Tag: Life

なんでもない日々

誕生日を迎えることに何も特別な感覚を感じなくなってから、どれくらい経つだろうか。たぶん、中学生の頃にはすっかり何も感じなくなっていたと思う。届け出か何かを書く時、年齢欄に記入する数字が一つ増えるだけのことだ。そのくらいにしか思っていない。

今日は、朝起きて、トーストを食べ、昨夜届いたゲラに目を通し、メールを書き、スーパーに買い物に行き、豚汁を作り、シャワーを浴びて、また少し仕事をした。明日は朝から取材なので、もうすぐ布団に潜り込んで、寝る。特別なことは何も起こらなかった。誕生日ではあったけれど、いつもとあまり変わらない、なんでもない日だった。

でも最近は、こういうなんでもない日々こそが、大切で、けっして替えの効かない時間であることが、だんだん身にしみてわかってきた。なんでもない日々にも、遅かれ早かれ、必ず終わりが来る。せめて穏やかな終わり方であることを願いたいところだが、こればかりは自分ではどうしようもない。

終わりの時が来るまで、なんでもない日々の、一日々々を、じっくりと楽しみ、味わい、心に刻もうと思う。

底冷えよサヨウナラ

のどを傷めて体調をちょびっと崩したりしてるうちに、季節はすっかり冬になってしまった。部屋で机に向かって仕事をしている時も、はんてんを羽織ってないと、うすら寒く感じる。

三鷹に住んでいた頃は、鉄筋コンクリートのマンションの1階で、日当たりもさほどよくなかったから、夏は涼しかったけど、冬はめっぽう寒かった。特に底冷えがものすごくて、しんしんと冷気のたまる部屋の中で、極地仕様の分厚いウールのソックス(なんでそんなもの持ってるんだという指摘はさておき)を重ね履きし、仕事机の下でデロンギのオイルヒーターをフル稼働させてしのいでいた。

今年引っ越してきた西荻窪の部屋は、マンションの3階にあるので、去年までのような殺気じみた底冷えは感じない。加えて、なんと、床暖房がある。うっかり頼りすぎると電気代がやばいことになるので最小限の使用にしているが、文明の利器のありがたみをしみじみ享受している今日この頃である。

……まあ、それも例によって、今のうちだけなんだけど。1カ月後には、インドだし……。

自分は何者なのかは、自分で決める

昨日の午後、新宿で「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。史上最高のロック・バンドの一つであるクイーンと、そのリード・ヴォーカル、フレディ・マーキュリーの生涯について描かれた映画。最初から最後まで、文字通り、シビれるような展開だった。彼らがどんなバンドで、どんな軌跡を辿ってきたのか、ある程度知っていたつもりだったけど、そのクリエイティビティと情熱、そしてフレディの孤独の闇の深さに、あらためていろいろ考えさせられた。

物語の終盤、ある決意を固めたフレディが、バンドのメンバーたちに向かって、こう言い放つ場面がある。

「I decide who I am.(自分が何者なのかは、自分で決める)」

ああ、そうだよな、と思う。

世の中の人々の多くは、自分がまだ何者でもないことに思い悩む時期がある、と思う。僕自身、二十代の頃はそうだった。物書きになりたくても認めてもらえず、編集者になりたくても望む仕事をもらえず……。でも、「自分はこの仕事をやるんだ」と腹をくくって、しがみつき、もがきながら、少しずつ、少しずつ、積み重ねていって……ふと顔を上げて、ふりかえると、僕は、うっすらと、おぼろげながらも、何者かになっていた。物書きとしても、編集者としても、写真家としても、まだまだはしくれ程度の存在でしかないけれど。

自分が何者であるのかは、他人に決めてもらうことではない。かといって、自分で名札を書いて胸に貼り付ければ、なりたい自分になれるわけでもない。世間的な肩書きや社会的地位には、本当の意味での価値は何もない。自分自身で選んだ目標に、挑み続け、やり遂げることでしか、何者かになれる道はない。

生き方を、自分で選び取る。自分が何者なのかは、自分で決めるのだ。

本を読み返す

J.D.サリンジャー、村上春樹訳「フラニーとズーイ」読了。この間の「ナイン・ストーリーズ」同様、野崎孝訳の「フラニーとゾーイー」を読んだのはおっそろしく昔のことだったのだが(今奥付を見たら、昭和63年の28刷だった)、物語の最後にふわあっとこみ上げてきた何とも言えない感情が、当時感じたのとまったく同じだったので、自分でもちょっとびっくりした。

人は人生の中でたくさんの本を読む(まあ、そんなに読まない人もいるだろう)けれど、何度も手に取られ、読み返される本は、たぶんそんなに多くはない。何度も読み返したくなる本には、人の心を惹きつける何かが宿っているのだろうし、何度読み返しても飽きられない耐久力を持っているのだと思う。何十年ぶりに読み返しても、同じ感情を甦らせるような、底力を。

願わくば、そんな本を自分も作れたら、と思う。

リズムに馴染む

終日、部屋で仕事。午前中は仕事関係のメール連絡と、短めの原稿の編集作業。おひるは冷凍してあったスープを温めて簡単にすませ、スーパーで食材の買い出し。家に帰ると、タイ関係の初校がレターパックで届いていたので、テーブルに広げて校正作業。一段落したところで、夕飯の支度。根菜と豚バラの煮っころがしを仕込む。

こういう生活のリズムに、最近、かなり馴染めてきたように思う。引っ越す前はどうなるかと思ってた朝型生活へのシフトもすんなりできたし、仕事に集中する時間帯と、家のことを片付ける時間帯とをうまく切り分けられるようになってきた。今のところ、どこにも無理は生じてないし、心地よいとすら思えるほど。

でもまあ、そのうち、そういうリズムを、変えたくなくても変えざるを得ない時期が来る。それが今の自分の仕事の宿命。今度は割と長いんだよなあ。来年早々に、二カ月くらい……。ほんと、我ながら、やれやれ、である。