Tag: Life

ヘアスタイル考察

僕のヘアスタイルは、多少の長短の差はあれど(そりゃそうか)、たぶん23歳くらいの頃から、ほとんど変わっていない。短髪、毛先やや梳き気味。理髪店でのオーダーも、いつも同じ。もともと自分の貧相な見てくれにさして興味はないし、何もしなくても維持できる状態が一番都合がいい。

なので、うちにはドライヤーも、ブラシも、整髪料もない。シャワーの時にせっけんシャンプーで洗って、タオルでごしごし拭いて、それで終わり。専門家に聞けばもっと真っ当なお手入れの仕方もあるのかもしれないけど、何しろ20年間ずっとこれでやってきて、まったく困っていないので、たぶん問題ないんじゃないかなと思う。

これくらい手のかからない無造作なヘアスタイルだと、旅をする時に、とても便利なのだ。シャンプーも現地で適当なのを買えばそれで済むし、ドライヤーを求めて右往左往する必要もない。夜行バスに乗った後、バスターミナルの水道の蛇口でささっと水洗いすることだってできる。

‥‥と、大多数の人に共感を持ってもらえないようなことを書いてみた(笑)。

後悔すること

この世の中に、本当に楽な人生を送っている人なんて、たぶん一人もいない。そうだとしても僕はたぶん、今の仕事で、しなくてもいい余計な苦労までわざわざ背負い込んでいるような気もする。

ほどほどのところであきらめたり、譲ったり、妥協したりしていれば、あるいはもっと楽に生きられるのかもしれない。夜も眠れないほど悩んだり、悔しさに歯噛みしたり、それでも気力を振り絞るのに必死になったりせずにすむのかもしれない。なのにどうして、傷だらけになることがわかってるところに、わざわざ突っ込んでいってしまうのか。

たぶん僕は、ぶつかりまくって傷を負うことよりも、後悔することの方が怖いのだと思う。作りたいものや、大切に思っているものを、あきらめたり、譲ったり、妥協したりして後悔することの方が。それがたとえ、この世でほんの一握りの人にしか理解されないようなものだとしても。傷の代償にしては圧倒的に割に合わないものだとしても。

そういう意味では、僕は臆病な人間だ。

選んだのは本だった

一昨日ラジオ番組の収録をしてきたばかりだが、来月末にはまた別の番組の収録がある。自分について人に説明するのにしっちゃかめっちゃかになるとまずいので、収録前には、これまでの出来事を書き出して整理してみたりしていた。

いろいろふりかえってみてあらためて思うのは‥‥僕は、編集者とかライターとか写真家とか、そういう職業に就くことを目的にしてきたのではなく、自由に旅をしてそれを仕事につなげたいという生き方をしたかったのでもなく、ただただ、本を作りたかっただけなのだ、ということ。自分が本当に心の底から大切だと思えることを、本という形にして、それを人に伝える。二十代初めの青二才の頃から、ずっとそうだったのだと。

それは生き方とすら呼べない、独りよがりで単純な衝動でしかないのかもしれない。でも、僕が自分の人生を費やすのに選んだのは、本だった。それには、ひとかけらの後悔もない。

思い出して、笑って

午後、編集さんと待ち合わせて、代官山蔦屋書店へ。九月に森本さんが亡くなった後、タイ取材のためにずっとお店に行けないでいたのだが、ようやく今日、書店員の方に時間を取っていただいて、おくやみのご挨拶に。

二階のラウンジで一時間ほど、来月上旬に予定されているお別れの会の話や、森本さんや本やお店のよもやま話をしたのだけれど、不思議としめっぽい感じにはならなくて、あれやこれやを思い出しては結構笑っていたような気がする。きっとそれは、森本さんのお人柄もあるのだろう。

僕も、この世から立ち去った後、誰かに笑って思い出してもらえるような人になれたら、と思う。まあ、どっちかというと「あいつ、つくづく無茶ばっかやってたよね」と、あきれ笑いで思い出される方だと思うけど。

巻き戻るもの

終日、部屋で仕事。ここ最近、ずっとかかりきりだったタイ取材のデータチェックの取りまとめや写真のセレクトがようやく終了。明日の打ち合わせにも間に合いそうだ。

帰国して以来、何かといろいろ気忙しかったけれど、それも四週間以上休みなしで駆けずり回っていたタイでの日々に比べれば、だいぶマイルドな状態だったと思う。気候も穏やかで、ごはんはおいしいし、たっぷり寝られるし。家で自炊したり、コーヒーをいれたりしてると、いろんなものが本来の位置に巻き戻っていくような気がする。

まあ、すっかり日本時間に巻き戻ったら巻き戻ったで、そのうちまたそわそわしてきて、どこそこに行きたいなどという妄想が頭をもたげてくるのだろうな。困った病だ(苦笑)。