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もうひとつの日常

今朝8時半に成田着の飛行機で、ラダックから日本に戻ってきた。帰りの機内では、インド人の赤ん坊が数十分おきに派手に夜泣きしていたので、ろくに眠れなかった。やれやれ。

三鷹の自宅で旅装を解き、夕方までひと休みしてから、リトスタで晩酌。新さんまときのこの天ぷら、ニラ肉じゃが、エリンギと厚揚げのバター炒めなどをいただく。ひさしぶりのサッポロ生ビール、やっぱり最高。

ラダックでの日常に区切りがついて、東京でのもうひとつの日常が戻ってきた。これから、今夏の取材の成果を本をまとめあげるという試練が待ち構えている。これまでに支えてくれたたくさんの方々に報いるためにも、やり抜かねば。

仕事納め

午後、原宿へ。一昨日に納品した、お役所仕事のデータの修正作業。半分くらいは、依頼元の手違いによる二度手間の作業だったのだが‥‥とりあえず、やっつけた。どうにかこうにか、仕事納め。

はー。解放感。正直、このお役所仕事に関しては、達成感は微塵もないけど(苦笑)。

夜は、新宿の陶玄房という居酒屋で飲み会。「氷の回廊 ヒマラヤの星降る村の物語」の著者、庄司康治さんにひさしぶりにお会いする。僕がもうすぐラダックに行くことを知って、わざわざ誘ってくださったのだ。庄司さんはこの冬、ネパールにある6812メートルの高峰、アマ・ダブラムを登られていたらしい。すごいというか、うらやましいというか‥‥。そういう高みに辿り着いた時、人には何が見えるのだろうか。

とにもかくにも、仕事納め。さて、荷造りだ。

うなぎの夏

午後、東西線に乗って早稲田へ。太田亨さんのザンスカール写真展を観に行く。たぶん二十年くらい前の、夏のザンスカールの写真を中心にした構成。今はなかなか見られない風景や人々の様子が記録されていて、興味深かった。ご挨拶していこうかな‥‥と思ってはいたのだが、パネルの調整でかなりお忙しくされていたようだったので、結局そのまま退出。ヘタレだな、僕は(苦笑)。

どこかで晩飯を食べようと思って、ぶらぶらと高田馬場まで歩いていく。しかしこの界隈は‥‥何でこんなに、インド料理屋が多いのか。これから二カ月もインドに行くというのに、インドカレーを食ってる場合じゃない(笑)。今の季節にふさわしい和食を‥‥ということで、早稲田通りからちょっと脇に入ったところにある、一軒のうなぎ屋さんに入る。老夫婦が切り盛りしている、地味だけど落ち着けるお店。うな重に肝吸いとお新香がついて、二千円もしなかったのだが、すばらしくうまかった。こんな風にちゃんとしたうなぎを食べたのは、本当にひさしぶりだ。

ニッポンの夏、うなぎの夏。ごちそうさまでした。

スイッチ

昨日に引き続き、今日も原宿の編プロで仕事。時間はかかるし、それなりに集中する必要はあるのだが、神経を削るような類の作業ではないので、ある意味気楽。粛々と進めたかいあって、かなりメドが立ってきた。

とはいえ、安堵している暇はない。そろそろ、来月からのラダック取材の準備も始めなければ‥‥。出版社の担当編集者さんからもかなり詳細なガイドラインを送っていただいたのだが、やらなければならないことが予想以上に多くて、ちょっと茫然。うっかり者の僕に務まるのか、不安にかられる。

まあ、やるしかないか。カチッ、とスイッチを切り替えて。

標高5400メートルの記憶

ちょっとした思いつきで、ブログのデザインを変えてみることにした。背景の木目調のテクスチャを明るい梨地のものにして、ヘッダ部分の写真も入れ替えた。

この写真を撮ったのは、2008年の夏、ラダック南東部の高原地帯、ルプシュ地方をトレッキングで旅していた時のこと。標高約5400メートルのキャマユリ・ラという峠から、遥か彼方、標高4500メートルのところにあるツォ・カル(白の湖)をふりかえった光景だ。

数十歩ごとに膝に手をついて呼吸を整えなければ歩けないほど酸素が薄い場所なのに、足元にはなぜか、小さな黄色い花が一面に咲いていた。二日前に通り過ぎてきたツォ・カルの岸辺には、名前の由来となった、白く凝固した塩の塊が広がっているのが見える。その向こうに連なる山々には、すぐ上に浮かぶ雲が、まだらに影を落としていた。

峠の頂上で、岩に腰を下ろして水筒の水を飲んでいると、馬に跨がった遊牧民の若者が、下から駆け上がってくるのが見えた。こんな途方もない世界で、何物にも縛られることなく、自由に生きている人々がいるのだ。

あの時、頬をなぶっていた風のひんやりとした感触を、僕は今も憶えている。いつか、あの場所に戻る時が来るのだろうか。