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死を思う

午後、八丁堀で打ち合わせ。2時間ほどみっちり話し込む。早めの晩飯にビリヤニを食べ、東京駅から中央線に乗って、帰路につく。

電車が三鷹駅にすべりこんで、さて降りるか……と思ったら、ドアが開かない。乗っていた電車の先頭で人身事故が起こったとのアナウンス。それから15分ほど、車内で待つことになった。こういう事態は二度目の経験だ。

まだ若い女性の車掌さんが、気丈に平静を装いつつ、最後尾から車内を移動していく。非常用ノブでドアを開けようとして止められてるおっさん。なぜか楽しげにおしゃべりしてるおばさんたち。さっさとドア開けりゃーいいのに、と大声で好き放題言ってるあんちゃんたち。そういう人たちもいるにはいたが、ほとんどの人は、ぎゅっと胸を押しつぶされたような顔で、黙ってスマホをいじっていた。

どんな人が。何の理由で。僕には知る由もない。悲しいし、やるせない。

生きることに絶望してしまう人もいれば、生きたくても生きられない人もいる。自らを殺してしまう人もいれば、誰かに殺されてしまう人もいる。人間はどうして、こうもうまくやれないのだろう。

子供と大人の味覚

食べ物に関して、僕はほとんど好き嫌いがない。日本人感覚でいうゲテモノは自ら進んで食べたりはしないが、食えと言われたら、まあ、食えなくもない。この間もタイの田舎町で、何かの拍子に炒ったイモムシをすすめられて、ぽいっと食べちゃったし。

でも、子供の頃は、嫌いとまではいかないけど、別にうまくもないなあと思いながら食べてたものは、結構たくさんあったような気がする。たとえば、岡山県はばら寿司が割と有名だが、あれに使われる酢じめの魚やレンコンといった具材が苦手で、ばら寿司自体もうまいとは全然思っていなかった。焼いたアナゴも割とよく食卓に上っていたけど小骨の感触が好きになれなかったし、野菜だとさやいんげんとかさやえんどうの類はもきゅもきゅした歯ごたえがイマイチだと思っていた。まあでも、そういうのを食べずに残すことが許されるような育てられ方でもなかったし。

今となっては、どれもこれも、何のためらいもなく、ぱくぱく食べられる。子供と大人、味の感じ方というのは変わるものだなあと思う。単に鈍くなっただけかもしれないが。

明るい部屋

しばらく前から、家にいる時にどうも気分がパッとしないなあ……などと思っていたら、仕事机のある居間の蛍光灯が、文字通り風前の灯火というか、切れる寸前になっていることに気付いた。

で、午前中のうちに、近所のスーパーに行って新品の蛍光管を買ってきて、よっこらせと交換作業。カバーをはめて、スイッチをオン。びっくりした。昼間ということを差し引いても、交換前より2倍は明るいのだ。こんなにすっきりした部屋だったっけ、と思うくらいに。ここまで差があったのか……。

気分転換に、蛍光灯の交換。悪くない結果だ(笑)。

くりかえしの日々

終日、部屋で仕事。今週はイマイチ調子がよくないというか、仕事に対してテンションの上がらない状態がずっと続いていたのだが、地味に粘り続けたのが功を奏して、急な忙しさで遅れ気味だったスケジュールをどうにか安全な状態にまで引き戻せた。

ここ数日間、判で押したように同じパターンの生活をくりかえしている。昼少し前に起き、適当におひるを作って食べ、コーヒーをいれ、メールとネットをチェックしながらそれを飲み、飲み終えたら仕事開始。夕方になってスーパーに食材を買いに行き、晩ごはんを適当に作り、シャワーを浴びて、仕事の続き。ノルマを達成したら、冷蔵庫からビールを取り出して、ぐびり。2時か3時頃に寝る。

これでいいんだろうか、とふと思う。自分は前に進めているのか。何かを積み重ねることができているのか。暮らしていくために必要な仕事の山に、おぼろげながら見え始めている、自分が目指そうとしている何かが埋もれてしまっているのではないか。それを目指すなら目指すで、言いようのない怖れのようなものを感じてしまうのだけれど。

「淀まず、急がず、後戻りせず」。こういう気分の時、色川武大さんの言葉は自分をハッとさせてくれる。

今日、何曜日だっけ?

終日、部屋で仕事。月曜に取材した案件の原稿を書き、その後は別の取材の音声起こし。

部屋で書き仕事をしている時、僕はしぜんと独り言が増えるのだが、今日の部屋での独り言は、我ながらどうかと思うような内容だった。ラジオをつける時、洗濯物を干す時、流しで洗い物をしてる時、スーパーに買い物に出かける時、気がつくと何かに手をつけるたびに「今日、何曜日だっけ?」と、まったく同じことをくりかえし呟いていたのだ。

今日は、水曜日。ポンコツにもほどがある。やれやれ。