも思えないけど、今は後悔というより、もう何かしようにも何もできないという、うつろな気持しかない。毎年、この時期になるとそう感じる。

しようと思えば何かしてあげられる人が身近にいる人は、してあげた方がいい。できるうちに。

今は、そんな風に父のことをぼんやり思いながら、一人でビールを飲んでいる。

飛び去っていく時間

終日、部屋で仕事。再校のチェックを進めながら、明日やることになった打ち合わせの手配や、初校が出た表紙回りのデータについてのやりとりなど。ついさっき、おひるにコンビニのサンドイッチを頬張りながらキーボードを叩いてたと思ったのに、今はもう夜半過ぎ。時間が、あっという間に飛び去っていく。

子供の頃、といっても小学校低学年くらいからのぼんやりした記憶しかないけど、その頃の僕には、自分の人生の先に横たわっている時間なんて、ほとんど無限に近いんじゃないかと思えるほど、時が経つのがゆっくりに感じられていた。今は、一日が同じ24時間だなんて信じられない。これから先の十年も、きっとあっという間なんだろうな。

まあ、それまでに、何かの拍子でぱたりと止まってしまうかもしれないけど。それもまた人生。

もの忘れ

いろんなことを、よく忘れる。もの忘れというか、そもそもぼんやりしてるというか。

あることを、やらねば、と思っても、その後何か別のことに気を取られると、すこんと忘れてしまったりする。晩飯に作るカレーの材料を買いに行って、意気揚々と引き揚げようとしたら、よりによってカレー粉だけ買い忘れてて、スーパーに引き返したりとか。

そういう他愛のないことならまだいいのだが、台所の火の始末とか、取材に出かける前の支度とか、そういうことでやらかすとシャレにならないので、最近はかなり用心深く予防線を張るようにしている。取材の場合だと、朝起きて出発する時間から現地到着までの乗り継ぎ情報を紙に全部メモして、目立つ場所に置いておくとか。こんなもんで大丈夫だろと油断してると、だいたいろくでもないことをやらかす。

慎重派というより、もうすっかりおっさんの領域であります。

関口良雄「昔日の客」

sekijitsuずいぶん前に買った本だ。仕事机の脇にあるスライド書棚の一番目立つ場所に挿しておいたのだが、ずっと手に取れないでいた。億劫というのとは、むしろ正反対の気持。せわしい仕事の合間とか、悩みごとで心がざわざわしてる時とかに読んでしまいたくなかった。穏やかな気持でいられる日に、他の何にも邪魔されずに静かにページをめくりたかった、とっておきの本たちの中の一冊だった。

昔日の客」は、かつて東京・大森にあった古書店、山王書房の店主、関口良雄さんが生前に書き溜めていた随筆をまとめた本だ。長らく絶版になっていたこの本を2010年に夏葉社の島田さんが復刻させたことは、当時かなり話題になった。生前の関口さんは尾崎一雄さん、上林暁さん、野呂邦暢さんといった名だたる文学者たちとも深い交流を持っていたそうで、実家が近くにあった沢木耕太郎さんも、若い頃によく山王書房に足を運んでいたと「バーボン・ストリート」に書いている。

この「昔日の客」では、数々の文学者の方々との交流はもちろん、お店にふらっと現れては思い思いの古本を買っていくお客さんたちの横顔や、遠い昔の父親の死や淡い恋の記憶などが、控えめでありながら深く、時にユーモアを湛えた文体で綴られている。何よりも、主役は「本」なのだ。本がすべての人々を、どこかで結びつけている。登場する一人ひとりの、そして関口さん自身の本に対する愛着には、読みながら幾度も胸に込み上げるものがあった。

本は、時に人と人とを出会わせたり、届かないはずの思いを伝えたり、ちょこっと人生を変えたりする。幸運にも僕は、本を作るという仕事に携わらせてもらっている。あらためて誇りに思うし、これからも気を引き締めて、一冊々々、少しでもいい本を作る努力を積み重ねていかなければ、とも思う。

願わくば、往時の山王書房を訪れてみたかった。