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それでも僕は、今日カレーを煮る

それにしても、新型コロナウイルス。なかなか、厄介である。

昨日、東京では、1日に判明した人数としては最多の41名の感染者が発見された。このペースがさらに加速すれば、非常事態宣言からの首都封鎖(ロックダウン)も現実味を帯びてくる。都知事は昨夜、今週末の外出の自粛を要請した(責任も取らないし補償もしないけど空気読めよな、という「自粛の要請」である)。それでどのくらいの効果があるのか、甚だ疑問ではある。

外務省は、全世界を対象に、レベル2の危険情報を出した。こんなことは前代未聞だ。インドは昨日から3週間、全土で外出禁止令が出ているし、世界各国の大都市でも似たような指示が出ている。イタリアやスペインでの死者数の激増のニュースは、本当に痛ましくて、やりきれない。

そうかといって、僕は医療従事者ではないし、マスクや消毒用アルコールを製造できるわけでもない。今の自分にできるのは、外出の後にうがいと手洗いを励行し、人混みを極力避けることくらいしかない。まあでも、今は、一人ひとりがそう心がけるのが、一番大事なのだと思う。

昨日、今後1週間くらいの自炊の献立を考え、無駄にしないように食材を吟味して、二人が1週間、問題なく食べていけるような準備を整えた。無闇に保存食を買い溜めるのではなく、生鮮食品も含め、献立に合わせて、必要なものだけを。週末はもともと外出しないつもりだったし、しばらくは主に家に籠もって、仕事をしたり、本を読んだり、料理をしたりして過ごそうと思う。

とりあえず、今夜は、カレーを煮る。チェティナード・チキンカレーと、カチュンバル。

インドビザ無効化

昨日の夕方、急に、これまでに発給されている日本人向けのインドのビザはすべて無効になる、と発表された。新規のビザの申請は一応大使館で受け付けているようだが、おそらくほぼ不可能だろう。これからしばらくの間、日本からインドに行くことはできなくなった。

あと10日くらいしたら、僕も取材や執筆・編集で関わっている「地球の歩き方インド」の最新版が発売されるのだが、よりによって、このタイミングとは……(苦笑)。今年の夏の催行を計画していたラダックやザンスカールでのツアー企画も、実現は非常に厳しくなった。まったくもって、やれやれである。

とりあえず今は、目の前の仕事……来月出る新しい本の編集作業に、集中しなければ。刊行記念トークイベントも延期にする可能性が出てきたけど、それも含めて、その時その時に選べる最善の選択肢を、選んでいくしかない。

そもそもテレワーク

新型肺炎COVIC-19流行の影響で、世間的に外出が憚られる雰囲気の今日この頃。僕も、食材の買い出しとかで駅前に行く以外、ほぼ終日、家に籠もって仕事をしている。

……あれ? それって、今までとまったく同じじゃないか(苦笑)。そうだった。僕の場合、そもそもの業務形態がテレワークみたいなものだった。そんなわけで今も家で、春に出す予定の新刊の初校を、ためつすがめつチェックし続けている。

それでもまあ、これから先は、仕事への影響も少なからず出てくるだろう。日本からの入国をストップしている国が増えてきているし、インドも日本人へのe-Visaとアライバルビザの発給を停止した。米国も日本からの渡航をストップする可能性が報じられている。日本からどこの国にも行けなくなったら、当然、取材の仕事はなくなる。

でも、こればっかりは、仕方ないし、どうしようもない。そうなった時に備えて、できる範囲で対策を準備しておかねば、だ。

コロナ狂想曲

昼、いつものように食材を調達しにスーパーに行ったら、買おうと思っていた米が、棚全部、すっからかんになっていた。他にも、インスタントラーメンとか、バターとか、特定の食品の棚がからっぽになっている。その一方で、生鮮野菜や卵などは、割と潤沢なのだが。

新型肺炎の流行に伴う物資不足のデマやら何やらで、マスクはともかく、なぜかトイレットペーパーなどの紙モノが薬局の店頭から姿を消し、その狂想曲は食品にまで及びつつある。デマの発生源は、メルカリとかでの転売目的の輩らしいのだが、普通の感覚で考えれば、誰でもデマだとわかりそうなものなのに、少なくない数の人たちが危機感に煽られ、まともな判断力を失っている。あるいは、デマだとわかってはいても、買い占めの影響で自分が困るのは嫌だから先に買い占めておく、という人も結構いるようだ。

まあ、こんなコロナ狂想曲が巻き起こるのも、どこかの国の総理大臣とその一味が、行き当たりばったりのテキトーな対応をしてきたからなのだが。ほんと、さっさと辞めてほしい。迷惑だわ。

権力と嘘

新型肺炎COVIC-19をめぐる今の日本の状況は、嘘つきどもに権力を握らせると、いざという時に社会がどういうことになるか、まざまざと見せつけていると思う。

何しろ、森友、加計、桜を見る会などなど、その場しのぎの言い逃れのために、今までさんざん嘘をつき、公文書を隠したり改竄したりしてきた連中である。新型肺炎に関しても、自分たちに都合の悪い情報や数字は隠していると思われても仕方がないし、実際そうしているであろう痕跡は、報道を通じて出回っている情報の至るところに見られる。ウイルス検査に消極的なのも、感染者数として発表される「数字」を減らしたいからだ。数パーセントと言われる致死率に含まれてしまった弱者は、自分たちの権力を守るためなら切り捨てても構わない、と彼らは思っている。他の国々の積極的な対応ぶりに比べると、本当に、暗澹とした思いにかられる。

今の日本政府は、僕たちを守ってはくれない。自分と周囲の人々の命と健康は、できるだけ、自分自身で守っていくしかない。

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ジュンパ・ラヒリ「わたしのいるところ」読了。ラヒリがイタリア語で書いた最初の長編小説というか掌編小説集。訳者あとがきにも書かれているが、かろうじてイタリアということがわかるだけで、人物名や地名などの固有名詞がまったく出てこない、抽象化された世界。物語と呼べるほどの大きなうねりではなく、小さなさざ波のような出来事が淡々と綴られていく中で、主人公はやがて一つの決意に至る。これを、母語ではないイタリア語で書き切ってしまうとは……。