木楽舎から刊行されている月刊誌「ソトコト」2013年11月号に、写真紀行「ラダックとスピティ 2つのリトル・チベットをつなぐ道」を寄稿しました。巻頭のカラーグラビアで8ページにわたって掲載されています。記事の内容は、昨年と今年にラダックとスピティで行った取材の成果を中心に構成したもので、特にスピティについては、ほとんどの写真が未発表のものです。機会があれば、書店で手に取ってみていただけるとうれしいです。
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いろいろすっきり
昼、新宿へ。コニカミノルタプラザで開催されているデイジー・ジラルディーニの写真展「POLAR WONDERS」を見る。北極と南極を中心に撮られた写真の数々に息を呑む。ホッキョクグマ、アザラシ、ペンギンなど、極地に生きる野生動物の美しさと儚さ。地球温暖化によって彼らが晒されている危機は、決して見過ごしてはならないものだと思う。
写真展の後は、シネマート新宿で凱旋上映中の「きっと、うまくいく」へ。何だか急に、もう一度大きなスクリーンで見届けておきたくなったのだ。水曜のレディースデーとはいえ、平日の午後なのに、場内はほぼ満席。日本語字幕で観るのは二度目だけど、やっぱり泣けて笑えて、思いっきり感情を揺さぶられ、観終わった後はものすごくすっきりした気分になった。
懸案だった雑誌記事のゲラチェックも、夕方に届いたデータをついさっき、全部チェックし終えた。担当編集さんとデザイナーさんのおかげで、いい記事に仕上がったと思う。いろいろすっきりしたところで、いよいよあさってから、四週間のタイ取材だ。
自然と人のあいだ
約一年ぶりに、このブログのヘッダの写真を替えてみた。ツォ・モリリの湖畔で見かけた、チベット仏教の真言が刻まれたマニ石の写真。
しばらく前から、僕が何となく追い求めているおぼろげなテーマに、「自然と人のあいだ」というものがある。人は、自然とのつながりなしには生きていけない。自然の力はあまりにも強大で、時に無慈悲に、あっさりと人の命を奪い去る。遠い昔から人は、その強大な自然を目の前にして、何を思っていたのか。ある時は祈りを捧げ、ある時は抗おうとし、ある時は生きようともがき‥‥。
自然と人のあいだにあるものを追いかけていくことで、自然に対する人の本来のありようについて、自分なりに考えてみたい。ラダックの山の中を歩いているうちに見えてきたこのテーマ、次はどの場所で取り組んでいくべきか。来年以降の、自分にとっての課題。
大事なものは面倒くさい
今日もずいぶん涼しくて、過ごしやすい。終日、部屋で原稿を書く。
今回の原稿も、全体の形はだいぶ整ってきた。とはいえ、細かい部分の煮詰め具合はまだまだ。耳ざわりのいいきれいな言葉より、シンプルで端的な描写。文字数の制約もあるのでなかなか難しいけれど、それでも少し間を空けては見直して、修正をくりかえしていく。
夜、「プロフェッショナル 仕事の流儀」の宮崎駿監督特集を見る。絵コンテで壁にぶち当たって苦しむ監督が、「大事なものは、たいてい面倒くさい」と呟いていたのが、心に刺さる。そう、面倒くさいのだ。ものづくりにしろ、他の仕事にしろ、面倒くさい部分を避けていたら、何の意味もないし、もちろんいい結果も出ない。
今の自分も、思うようにならずに苦しんでいるうちは、まだ恵まれているのかもしれないな。
半歩後退、半歩前進
終日、部屋で仕事。今日は昼からずいぶん涼しい。さほどクーラーで部屋を冷やす必要もなく、少しほっとする。
スピティとラダックの雑誌記事の原稿に着手。午後から夕方にかけて、それなりに書き進めたのだが、どうもいまいちしっくりこない。もやもやするので、いったん全部ナシにして、晩飯を食べてシャワーを浴びて、あらためて仕切り直し。自分が書き慣れているパターンに頼りすぎないように、細かく見直しつつ書いていく。今度はうまくいった‥‥かな? 半歩後退、半歩前進。
でも、明日起きてから見直してみたら、また書き直したくなってるかもしれない。一進一退。そんな風にして、原稿はできあがっていく。