昨日は帰国早々打ち合わせ的な集まりがあったりして、時差の抜け切らないボケボケな状態で出かけてきたのだが、今日は丸一日家にいられたし、ゆっくり、のんびり過ごして、だいぶ身体もしゃんとしてきた。
しかし、何というか、気持は未だにどこかふわふわと宙を漂っていて、まったく地に足がついてない感じだ。心の中の一部分を、彼の地に置き忘れてきてしまったかのような。次はいつ、どうやって‥‥と、気がつくとぐるぐる考え続けていたりする。
どうなるんだろうな。まあ、なるようにしかならないんだろうな。
昨日は帰国早々打ち合わせ的な集まりがあったりして、時差の抜け切らないボケボケな状態で出かけてきたのだが、今日は丸一日家にいられたし、ゆっくり、のんびり過ごして、だいぶ身体もしゃんとしてきた。
しかし、何というか、気持は未だにどこかふわふわと宙を漂っていて、まったく地に足がついてない感じだ。心の中の一部分を、彼の地に置き忘れてきてしまったかのような。次はいつ、どうやって‥‥と、気がつくとぐるぐる考え続けていたりする。
どうなるんだろうな。まあ、なるようにしかならないんだろうな。
日々を生きていると、いろんなできごとに接する。良い知らせもあれば、悪い知らせもある。時には、どうしてそんな理不尽なことに、と、やりきれない気持になる時もある。
自分自身はというと、何の変哲もないありふれた日々を過ごしている。でも、そのありふれた日々こそが、実はかけがえのないものなのだ。自分自身が今こうして生きていられるのは、本当に、たまたまだ。運がいいだけだ。ありふれた日々に手を伸ばしても届かない人が、この世界にはたくさんいる。
今こうして生きていられる自分に、残された時間でできることは何なのか、もう一度、じっくり考えてみる。
ここ数日、ほとんど何もしていない。ただただ、ぼんやりとしている。家にいても、パソコンをちょっといじっては、ソファにごろんと寝そべって、つかの間うとうとしたり。本も読まず、テレビも見ず、ひたすらぼんやり。
夏バテというわけではまったくなく、むしろ食欲旺盛で、自分でカレーをたっぷり作って食べたりしている。何というか‥‥「撮り・旅!」発売までの全力疾走と、その直後のイベントや書店回りなどが一段落して、すっかり気が抜けてしまったのだと思う。今週は特に取材や仕事の予定もないし、月末からの旅の準備も、まだそこまで焦らなくていい時期。だったらもう、自分で自分に飽きるまで、ひたすらぼんやりしていよう、と思ってしまう。
自分の家なのに、安宿のロビーで沈没してるだらけた旅行者みたいな気分になってる。
この二日間ほど、出かけたり仕事だったりでばたばたしてて、このブログを書かないでいたのだが、なぜかアクセス数はいつもよりだいぶ増えていた。「ヤマタカが日記を書かないなんて‥‥何かあったのか?」と心配して何度も見にきてくれた人がいたのかもしれない。すみません(苦笑)。
まあでも、それくらい僕にとって、こうしてWeb上で日記めいた駄文を書くことは、すっかり習慣として定着してしまった。最初に自分のサイトを作ったのは、確か‥‥(と、PC内に保存している当時のデータを見てみる)2001年3月10日。旅に出て少し途切れたりしたことはあっても、それ以来ずっと、この習慣を続けてきたことになる。
日記を続けることを目標にしてがんばってきたわけではまったくないし、別にいつでもやめていいとさえ思っている。そんなに大勢の人が読んでくれているわけでもなく、たいしたことを書いてるわけでもなく、これで文章が上達しているわけでもない。なのに、なぜか未だに続けてしまっている。
こうなったら、死の床に伏すまで、えんえんとどうでもいいことばかり書き続けるか。「あいつは最後まで、くだらないことばかり書いてたな‥‥」と言われるように。
雨粒が落ちてくるのは見えないのに、歩いてると服がじっとり湿ってくるような、そんな天気の日。
午後、南大沢で取材。相手の方に、「ライターという仕事は大変でしょう? 実はうちの息子も、フリーライターをやっているんですよ」と言われる。どんなジャンルのお仕事を、と聞くと、机の上にあった、音楽やサブカル系のムックを見せてくれた。各ページに散らばる小さな記事に、一つひとつ、丁寧に付箋が貼ってあった。
「でもね、この間、身体を壊して、入院してしまったんですよ」
聞くと、週刊誌の編集部から無茶なスケジュールでの仕事を立て続けに依頼されたり、悪質なクライアントに原稿料を踏み倒されたり、あちこち振り回されているうちに体調を崩してしまったのだそうだ。
「ライターの仕事はやめた方がいいんじゃないか、とも言ったんですが、聞いてくれなくてね‥‥」
そうですね、とも、もう少し見守ってあげてください、とも、僕は言えなかった。何者かになろうとして、必死にあがいている駆け出しのライター。息子の書いた記事に付箋を貼りながらも、行末を案じている父親。どちらの気持も、僕には痛いほどわかる。
たぶん僕は、他の人よりほんの少しだけ運がよかったから、今の仕事をかろうじて続けられているのだと思う。