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山あり谷ありの中で

どうも、2019年という年は僕にとって、異様に浮き沈みの激しい、山あり谷ありな年になってしまっている。

年の初めに割と(かなり?)厳しめの取材をして、どうにか無事切り抜けたと思ったら印パ武力衝突でその後の取材を邪魔されて。去年から準備していた企画を春先から着々と発表していって、ここからアゲアゲだと思ってたら、そこから二度三度とひっくり返され、最終的に全部徒労に終わって。何か致命的なミスをやらかしただろうか、と自分で自分を省みてみたが、どう考えても何から何まで外的要因に振り回されての結果のようなので(苦笑)、自分ではお手上げというか、やれやれとため息をつくしかない。

それでも、以前相方に言われた「見てる人は、ちゃんと見てる。わかる人には、必ずわかる」という言葉がまったくもってその通りだったことは、身をもってしみじみ実感している。どうにもならない理由でしんどい思いをしていた時、僕なんぞに、どれだけたくさんの方々が優しい言葉をかけてくれたことか。本当に心の底から、ありがたいなあと思う。

そうした方々の思いにほんの少しでも報いるためにも、僕はこれから己の全力を賭して、新しい本に取り組む。必ず良い本にしてみせる。それが僕の役割だ、と思う。

大人になれない

気がつけば、今日で今年の7月も終わり。明日からは8月だ。ここ数年、この時期には日本にいないことがほとんどなので、今東京でじりじり暑さに耐えているのも、珍しいといえば珍しい。

今年、インドから東京に戻ってきた日は、父の命日でもあった。8年前のことになる。あの時は本当に、いろんな意味でしんどかった。それでもまあ、自分は、どうにかこうにか、今もこうして生きている。

あの頃に比べると、僕はますますおっさん化が進行して、見てくれも所作も、今や紛うことなき普通のおっさんと化している。髪の毛がまだ普通にあるのと、腹が出ていないのだけが救いか。その一方で、精神年齢の方はというと、これがいまだに、なかなか大人になり切れない。ほんのちょっとしたことですぐにいきりたつし、青臭い台詞を吐き散らしては、周囲を面食らわせたりしている。

まあ、これはもう……持って生まれた性格だな。しゃーない。物分かりのいい大人には、一生なれそうにない。

血まみれキムチ

西荻窪に引っ越してきて、かれこれ1年。食材の買い出しは主に僕の役目なので、ほぼ毎日、駅前のスーパーに買い出しに行く。

今日も買い出しメモを片手にスーパーに行って、小ネギやニンニク、油揚げ、オリーブオイルなどを買い、セルフレジで支払いをしていたのだが、エコバッグに品物を詰める段になって、自分の右手のひらがぬらぬらとした液体で真っ赤になっているのに気付いた。どうやら、キムチの入っていたプラボトルから、キムチ液が漏れていたらしい。

「すみませーん、このキムチ、交換してもらえますか?」と、セルフレジの入口にいた店員のおじさんに声をかけると、店員さんはびっくり仰天、飛び上がるほど慌てふためいて、「お、お、お客様、とりあえず、お、お手をこちらに……だ、大丈夫ですか?!」

店員さん、僕が割れた瓶か何かで右手を負傷して、大出血してるのだと思い込んでしまったらしい。確かに……ビジュアル的には紛らわしかった。最初から「このキムチ、液が漏れてるみたいなんですけど」と言えばよかった。すみません(苦笑)。

見てる人は、ちゃんと見てる

昨日、とてもつらい出来事があった。かれこれ一年くらい、走って走って、走り続けて、ようやくゴールか、というところまで来て、力をちょっと抜いた途端に、突然、背中からさくっと刺されたみたいな、そんな出来事だった。

なんだかなあ、と思う。金銭的にたっぷり報われるわけでも、世間的な名声が得られるわけでもなく、純粋に裏方として関わることに意義を感じて、今までやってきたけれど。いろんな人に喜んでもらえたならよかった、と満足しかけていたところに、いきなり思い知らされた格好になった。

僕のやってきたことには、何の意味もなかったのだろうか。誰にもわかってもらえないのだろうか。昨日の夜、僕がそうぼやくと、相方は「見てる人は、ちゃんと見てる。わかる人には、必ずわかるよ」と言ってくれた。

そうだな。何がどうなろうと、僕は、僕のやるべきことを、一つひとつ、積み重ねていくだけだ。

幸福とは

昨日の夜は、六本木のビルボードライブ東京に、コリーヌ・ベイリー・レイのライブを観に行った。

彼女の曲を聴きはじめたのは、3年くらい前に松浦俊夫さんのラジオ番組「Tokyo Moon」で「The Heart Speaks in Whispers」の収録曲を耳にしてから。ようやく念願叶っての初ライブ体験は、何というかもう、ほんとに素晴らしくて……すっかり感動してしまった。ステージ上のコリーヌは、表情や身振り手振りの一つひとつがチャーミングでのびやかで。高低も強弱も変幻自在にゆらめくような歌声が、バンドのサウンドにぴったりフィットしていて。何よりも、彼女自身が今、本当に幸せで、歌を歌うこと、音楽を奏でることが、楽しくてたまらないのだという思いが、会場に渦巻くようにあふれ出していた。

コリーヌはけっして順風満帆な音楽人生を歩んできたわけではない。デビューアルバムをリリースした後、最愛の夫を亡くし、立ち直るまでに長いブランクを経験している。だからこそ、歌い、伝えることのできる幸福というものが、今の彼女の音楽に宿っているのかもしれない。